Sky Smile Story

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 大学の単位は3回生までで揃っている。後は卒論を提出するだけ。院に進まないなら学会とかに出ることもないので、最近ではあまりキャンパスに来ることもない。大阪に行っている日の方がずっと多い。京都大学は大阪と京都を結ぶ私鉄のターミナルに近い比較的便利な場所にある。偏差値で言えば超一流大学。おそらく隅々まで見ていない書類選考なら大学名だけで軽くパスする。  入学した頃は、学生も教授も変な人が多いことに嫌悪感を覚えたこともあったが、今では何とも思わなくなった。真冬でも半袖の人、周りに人がいても大きな声で歌を歌いながら自転車に乗る人、授業に遅れかけているのか食パンを加えて走っている人も見たことがある。遅刻寸前ののび太君がやるようなことを生で見られて感動したものだ。授業中に奇声を発する教授がいたのには参ったが、変な人が多い割に、危険な人が少ないというのがいいところなのかもしれない。独特の世界観なのか、京都や大阪の繁華街に比べれば、はるかにのんびりしていて、穏やかな安心感さえある。それに個性が強いだけに、こちらも今年のトレンドがどうのこうの、あまり気にすることもなく気楽に過ごせる。染まってきたのか、恵まれた環境だと思うようになった。  学生が自由にパソコンを使えるメディア・ラボラトリーは、午前中に訪れると、まだ人は少なく、簡単に隅の席を確保できる。一通りメールをチェックし、ニュースを読み終わると、少し深呼吸して「お気に入り」からページを開く。  関西国際空港。とっくに見なれたページのはずなのに、空港コードの「KIX」のロゴにいつも心が高鳴る。フライト情報のページを開く。そこではリアルタイムに到着便、出発便の状況が更新されていく。  「10:15 アリタリア 501便  ミラノ経由ローマ 定刻通り 搭乗中・・・」  もちろん誰か知り合いが乗っているわけではない。ただ、毎日正確に運航されているのを見るだけで安心する。時々増便や新規就航があったり、機材が大型化に変更されたりというニュースを見るだけでとても嬉しくなる。国際線の発着時刻も使用機材も、もうほとんど頭に入っている。毎日サイトを見ているうちに自然と覚えるものだ。だから就職活動を始めるはるか以前から、このサイトにある関西国際空港株式会社の採用情報も見てきた。この会社に入りたい、それが夢だ。  関西国際空港との出会いは二回生の夏休み、ある団体の主催するボランティアと英語研修のプログラムで、一ヶ月間スコットランドのグラスゴーを訪れた時だった。両親の反対を押し切っての初めての海外。期待と不安。出発の朝は快晴だった。  その朝の記憶が蘇る。京阪神の中心部と空港を結ぶ快速電車が、空港島につながるスカイゲートブリッジを渡ると、紺碧に煌く海上に長方形の人工島が見えてくる。陽光を受けて、銀色の壮麗な建造物がまばゆく光を放っている。四層の巨大なターミナルに50以上のスポットを持つ直線的なウィング。世界中の名だたるエアラインと都市の名前を連ねる巨大な電光表示板を見上げれば4カ国語に切り替わる案内表示。初めて出会うその圧倒的なスケール、ここから世界につながっていくという、その壮大さに心を奪われた。自分の知らなかったものすごい世界がある、そう気づいた。そしてテイクオフ。ランウェイの果ては海の煌きと空の輝きが出会う場所。窓から見下ろす光の海の中に、銀色に光る島はやがて吸いこまれていった。それでも、心に焼きついたその姿が色褪せることなどなかった。  この場所で生きていきたい、世界をつなぐこの場所で・・・。  関空の試験はまだしばらく先だった。それまでに内定を持っていたいと思う。何もないまま戦えば、その思いの大きさに押し潰されそうな気がするから。  でも、関空以外行く気がないのなら、他の会社受けなくても同じことではないのか。時々自分に問いかけることもある。  倍率が高いから?落ちた時のことを考えているの?  確かにジレンマを抱えている。矛盾しているとも思う。  結局はリスクヘッジ。もしもダメだった時、路頭に迷うわけにはいかない。偏差値で自分のポジションが細かく分かっている入試とは分けが違う。何が起こるか分からない。だから他の会社も受けるしかない。関空への思いはきっと誰にも負けない。だけど、弱い心があるのも確かだった。   