Sky Smile Story

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 東京から戻った翌日、父が京都に出てきた。就職活動で自分を追い込む中で、結果を出したら連絡しようと思っている間に、ほぼ音信不通の日々が続いてしまっていたから、さすがに心配になって様子を見にきたということだった。正月に実家に帰っているから、せいぜい四ヶ月ぶりの再会だが、どうにも落ち着かない。  夕方、新幹線で京都駅に着いた父を迎え、そのまま京都タワー裏の居酒屋に入る。 「どうしたんだ。うまくいっていないのか。」 一杯目のジョッキを半分ほど空けた頃、おもむろに父が言った。  関空のことはまだ話していない。 「いや。行きたい会社の試験は、まだこれからだから。」 「何をするんだ。営業か。」 「総合職での採用だけど。」 「とにかく営業だけはやめておけ。あれはまっとうな人間のすることじゃない。自分を押し殺して、どんなに馬鹿にされても、ひたすら頭を下げる世界だ。数字に追われて、おかしくなる。」  地方銀行で勤続25年、支店長まで昇った父の実体験なのかもしれない。 「分かった。別に営業を志望しているわけじゃない。配属でどうなるかは分からないけど。」 「とにかく、大手にしておけよ。体力のあるちゃんとした会社なら、何かあっても保障がある。休んでも大丈夫だ。」 「まだ入社してもないのに、何かあった時のこととか言わなくてもいいじゃない。そんなことで会社を選んでもおもしろくない。」 ここでも大企業志向を勧められ、つい言い返してしまう。 「お前なら一流の大企業に入れる。それだけのことをしてきたよ。」  直接的ではないにせよ、いい高校に、いい大学に。そうすれば未来は開ける。好きなこと選び放題だと。そう言われてきた気がする。 「もしうまくいかないなら、こっちに帰ってきてもいい。俺に任せてくれれば、最初から営業なしで、取ってくれるところをいくらでも紹介できる。」  「そういうのじゃなくて、ちゃんと自分の力で受かって」  今まで自分の力を信じて道を切り開いてきたつもりだ。目指したステージへ必ず到達する。それが自分のスタイルだと思っている。ここまできて親のコネで就職しましたなんて、許されるはずもなかった。  父はその後も、地元の建設会社や量販店の名前を挙げ、幹部として迎えられるからと勧めてきた。反論したところで思いが伝わる気もしないので、考えてみるという曖昧な返事でなんとか切りぬける。食べた気のしない、というよりあまりのどを通らなかった二時間。それでも胃の辺りで、もやもやしたものがうごめいている感じがする。  居酒屋を出てすぐの所にあるホテルに部屋を取っている父と別れ、帰路に着く。別れ際、父が言った言葉が心に突き刺さる。  「もしかしたら、体のことがあって難しいのかもしれない。でも帰ってくれば大丈夫だから。」  家に帰る市バスの中、昔の記憶が甦る。保育園の頃だった。高熱と全身の血管が腫れる病気を患い二ヶ月ほど入院した。それから激しい運動と過度にストレスがかかることを禁止された。もともと勉強に厳しい親ではあったけど、その時からますます強く言われるようになった気がする。「お前は体を使わなくていい、ストレスがたまらないような生活をしなければならない。人の上に立って人を使う人間になれ。」最初の頃はそれがどんな生活なのか、具体的にイメージできなかった。とにかく誰にも負けない偏差値を持っていれば、誰にも気がねしないで「いい生活」が送れる、そんな風な感じだったと思う。  中一の時の担任は、料理研究家を志望していたものの、それで生計を立てることもできず、家庭科教師になった、およそ教育への情熱のない人間だった。自分のクラスに持病のある生徒がいると分かると、あからさまに迷惑そうな態度を隠さなかった。入学時、うちの親に対して、本当に大丈夫なんですか、急に倒れたりとかしないんですか、と聞いてきて軽い口論にもなった。  だが、最初の定期テストで全教科95点以上、合計で2位に50点差以上という成績を叩き出した途端、態度は一変した。賞賛の嵐。大人というものは、こうも簡単に態度を変えるものなのか。なるほど、たしかに数字を出しておけば、いいことはあるらしい。 そして実行した。通える範囲で一番の高校に入り、その中の特別進学クラスでトップクラスの成績。テストで平均点以下を取ったことは一度もない。今思えばシンプルだった。結局は自分との戦いだ。圧倒的な数字さえ出していれば、教師からも友人からもひとかどの人間として扱われた。