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関空の試験が近づく4月の終わりだった。その日も大阪で面接をこなし、6時頃にアパートに戻ってきた。午前中からのダブルヘッダーだったので、さすがに疲れた。スーツを脱いで、そのままベッドに倒れこむ。気がつくと眠り込んでいたようだ。暗闇の中、何かが呼んでいる気がした。だんだんと覚醒して、それが着信音だと気がつく。時計を見ると七時を少し回ったところだった。時間帯からして、どこかの会社からの選考の案内だろう。
寝起きの声になっていたらまずいかなと思いつつ、それでも着信音が止まらなかったので、大きなあくびを一つしてスマホを取る。
「星嶋汽船人事部の森下です。」
今日面接を受けたばかりの中堅の海運会社からだった。名前を聞いて、その時の面接のやり取りを思い出す。
「お酒は飲む方ですか?」
前にも聞いたようなこんな質問があった。
「全く飲めないです。」
曖昧な返答はやめることにしていた。
「え、そうなの?困ったなぁ。」
「体質的に全く受けつけなくて。」
「そうなの?それは大変だね。いやぁ、困ったなぁ。」
昨年であれば、これ以上言葉が続かず、「そうですね」と曖昧に笑っていた自分が思い浮かぶ。
「最初から飲まないので、今まで特に困るという意識はなかったのですが、御社で働くにあたり、お酒を飲まないことで何か支障をきたすのでしょうか。そうであれば、私が理解せずに受験させて頂いたことで、貴重なお時間を使わせてしまったかと思います。申し訳ありません。」
何か一言多かったような気もする。ただ、困った困ったと言われても、実は飲めますとは言えなかった。
「いやいや、別にそんなことはないんですけどね。ま、この話はここまでにしましょう。次に・・・」
その他は特に問題のない面接ではあったが、当然連絡が来ることはないと、もうラインナップから外していたところだった。
「本日は面接にお越しくださいましてありがとうございました」と、一通りお決まりの言葉が続く。
「今回内定ということで。」
「は、はい。・・・・・・あ、ありがとうございます。」
最初に就活を始めてから十五カ月経っていた。内定さえあれば、自分が生きていて間違いじゃないと証明できるとまで思っていた時期もあった。あぁ、あっけないな、それが第一印象だった。
「他にも受けていらっしゃる会社があるかと思います。そちらも頑張って頂いて、悔いのない就職活動をなさってください。もし当社を選んで頂けるのであれば、ぜひお待ちしております。」
徹底的に選別される側だと思っていたのが、まるで世界が一変したようだった。
「面接の際、人事の者が失礼な質問をしてしまったかもしれません。どうかお気を悪くされないよう。」
そう言われて電話は終わった。
静かになって、徐々にこみあげてきた。あぁ、これで社会人になれる。路頭に迷うことはない。もう辛かった日々を終わりにすることもできる。少しだけ見ている世界の色が変わった気がした。
近所のコンビニに行き、いつもは買わない250円のデザートを買う。内定取れたら、好きなものを思いっきり買おうと、一年以上も想像していたのに、なぜだか今は250円のプリンに涙がこぼれた。
両親に電話で報告する。感謝の気持ちはやはり不器用になる。それでも伝えられてよかった。
今までは誰が見ても唸るような結果を提供し続けることを自分に課してきた。そうすることが自分の存在証明だった。その歴史もどうやらここまでのようだ。しかしどうだろう、それで自分の存在価値は下がったのだろうか。自分はこの世界に生きていくべき存在ではなくなったのだろうか。よく分からないが自分は自分。何かを失ったような寂しさは感じなかった。
そして一年ぶりの関空との戦いが始まる。その名前を聞くだけで自分が保てなくなる時期さえあったのに、今こうして再び戻ってこられた。またここに来られたこと、それ以上の幸せは思いつかない。
社屋に一歩足を踏み入れた瞬間に、それだけで感動して涙が出るほどの会社があるならそこで働きたい。そう願うことは間違っていないと信じている。気持ちに嘘が無いことを確かめる。
筆記試験の後、ターミナルを歩いてみる。やっぱりここだ、ここで音楽を聴いて、ここで自分に渇を入れて、ここで戦って。この上なく懐かしく、熱い場所。ターミナルを一通り巡った後、到着ロビーのベンチに座り、周りの景色を眺めながら音楽を聴く。
孤独から逃れて 強がってただけmy heart
太陽に手をかざして 生きること確かめたい
かつてないくらい thinkin' bout you 恋した
これからはそう thinkin' bout me 自分のために!