久しぶりにキャンパスを訪れたのは、使い放題のパソコンだけが目的ではない。昼過ぎからOBによる就職セミナーが開かれることになっていたのだ。自分から参加を希望していたのではない。一週間前、突然先方から電話がかかってきて、必ず参加してほしいと言われた。なぜ電話番号が知れているのかは分からなかった。クラスの誰かが伝えたのだろうか。 会場は、一般教養で使われる教室で、階段状のかなり大きい部類に入る部屋だった。参加者は100人弱か。他の学部の学生ばかりで知り合いの姿は誰も見えない。仕方なく一人、目立たない隅の席に座る。 講師は、OBが三人。一人目は大手自動車メーカーに勤務しているという25歳。この季節だが、日に焼けていて、見るからに何かスポーツをやっているという感じだった。 「この時期にセミナーに来てくれているということは、もしかしたら、まだ活動の成果が芳しくないという人もいるのかもしれない。」 少し重苦しい雰囲気を演出するように語り出す。 「もしそうなら、少し考え方を転換することをお勧めする。」 「当たり前だが、ここは日本で最高位の大学だ。君たちは中学・高校とトップを走り続け、誰にも負けない大変な努力をしてこの大学に入ったのだと思う。」 小さくうなずいている学生もいる。 「それなら就職もトップを狙わなければならない。そう思うのは自然だ。」 自分の周りをみてもそういう風潮はたしかに強い。 出身高校や地元のプライドを背負っている、とはさすがに言い過ぎだろうが、常にトップであることを期待されてきて、それに応え続けてきた。どんな難題もたゆまぬ努力に裏打ちされた頭脳でねじ伏せてきた。いい大学に入れれば、いい会社に入れる。今時、そんなクラシックな思考を手放しで持っているわけではない。ただ、ここまできて今さら恥ずかしい真似はできない。それが素直な気持ちだ。 業界トップ一択ではないにせよ、テレビ局なら在京キー局、銀行ならメガバンク、JRなら東日本か西日本か東海まで。そうでなければ一線から外れたことを意味する。それは今までの人生で決してあってはならないことだった。  「もし結果がついてきていないのなら、これまで意識していなかった業界を含めて、視野を広げてみてほしい。あまり有名でなくても、実はいい会社というのは、たくさんある。学生から見て人気の会社というのはやはり、コマーシャルをバンバン流して誰もが名前を知っている会社になってしまう。いつも食べている好きなお菓子を作っているメーカーを受けてみる。そんな動機ならまだマシな方だ。CМに好きなタレントが出ているから、もし入社して広報にでも配属されたら、会える機会があるかもしれない。そんな動機で受験する会社を選んでいる人も中にはいないだろうか。まあそれも無理もない話だ。就活サイトを開けば何千も出てくる会社の中から、どう選べばいいんだという話だ。いずれにせよ、結局それは個人客向けがメインの企業だ。BtoBの企業であれば、そもそもそんなに高い金を出してテレビコマーシャルを打つニーズもない。だが、実はそちらの方に優良企業があったりする。」  たしかに一理ある。知名度や会社規模やCМタレントだけで選んでいるのではない。自分はどうやって選んでいるだろうか。大事にしているのは今までがんばってきて、その会社に入った自分を誇れるかどうか、今までの努力がその会社に入るためだったと胸をはって言えるかどうか、その会社の名前を聞くだけで、ぐっとこみあげてくる熱い思いがあるかどうか。  「とはいえ、よく知らない会社の中には、やめた方がいい会社も、もちろんある。これを見てほしい。」  正面のホワイトボードに、画像が映し出される。何やら山林の中で、ジャージ姿の複数の若者が白い土嚢のようなものを担いて走っている。  「これは、かつて存在した健康器具販売会社の新入社員研修の様子だ。ネットで検索すれば、最悪のブラック企業として伝説となって語り継がれている。研修は、チームごとに100キロ分の土嚢を制限時間内に山頂まで運ぶという内容らしい。最下位になったら、食事抜きとか、睡眠なしで一晩中反省文を書かされるとか、アメリカの特殊部隊も顔負けだ。新入社員の実に半数以上がこの研修中に会社を去る。もちろん残った人間も数年以内にほとんど消える。ちなみにこの会社の社訓は、『上からしばけ』だった。創業者が野球部出身の高校野球好きで、練習中に監督から言われたことを会社の理念にしたらしい。経営戦略も何もない完全に独裁国家だ。もちろん会社としては競争力も何もない。