Sky Smile Story

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地下にある三条京阪駅から地上に出たところでスマホが鳴った。画面を見て緊張が走る。父だった。  「授業もうないんだろ。一度帰ってきたらどうだ?これからのことを話そうじゃないか。」  「いや、まだこれから大事な試験があるんだ。」  今はとにかく集中したい。  「お前の気持ちは分かる。だがそろそろいいんじゃないか。こっちに帰ったらいろいろな選択肢を用意できる。」  もうゲームセットということか。そういうわけにはいかない。  「気持ちはありがたいんだけど、そんなコネで会社入っても、後からいろいろ嫌なこともあるだろうし。」  「そうはいってもなかなか難しいだろ。どこか内定あるのか?」  「・・・いや、まだだけど」  「お前は何かやりだしたらカーッとなって止まらなくなることがある。昔から負けず嫌いだったな。だが大人になったらそういうわけにもいかないんだ。自分のことばかり考えてないで、周りを見た方がいい。まずは入れる所に入ることも大事だぞ。」  周り周りって、その周りが自分の望むものではない時、どうしたらいいのだろう。それでも巻かれろというのか。  「カーッとなるとか、確かにそうだけど、そういう熱い気持ちがあったから、今までやってこられたっていうのもあるし。」  適当に落とし所が分かる人間だったら、今の大学には入れなかったと思っている。そこまでは何も間違っていなかったはずだ。  「そのあたりは俺も育て方を反省しているんだ。俺も母さんも悪かったって思っている。」  なんだそれは?いきなり間違いを認めないでほしい。じゃあ何?今の自分は失敗作だということなのか。頭の中に怒りと切なさが溢れてくる感覚があった。  「今までよくやってきたよ。そんなに無理しなくていいから、帰ってくればいいんだ。それでうまくいくじゃないか。」  できるまでやめない、いつもそういうスタイルでやってきた。シンプルだった。今まではできるまでやめないことが正しいことだったから、何も問題なかった。成績という家族も周りも誰もが認めるものだったから。  今振り返れば、勉強と部活だけ、学校と家の往復だけの日々も楽しかった。自分に負けない強さ、誰にも負けない技術、努力が報われる喜び、やればできるんだという自信、上を目指しているうちに、この道の果てはどんなところに続いているのだろうと想像すれば幸せだった。今だってそれを否定する気はない。そういう積み重ねの時代があったからこそ今、関空というピッチに立てる。夢のピッチへ。それなのにどうして・・・。  「今までそうしてきたから、今度も自分の力で試験に受かりたという気持ちはよく分かる。お前の力ならそれもできて当然だ。だが今は時代も厳しい、そして体のこともある。」  駄目押しの一言。力が抜ける。もう何も話せない。話せないまま一方的に打ちこまれ、電話を切る。今までもそうだったし、そう言えば面接でもそうだった。何か不利なこと、自分を否定されるようなことを追求されると何も言えなくなる。心のいちばん深い所で言葉がリピートされる。自分はダメなんだ、間違ってたんだ、ああ、またやってしまった、と。相手の言葉を、それが危険だと分かっていても全部飲み込んでしまう。そうしていないと「カーッとして人が何をいっても聞かない人間」になってしまうようだったから。どこにも吐き出せない気持ちが自分の中に溜まっていく。  できないのは自分が弱いからダメなんだ。人に評価してもらえないのはまだまだ足りないからなんだ。いつもそうやって追いこんできた。関空以外にたくさんの会社を受けているのも、きっとそんな性格が影響しているのだろう。親や周りの言葉の節々に見える「お前はできる」という期待、そんな期待すらを超えてみんなを唸らせる結果を常に求めてきた。もちろんコネは使いたくない。  ではどうしたらいいのか。親も納得、大学の看板からいっても成功者の部類に入り、今まで通り周りかも賞賛され、そして、自分が熱くなれる会社、そんな会社と戦って戦って、未だ内定なし。   「やあ、待ったかな」  約束の時間通りに川嶋は現れた。  今のタイミングであまり会いたい相手ではない。だが内定がないのなら、絶対に話すべきだと。半ば強引に呼び出された。  「普段、たいしたもの食っていないだろ。今日は遠慮せずにやってくれ。」  駅から徒歩数分の餃子が有名な中華居酒屋。セツナと行った中華街とのこの気分の違いは何なのだろう。ただ食欲はなかったが、たしかにうまかった。お金の心配なく、好きなものが食べられる。来年の自分は果してそうなっているのだろうか。  川嶋から、今まで受けた会社をヒアリングされる。  「なるほど、運輸に旅行、商社、英語系の教育、マスコミ、映画・・・、なかなか幅広いラインナップだな。」  