夢の続き I'm just a dreamer 走るだけ
I'm ready to take off この道が果てるまで
目指すものは time goes on 広がる朝
(有里知花「地平線の向こうへ」より)
筆記試験までは今回も何の問題もなかった。
その翌日は、SHANVIグループの二次面接が行われた。会場には15人くらいの学生。二次面接の日程は今日だけのはずだから、かなり絞られているようだ。控え室で待っていると社員がやってきて、面接のグループ分けについて説明された。学生5人ずつの集団面接。そこまではよくあるタイプだ。そしてその次の社員の言葉に、控え室に動揺が広がる。
「面接での質問は一つだけです。最近感動したことについて2分以内でスピーチしてください。それでは、開始までもう少々ありますので、それまでに考えておいてください。」
プレゼンテーション試験で、あらかじめ課題を言われることはあるが、試験の直前に言われるのは初めての経験だっだ。しかも質問は一つだけ。さっきまで隣同士ざわざわしていた学生たちは、それぞれ集中して、記憶を思い起こしているようだ。
しばらく考えて、最初に思いついたことを話そうと決めた。。
面接が始まる。予告通りの2分間のスピーチ。この巡りでいけば、自分は4番目のようだ。1番目の女子学生が話し出す。
「私は、飲食店でアルバイトしているのですが、ある時間違えて料理をお出ししてしまって、でもその時、お客様は何も言われなかったのですけど、それで後から気付いてそのお客様の所に行ったら・・・・・・」
教科書通りの優秀な答えだと思う。アルバイトの経験、ミスした時の謙虚な姿勢をアピール。しっかり仕上げてきているなと素直に感心する。
次の学生に移る。
「家庭教師のアルバイトをしておりますが、その担当の子どもが中学生なんですけど、正直言って全然勉強しない子で、でも最初から全部を求めるんじゃなくて、少しずつ勉強の楽しさを教えていこうとしたら。」
うまくいかない時に、どのようにコミュニケーションをとって、いい方向に転換できたか。これも教科書通り。レベルは高いと思う。自分もこんな経験があれば、それを話すのだろうか。
やがて自分の番になり、話しはじめる。一言一言、面接というよりも、自分自身にかみしめるように。
実は、就活は2回目であること。どこにも受からなくて、悩み苦しんで、親との関係も悪化して、地元に帰ってコネで入社することも考えたこと。
「・・・でも昨年の秋、ある親友がドライブに連れ出してくれて、その時に、「それは逃げている」ってはっきり言われました。その時の車の中に、The Brilliant Greenの「Hello Another Way」という歌が流れていて、その歌詞の中に「信じたい きっといつかは 叶うと決めているから」という一節があって・・・・・・、それを聴いた時、そりゃ人生、思い通りにならないこと、うまくいかないことばかりで、諦めたりもするけれど・・・、だけど人間何か一つくらい、何があってもこの夢だけは、誰になんと言われようと、絶望にたたき落とされても、いつか絶対叶えると、そう、叶ったらいいなとかではなく、自分自身が叶うとそう決めているって思えるもの、持っていてもいいんじゃないかな、って気がして・・・、その瞬間は、本当に・・・すごく感動しました。」
友のさりげない一言や偶然出会った歌に、抑えきれないくらいの勇気と情熱もらって、今日を生きている。だから、そんなかけがえのない宝物に、背を向けて生きたくはない。まっすぐに大事なものを大事だと、感動したことを感動したと言いたかった。
翌日すぐに連絡があり、二次面接も通過だった。最終面接にぜひ来てほしいと言われた。自分のありのままのスタイルが通用する会社。行くべきであることは分かっていたが辞退した。関空の一次面接と同じ日だったから。
客観的に考えて、受かる確率、適性、勤務条件も、そして会社の規模も将来性も。SHANVIが上だったと思う。それでもなぜ。そこに「理由」なんてなかった。そう、言葉に出来る程度の「志望動機」でここに立っているのではなかったから。