ホームセンターでも買えるようなものを持ってきて、体当たり営業で高齢者にとんでもない値段で売りつけるだけのビジネスモデルだ。さすがに最近ここまでのレベルはお目にかかれないが、かつて氷河期と言われた時代のピークには、こんな無茶苦茶な会社でも正社員になれるならありがたいと多くの学生が入社し、そしてボロボロに使い捨てられて去って行った。知っての通り、日本社会では一度正社員でなくなってしまえば、再びレールに戻ってくるのは極めて困難だ。多くは今も非正規で、安価でフレキシブルな労働力として日本経済を支えているというのは知っての通りだ。」  そう、チャンスは一度きり。新卒ブランドが使えるこの唯一のチャンスを逃したら、もう一生チャンスは来ないといっても過言ではない。だからこそ、誰もがこんなに真剣になる。  「残念ながら、この大学の就職支援は頼りにならない。就職実績でアピールしなければ学生が来ない私立の方が、よほど真剣だ。大学のヒエラルキーで入れる会社は大体決まってくるから、その中でマッチングしてくれる。だが、もちろんうちの大学にそんなものはない。日本中どこの企業でも話は聞いてくれる。だからここの学生は情報がないまま、今までの習慣でやみくもに難関企業ばかりを受ける。それでも何をやったって、エントリーシートや筆記試験は大学名だけ、ノールックで通過して、いいところまではいくもんだから、あともう少しで受かると幻想を持つ。どんな会社も最初の書類で落ちることはなく面接までは行けるから、毎回大阪や東京まで出向くことになって、時間と金ばかりかかってたまったもんじゃない。」  さすがОBだ。こちらの行動志向を熟知しているかのように痛いところを突いてくる。  「さて、いい会社の選び方として、本当は自己資本比率とか対売上高資本比率とかも挙げたいところだが、経済学部の学生ばかりでもないようなので、今日はもっとシンプルにいこう。  年商は200億円以上あれば及第点だろう。製造業ならもう少しあってもいいかもしれない。社員数は500人以上ほしいが、まあこれは業界による。見てほしいのは社員の平均年齢、近年急拡大した等の特殊事情もないのに、平均年齢20代だとすれば、離職率が高いと判断していいだろう。歴史のあるまっとうな会社なら平均年齢は30代後半から40台が普通だ。こういう見方で今まで志望していなかった企業を見直してみたらどうだろう。」  言っていることは明快で、頭では理解できる。だが、どうしても心に響いてこない。会社の規模、安定性、離職率の低さ、年収、福利厚生、そうやって選んだ会社に入ったとして、今までがんばってきてよかったと言えるのだろうか。  ぼんやり考えているうちに、質問タイムに移ったようだ。学生の一人がブラック企業の見分け方について、もう少し教えてほしいと質問している。  「平均年齢や平均在籍年数、平均年収などは、かなり有効な指標だと思う。それに関連して、どの会社の採用情報を見ても、「先輩社員の声」のようなページがあるだろう。『入社2年目で店長に!』とか『実力さえあれば年齢は関係ない!』といった派手なキャッチフレーズが並んでいたら要注意だ。もちろん、本当に実力があって、短期間で稼ぎたいというのなら、そういう選択肢も否定はしない。 あとは同族経営の場合、ワンマンで経営に個人の意思が入り込みやすい傾向がある。ホームページに役員体制が載っていれば確認してほしい。社長も専務も会長も同じ名字というのは、やや要注意だ。あとは、そうだな・・・。それほどの規模でもないのに、日本○○とか、○○ジャパンとか大層な名前をつけている会社は危ないという説もある。もちろん、それらが全てブラックとは限らないが。」  そうだ。結局は入ってみなければ分からない。最大手のメーカーや広告代理店でも過労死が発生している。どこにいったって楽な仕事などないはずだ。  それならば・・・。どうせ苦労するなら年商や年収といった数字で考えるのではなく、自分がここでならがんばれると思うところにいくのがいいのではないだろうか。話を聴きながら、そんなことを思っていた。  セミナーは2時間弱に及んだ。想定よりも質疑応答がかなり多かったせいだろう。教室を出ようとすると、おもむろに例の一人目のОBが近づいてきた。  「おぉ、君が池谷君か。この前君に電話した川嶋だ。ちょっと時間あるかな。」  こちらが怪訝な顔をしていることも、全く意に介していない様子で、半ば一方的に隣の建物のカフェテリアに連れて行かれる。  「今日は来てくれてありがとう。