両親も誇らしそうだった。 最初の入院以降、大きく体調を崩すことはなかったが、冠動脈の一部が狭窄する後遺症が残り、定期的な検査は必要だった。一年に一回程度、腕から血管の中に細い管を入れて心臓まで通す検査。全身麻酔ではないから、意識がある状態で、血管の中をゴリゴリと管が這い上がってくる感触があった。管の先から造影剤を入れて、血管の状態を撮影するのだが、心臓のあたりに何かが注入される感覚もはっきりと覚えている。嫌で嫌で、なぜ自分だけこんな思いをしなければいけないんだろうと泣いた夜もあった。 もちろん両親には本当に感謝しかない。考えてみれば地方の中流階級にとっては相当な医療費の負担があったのではないかと思う。それでも自分の前で経済的な懸念など、全く感じさせることはなかった。何一つ不自由を感じたことはなかった。 中学に入る前、狭窄している血管を広げる治療をするため、循環器内科で日本有数と言われる九州の病院に2週間入院したことがあるが、両親ともずっと付き添ってくれた。今思えばそんなに休んで、本当は職場で肩身の狭い思いをしていたかもしれない。そうして大学まで面倒をみてくれた。 九州の病院では、その治療の世界的権威が担当するので安心と言われた。血管内に管を通して、先端に付いた極小のドリルで血管を削っていく治療。ただ、いくら名医でも血管を突き破るリスクがゼロではない。「その場合は、すぐに開胸手術に切り替えます。」主治医の冷静な言葉に、目の前が暗くなった。 破られた場合、その瞬間は意識があるはずだ。一体どんな感触がするのだろう。想像するだけで凍りつく。幸い治療はうまくいき、手術痕が残る事態にはならなかった。 病棟には同じ治療のために全国から集まった患者がたくさんいた。同じ病室の中年男性は、ある朝起きたら消えていた。夜の内に容態が急変したと聞かされた。その後、どうなったのか教えられてはいないが、自分がそうなっていたかもしれないと思うと震えた。とにかく自分は生き延びられた。 その時、病室のベッドで天井を見上げながら思った。もし生きられるのなら、ここまでして生きるのなら、生かされるのなら、生きていて意味のある人間になりたい。こいつが生きていてよかった。世界にとって少しはいいことがある。そうみんなに思われるように。    漠然とした思いだった。特に何になりたいといった明確なビジョンがあったわけではない。ただひたすら勉強した。テレビは土曜日だけ。音楽を聴くのは一日に一曲だけ。中2のある日、大学に入るまではマンガを読むのはやめると宣言した。小さな世界で生きてきた。レールの先に何があるのか、どこに向かっているのかも知らず、ただひたすら長い道のりを歩いてきたように思う。道の先に感じる光は、あまりに儚く、どこにあるのかさえ分からなかった。あの日、スカイゲートブリッジを越えて関空に出会うまでは。     あともう少しで、その光は手の届くところにある。戦いはいよいよ本番だ。 スカイクリスタルエアラインズ。成田や関空をハブに、世界115都市に就航している大手航空会社。言ってみれば自分にとって関空に次ぐナンバー2、その一次面接があったのは4月になってすぐの、よく晴れた日だった。人生を振り返っても大切な試験や大会がある日の朝は、いつもと違う感じで目が覚める。凛とした晴れた朝の空気を吸いこむと、体の奥底から、研ぎ澄まされた情熱が少しずつ立ち昇ってくる感覚を覚える。家を出る前に、去年ソウルのインサドンで買った独特の香りのするお茶を飲む。「今日は勝負」という時にだけ飲むので、まだだいぶ残っている。好きな音楽を聴きながらゆっくりと心を落ちつける。お決まりのスタイル。立ち上がり、壁に額を当てて、目を閉じ、一声気合を入れる。  「おっしゃいくぞーぃ!」  好きなプロレスラーが決めにかかる時によく言う掛け声。高3の夏、模試の前にやりだしてから習慣になった。  戦いの舞台は大阪の難波。何度もチェックしたので会場までのアクセスは完璧。待ち時間にずっと座っていると緊張して疲労するので、あまり早く来すぎないようにする。とはいえ集合時間ぎりぎりに着いても、結局そこから長く待たされる場合もあるのだが。  控え室の隣の会議室のようなスペースに2人の社員がいて、話している声が聞こえてくる。「FUK」という単語が耳に入る。福岡空港の3レターコードだ。世界の主な空港の3レターコード、航空会社の2レターコードは大体覚えているが、もちろん普段使う機会なんてない。いいなぁ。こういう言葉を使って仕事している人たちがたまらなくうらやましく感じる。自分もああなりたい。 