飛行機に乗るよりも、試験で関空に行った回数の方がずっと多いな。そんなことにふと気づく。説明会、筆記試験を経て今日が一次面接。今年は90分前集合のような、疲れるルーティンはやめた。お守り代わりの思い出の品や、高校時代のユニフォームを持参して荷物を重くすることもやめた。そんなことをして、奮い立たせなくても、この戦いに臨む気持ちはなんら変りない。
アクセスもリムジンバス一本で楽をしている。関西空港交通の日野セレガは名神高速から阪和道へと快調に駆け抜けている。防音壁があって景色はあまり見えないけど、今日も空は青い。今日という一日にこんな青空の下を走れることに感謝する。
京都から一時間四十分、バスはターミナル4階、国際線出国エリア前に到着する。バスを降りると、遮るもののない海上に駆け巡る、強い風を全身に受ける。心地よい感覚だ。研ぎ澄まされた、かといって昨年みたいに過度に自分を追いつめてはいない透き通る高揚。
面接は去年と同じ集団面接。質問は少し違ったけど想定範囲。自己PR、志望動機、関空について、入社後にしたいこと・・・。共通の質問の後、一人ずつ個別の質問へと続く。
「池谷さんは、昨年も当社を受験いただいたのですね。」
「はい。」
去年最終面接まで行った。そして年初に手紙も送った。こういう展開になることは予想できていた。
「昨年と今年、受験される中で池谷さんの中に変わったところはありますか。」
「はい。昨年はとにかくもう関空という気持ちばかりが走って、自分を追いつめ、最終面接まで呼んで頂きましたが、結局ご期待に沿えることができませんでした。その後は本当に辛い日々で、どうしたらいいか分からなくなって、街でリムジンバスを見かけるのさえ堪えられなかった時期もありました。ただ、悩みながら時間が経って思うようになったのは、自分が落ちたということは、自分よりもっと優秀な人がいたということで、それは受験した者としては悲しかったけど、一人の関空を愛する人間としては、たくさんの優秀な人が関空を受けていたってことは、そう、すごく嬉しいことじゃないかなって少しずつ思えるようになりました。だから今年は、自分を追いつめるよりも、この時代、この国に生まれて、関空に出会えたこと、何よりもまずその幸せに感謝して、どんな結果になっても、楽しんでやっていきたいなって思っています・・・。」
きっと夢なんて、出会えただけで99パーセントは叶ったようなものだと思う。そもそも一回きりの人生で、出会わないまま終わる夢の方がはるかに多い。違う時代に生まれていたら、違う国に生まれていたら、人間以外の生き物に生まれていたら、きっと関空を知らない人生だった。大事なものに出会えたこと、そしてそれを大事だと心の底から言える自分がいたこと、そのことが奇蹟であり、幸せだと思う。あとはそんな気持ちを胸に努力すればいい。その最後の1パーセントが、一番辛くて際限無く長い道のりだと分かっていても。それは、最後の1パーセントはかみしめながら自分の意思で刻めるようにと神様が与えてくれたものだから。
質問はさらに続いていく。
「そうですか。この一年、関空のことを思い出されることは多かったのですか?」
「思い出したことなんてありません。忘れた時がありませんでしたから。」
そう言って、ポケットのカード入れから1枚のレシートを取り出す。
「去年、最終面接の前に、ターミナル2階のスターバックスに行った時のレシートです。記念にずっと持っていました。こんなレシート1枚でも宝物です。忘れるはずがありません。」
面接官の一人がわざわざレシートの日付を確認した。かなり驚いている様子だった。そうして面接は終わった。
マニュアルを重んじたり、人にどう見られるのかを考えたり、それを否定する気なんて全くない。ただ勝負時こそ自分の歩んできた道を信じる強さは忘れたくなかった。
2日後の十四時二十四分、関空から電話がかかってくる。
「ぜひ最終面接に進んでいただきたいのですが、どうされますか?」
聞かれる必要のない質問だった。
最終面接の前日に2つ目の内定が届いた。心身ともにコンディションは申し分なかった。昨年のように押し潰されそうな苦しさを集中力だけで持ちこたえているような感じではない。最高の状態。ここまで壊れずにがんばってきた自分に感謝したいと思う。次がファイナルだった。何も守るものはないだろう、ただ攻めていこう。そして最後のこの日を楽しもう。