実は俺も舞田高校なんだ。」  なるほど、同じ高校出身なら連絡先を知るルートがあったとしてもそれほど驚くことではない。  「なかなか、がんばっている高校だよな。通える範囲にある唯一の公立普通科高校だが、都会に負けないっていう反骨心があったよな。毎年、一人か二人は東大・京大に出しているしな。」  周りの町村を合併して、やっと人口4万人の日本海側の小さな地方都市。そこに一つだけの公立普通科高校。それでも約半数は国公立に進学し、文科省のスーパーサイエンスハイスクールにも認定されていた。  通える範囲に大学はないから、同級生のほとんどが進学とともに県外に出ていた。たしかに反骨心はあった。田舎だからって馬鹿にされたくない。都会に出ても負けられないという思いは強かった。  「俺はあの町は好きだよ。でもやっぱり外に出たいって思いはあった。」  「僕もそう思っていました。」  最寄りのコンビニまでは車で20分。それもコンビニという看板はあるが、夕方5時に閉まる小さな商店だったりする。百貨店のある都会までは車で2時間。ちなみに近くに高速道路というものはない。あったとしても、国道で信号にひっかかることがほぼないのだから、料金を払って高速に乗るニーズはあまりない。街のランドマークはイオンモールになれないイオン。そんな町だった。  その町から外に出て、仲間たちはそれぞれの道でがんばっている。  「ところで池谷君は中学の時、コート来て学校に行ったことある?」  突然の質問の意図が分からず戸惑う。雪が積もることはめったにないが、それでも冬は氷点下まで下がることもある土地だ。  「はい。」  「俺は舞田の中でも辺境にいたが、今思えば、ひどく閉鎖的で人と違うことは決して許されない雰囲気のある地区だった。あれは中学の時だった。俺の住んでいる地区では通学でコートを着ていいのは中3だけという意味不明なルールがあってね。もちろんルール破れば3年生に呼び出しだ。で、中2の時、めずらしくひどい風邪をひいちゃってね、こんな俺でもね。3日休んでなんとか学校に行けるまでは回復したんだが、季節は真冬、学校までは徒歩20分。さすがに制服だけではまずいということになったんだ。」  たしかに体操服や制服の着こなし、学校に持っていくカバンや自転車、靴下に至るまで、学年やクラスでのヒエラルキーによって、綿密な不文律があった。ルールから外れれば当然粛清を受ける。中学の時に自転車がなくなり、数日後に破壊された状態で海岸に放置されていたと交番から連絡があった事件を思い出す。犯人は分からなかった。フレームの形が他と若干変わっていたので目をつけられたのではないかという話だった。  「そしたら、親が3年生のある家に菓子折りを持っていってね。その家はなぜか地区の世話役ということになっていた。PTA会長でも公民館長でもなんてもないんだぜ。そこに頼むんだ。なんとかよろしくお願いします、コートを着ることを許可してもらえないかってね。そしたらその相手の親がしぶるんだぜ。そうはいってもうちの子も中2までは我慢してたしってね。」  馬鹿馬鹿しい話だが、当時はそこに疑いをはさむ余地はなかった。  「俺はその時悲しくなったよ。なんなんだ、この町は。いくらなんでも狭すぎるだろ。お前の中2の頃なんて聞いてないし、どうでもいいよ。そこから必死に勉強したよ。こんなところで埋もれたらダメだ、もっと自由になりたい、そのためにはまず大学でここを出るしかないってね。」 周りに流されず、突き抜けるにはそれなりのモチベーションが必要だ。もっと楽しい動機であればいいとは思うが、切実な思いであるほど強いというのは確かだ。 「ところで、活動の方はどうかな?どこか内定は取れたか?」 痛い質問だ。 「いや、まだどこも。」 「そうか。今日はもしかしたら耳が痛い話をしたかもしれない。ただ舞田のような所から出てきても、その後どこに向かえばいいのか、周りに成功体験が少ないから戸惑うケースは多いと俺は思っている。失礼だが親も教師も、とりあえずいい大学に入るところまでは道筋を示せるんだが、その先はどんな世界があるか分からないんだ。よかったら今日の話を参考にしてほしい。また話を聞かせてくれ。」 また、活動進捗を聞きにくるということなのか。あまり気が進まなかったが改めて連絡先を交換すると、満足そうに彼は去っていった。
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