さぁ、絶対勝とう、勝ちにいこう。心の中で自分に最後のエールを送る。  一次面接はグループディスカッションだった。グループディスカッションを選考に入れる会社は少なくない。コミュニケーション能力、問題解決能力などを見ると言われているが、こちらに「伝えたい気持ち」が溢れている時にグループディスカッションと言われても困る。テーマは「学生と社会人の違いについて」。学生5人で1グループ、簡単な自己紹介、そして司会と書記が決まり、まず一人ずつ意見を述べるところから始まる。けっこうベタなパターン。自分の番が来たので喋りだすと、ほどなく隣りの体育会系の男に突っ込まれた。  「ちょっといいかな。あのさ、堅苦しい言い方やめてさ、敬語とか使わずにもっとフランクにいこうよ。」  フレンドリーをつくったような笑顔にこう言われた。一瞬、頭が真っ白になる。今まであったディスカッションは全部「ですます調」だった。それでよかったはずだ。同級生だとしても、将来を決める真剣勝負の場、フランクになんてなれるはずもない。動揺の中、咄嗟に自分にできたことは、とりあえず曖昧に笑って、明らかに不自然なタメ口に切り替えること。結局は穏便に言いなりというわけだ。  発言を終えて落ち着くと、次第に焦りと怒りの気持ちが出てきた。こっちは全てかけて勝負にきているんだ。あんたは「集団の中でのいい雰囲気づくりに努めた」ってプラスポイントを狙ったのかもしれないけど。馴れ馴れしくやってやれないんだよ。心がささくれだつ。 今更憤ってみても遅すぎる。そして数分後に再び不測の事態は起こった。このディスカッションのテーマは「学生と社会人の違い」。先ほどの体育会系の彼は、こともあろうに面接官としてディスカッションの様子を見ている社員に話を振るというチャレンジに出たのだ。  「ここはせっかくなので、社会人である社員のみなさんのお話を聞いてみたいのですが、社会人と学生の違いはなんだと思いますか?」  「私たちがお答えするよりも、これはみなさんに話し合っていただく場なので。」  冷静な一言。そして静寂。重苦しい空気。「終わった・・・」という空気が流れる。集団面接でさえ、一人のスタンドプレーで全滅すると言うのに。しかもここは志望者3万人、採用30人のスカイクリスタル、わずかなミスでもグループ全員アウトが当たり前の世界。  ディスカッションの後は、初めての学生同士でもなんとなく喋ったりするものだけど、その時は誰も一言も口をきかなかった。一つの夢の舞台がついえたという感覚。 それでも。実際はまだ分からないという、微かな希望にしがみつく。二日後。通過者のみに来るはずの連絡は来なかった。悔しさ、悲しさ、もどかしさが洪水のように溢れ出す。もしもあの時、もっと毅然とした態度をとっていれば。それがどう転ぶのかは分からない。だが、雰囲気を壊すことを怖れて言われるがままだった自分は、やはり弱い。そう思われて仕方がない。自分がいちばんなりたくなかった自分の姿のように思える。「もしも」の話に意味は無いと分かっていても、勝っていれば。そう、世界をつなぐ翼に自分が携わっていれたら、どんなにか幸せだったろうかと思うと、とめどなく切なさが溢れ出して止まらない。どんなに願っても茶番のようなディスカッションであっけなく散る夢。  何で分かってくれないの?どんな気持ちでここに立っていたかを。  自分の中に棲んでいる何かの声が聞こえてくる。  「所詮は弱肉強食。実力の世界だよ。いくら思っても思っても、それだけじゃ受け入れられないんだよ。」  「憧れ?夢?そんなものは邪魔だよ。固くなって小さく丸まって何も喋れなくなるだけじゃない。」  「気持ちだけで突っ込んでいってもダメだよ。大人になろうよ。駆け引きを覚えなよ。」  こんなに好きなのに、こんなに思っているのに、どんな努力だってするのに、これで終わりなのか。こんな一瞬で、こんな茶番で、夢のない奴と一緒にされて終わるのか。  心の中でいくら叫んでも今さら届くことなどない。  今までは何日もダメージを引きずることはなかった。倍率が高すぎるとか、そんなに行きたい会社じゃなかったとか、所詮は本当の戦いの前のプレリュードに過ぎないと嘘でも自分を納得させることもできた。 しかしスカイクリスタル戦は痛かった。思い描いていた未来が晴れ渡る空だとすると、そこに大きな黒い雲が出てきた感覚だった。それでも、今日も明日も戦い続けるしかない。もはや勝つことでしか報われない思いなのだから。
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