京都駅八条口のバスターミナルに向かって地下通路を歩いている時、リクルートスーツの見ず知らずの女の子にすれ違い様、「がんばろうね!」って声をかけられた。咄嗟に「ありがとう、がんばろうね。」と返す。この一言で気分が乗ってくる。本当にありがとう。さあ、行こう。八条口から始まる夢のドライブも最終節。今日のバスはいすゞのガーラ。今年の関空の試験で、三菱も日野も国内バスメーカーのバスはみんな乗れた。決して誰にも理解されないだろうけど、これもがんばって勝ちぬいてきた証だなとしみじみ思う。バスは市内を抜けて京都南インターから名神高速、大阪府に入り万博記念公園を横目に名神から阪和道へ。やがて右手に大阪南港が見えてくる。そして倉庫や工場が立ち並ぶ湾岸をひた走る。そんな一つ一つのシーンが壮大な物語のフィナーレへとつながっていく。そして湾岸の景色の先にそびえる影を見た時、やっぱり震えた。この海の先に関空が待っていることを告げるりんくうゲートタワーホテルの気高く美しい姿。ここから阪和道に別れを告げ、ハイウェイは海上に踊り出る。
スカイゲートブリッジも、渡る度に感覚が変わってくる。最初はこみ上げる思いと感動に押しつぶされそうだったけれど、最近はまるでこの橋そのものがランウェイであるかのように、夢と情熱を翼に限りなく飛んでいけそうな解放感がある。橋が終わり島に入った時、不意に轟音が近づいてきた。次の瞬間、バスの真上をフィンエアーのA350-900が飛び去っていく。空に映える美しい白の機体は、もうはるか上空に舞っている。まるで今日の戦いを祝福するかのような一瞬の邂逅。
集合時間まであと30分ほど。来るたびに新たな感動に出会うターミナルを巡る。そうしてここが自分の前線基地だと決めている2階到着ロビーのベンチに佇む。ここで音楽を聴いたり、栄養ドリンクを飲んだり、昔のアルバムを見たり、誓ったり、祈ったり・・・、ここから何度も決戦の舞台へ向かった。ふとロビーの一角にあるディスプレイに目を向ける。そこには世界の天気が日本語と英語で交互に映し出される。カイロは晴れ、モスクワは曇り。今ここで、この画面を見ている人が、今夜にはモスクワに降り立っていたりするということ。そんな奇蹟が、この場所から当たり前みたいに今日も続いていく。涙が出そうになるのを振り切る。昨年と同じ関空戦のイメージソングを聴き、昨年と同じオフィシャルドリンクに決めている爽健美茶を一口飲み、そして立ち上がる。
もうすぐ集合時間だった。もう少しだけ時間が止まっていてほしいと願う。ここで航空会社のポスターや、行き交う人々や、ターミナルの美しい姿を見て過ごす幸せにもう少しひたっていたい。そんな気持ちに決着をつけるため、もう振り返るなと自分に言い聞かせて踏み出す。
最後にトイレの鏡に向かい、問いかける。
「Is this the pride of Maida High School or pride of Kyoto University? Neither.. Just a pride of Kazuya Ikegaya. O.K. Let’s go!」
あの時と同じ面接官5人、学生3人の集団面接。
今年もやはり一時面接よりも厳しい雰囲気になる。
「あなたが大学で学んだことが、関空の仕事でどのように活かされますか?」
こういう時に文学部は不利だと思う。高校の時、大学のことは言われても、どこの学部がいいとかは誰にも言われなかった。ならば好きなことをしようと思って選んだ文学部だった。経営やら法務について勉強してきた学生が上手く答えているのを見ると、少しうらやましくも思うが、自分で選んで好きなことをしてきたのだから、文句は言えない。
それでもなんとか、外国の文化や風習について理解を深めたことにより、日本以外の人たちの利便性も捉えた空港にしていけるという方向でまとめる。最後にこう付け加える。
「確かに私が学んできたことが実用的なものかというと、そうではないかもしれません。ただ、足りないものはこれからいくらでも努力して、身につけていきます。その努力なら負けません。」
あるアーティストがインタビューで答えていた「好きっていう気持ちがあれば、努力とか忍耐とかは、当たり前についてくるもんやから」という言葉を思い出す。
面接官は答えに満足していないのかもしれない。特に表情を和らげることはなかった。
「他の空港は受けられましたか。」
「空港」を志望するなら、新卒採用をしている空港を全部受けているのが当たり前。他の学生はマニュアル通り、受けてはいるけど関空が第一志望なのだと強調する。もちろん他の空港の面接に行けば、そこが第一志望だと言うのだろう。この手の質問は、1社ごとにそれらしい理由を探さないといけないから大変だ。自分の番がきたので、特に繕うでもなく真実を答える。
「受けておりません。関空のライバルに行くくらいなら、いっそ全く違う業界の会社に行く方がいいと思いましたので。」
飾らない真実だった。もしも他の空港で働いていたとしても、きっと空港の風景の中に関空の面影を探して辛くなるだろうと思ったから。それではそこの空港にも失礼だと思う。
こんな答えも、面接という世界の中では浮いたものとして聞こえるのだろうか。戦況は不利かもしれない。今までのことはどうしようもない。受け答えが他の学生に勝っているかどうかは分からない。ただ自分を信じて紡ぐ言葉の一つ一つに最大限集中するだけ。唯一確かなことは、受験したどの学生よりも、関空を愛しているということ。
やがて個別の質問に移り、話は一次の時と同じように、昨年から今年に至る経緯について問われる。
「前回落ちた反省を活かして、今年はどんな対策を考えてきましたか?」
技術的な面は、大きく変わっていない。特別な対策があるわけでもない。ただ、生きる価値とか、大きな荷物を背負って追いつめることはしなくなった。どんな旅でも荷物は多すぎないほうがいい。ここで戦えることを幸せに感じて、楽しむこと。
こんな答えでいいのかは分からない。
マニュアルは知っていた。昨年は自分の力を過信していたことに気づき反省し、ここを改めて臨みましたと言えればOK。自分を謙虚に振り返り、改善できる姿勢をアピール・・・。でも否定したくはなかった。昨年ここで散った自分の情熱を。
次が最後の質問だった。
「昨年は当社以外に何社くらい受けられましたか?」
想定できていた質問だった。
「御社以外に45社です。」
「その中で内定は何社ありましたか?」
これも「正解」は知っていた。本にも書いてあった。ただ、その正解を口に出すことはなかった。
「・・・ありませんでした。」
「一社も?」
「はい。」
帰りのバスの中、外に目をやると、道路に沿って作られた花壇の花が鮮やかに映る。かつてはただの海だった人工の島にも絶え間なく青い波が打ち寄せ、土は宿り、花は育つ。
花として散ればいい
人として泣けばいい
光として貫けばいい
いつの日かまた
花として咲くだろう
人として笑うだろう
そのとき、光は出会うだろう
「他の会社から内定は頂いていました。いろいろ悩みましたが、やはり御社で働きたいという気持ちが勝り、辞退いたしました。」そう言うのは難しいことではなかった。どこかの誰かが言っていたように、そこまでは調べられないだろう。
ただそれは面接の正解でしかなかった。どうしても嘘は言いたくなかった。そんなことをして勝ったとしても、何の意味もない気がした。恰好をつけているわけではなく、自分のしてきたことに嘘をついてしまえば、ここまで関空と戦ってきた自分を否定することになると思ったから。
結局いちばん守りたかったものは何だったのだろう。内定が欲しいのなら、「正解」を言うだけだった。
それでもただ、道に迷う時、道が遠すぎた時にいつも思い出す風景がある。スカイゲートブリッジに入る瞬間のぐっとくる加速、太陽の光を浴びて空に向かう美しい機体、そこから夢の舞台に駆け出したターミナル、心に刻まれた空と海のブルー。思い出すほどに、いつも力をくれるあたたかい風景だった。あの風景をまっすぐに見据えられなくなるのは嫌だった。大好きな場所で、かけがえのない記憶を汚すような、嘘で固めた面接はどうしてもできなかった。結果がどうなろうが、本当に守りたいものは確かにあった。
「内定なんて・・・、そんな小さなもののために戦っているんじゃないだろ・・・」
そんな負け惜しみをつぶやけば、空は涙でかすむ。
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