就職活動を始めるにあたって決めたテーマは「Chain your dreames・・・アジアの、そして世界の架け橋に」。応募人数から言っても難易度の高いところばかりだ。  ふーっと川嶋がため息をつく。やはり気に入らないラインナップなのだろう。 「富の再生産という言葉は知っているよな?」 おもむろに問いかけてくる。  「はい、産業革命の」  「そうだ、じゃあ四大工業地帯で輸送機械の比率が高いのは?」  「中京工業地帯。」  瞬間的に答えが出てくる。  「ここまで言っているのに、学校では大事なことを何一つ教えてくれないもんだな。」  そう言うと川嶋は紹興酒を一口あおる。  「まあ、そこのマーボ豆腐でも食べながら聞いてくれ。辛いのは大丈夫だったか。」  「はい、まぁ・・・」  「君が受けている会社で、きっと第一志望はスカイクリスタルだったな?」  曖昧にうなずく。関空の名前は出していない。それだけは批評の対象等ではない、不可侵の領域だと思っているから。  「昨年の売上高は知っているか?」  「いえ、知りません。」  「約一兆円だ。」  関係のない会社だろうに、よく知っているものだと思う。桁が多すぎて実感がない。正直、一兆だろうが一億だろうがあまり興味がない。そんなことで選んでいる分けじゃない。  「京大の奴はほとんど受験しないだろうが、たとえば愛知県には実は一兆円規模の会社がゴロゴロある。世界の自動車生産一位を争うあのメーカーは別格としても、そこだけじゃない。D社にA社にJ社、T社系列でいえばBとかS。みんな日本のフラッグシップキャリアのスカイクリスタル同等以上の規模だ。」  バスケかバレーのチームであったような気がする。その程度の記憶だ。  「だが全国から受験に来るというほどでもない。東海地方でそこそこの大学を出ていれば入ることは可能だ。いや、それは言い過ぎだな。学歴フィルターはしっかりあるし、難易度が高いのは事実だ。大学のランクでメーカーのピラミッドのどこに入れるかはきっちり変わってくるんだ。でもいいんだ。そこの二次・三次の全く有名ではない子会社だとしても、売上数百億円の規模が当たり前。給与水準の高い業界だから、ピラミッドの3位グループといっても頂点の7~8割の給料。それで実は待遇としては、スカイクリスタルとたいして変わらない。十分アッパーミドルの暮らしができる。」  注目されない優良企業はたくさんある。その話は前に聞いた。  「親も子も代々、同じ会社ではないが自動車系という家も多いように思う。その辺に住んでいればなんとなくルートが見えるんだよ。あぁ、自分のポジションなら、こういうランクの会社に入ってこういう生活が待っているんだっていうルートがね。俺たちの故郷では、それは見えない。周りに新卒採用をしているような会社がほぼなくて、みんなバラバラになるからな。 そう、そして東海地方から出なくて、実家住まいだったら、経済的な余裕はかなりのものだ。新入社員がレクサスやBMWに乗って出勤してくることも珍しくない。俺達だったら、免許取ったら最初は中古の軽かコンパクトカーから始めろよって思っちゃうよな。 いずれにせよ親から子へそうやってきっちりしていけば、いずれは親の土地に広い注文住宅を建てて、何不自由ない暮らしができる。それこそが富の再生産だと思わないか。なあ、高級外車のディーラーって東京の次は、名古屋に進出するんだぜ。大阪じゃない。言っとくがベンツやBMWの話をしているわけじゃない。ベントレーにマセラティ、アストンマーティン、舞田にいた頃なんて土建屋の社長が乗っているクラウンが世の中で一番いい車だと思っていたのにな。」  乗り物は全般に好きだが、それも公共交通機関の話。バスの車名は全て分かるが、外車には全く興味がない。そもそも乗ることのない高級外車の名前を覚えるより、高速バスで何度も利用する車両を知っていた方がよほど人生で役に立つと思っている。  一息置いて川嶋が言葉をつないでいく。  「こんな話もある。隣の静岡にはあるブラックな企業がある。そこは、社員数は700人くらいだが、毎年200人以上採用している。だが、社員数は何年も増えていかない。これの意味は分かるよな。その会社は、地元の学生が志望してもまず採らない。学歴フィルターじゃない。東大から元ニートまで採用する雑食のくせに、地元だけは採らない。なぜなら実家住まいだったら、家族が気付くからな。この会社はおかしいって気付いてすぐに辞めさせる。昔は地元も採っていたが、親からのクレームがかなりあったらしい。それならまだしも訴訟沙汰になって、悪い噂も立ちだした。だからわざわざ住居手当を出してでも遠くの学生を集めて一人暮らしさせ、会社とはこういうものだと叩きこむ。例えば休みの日に会社に来ることが上に上がる者の基本だってね。実際のところ、地方出身の高学歴な奴が多いらしいよ。すさまじく頭はよくてしっかりしている。だが世間を知らない。プライドは高くて、夢だトップだというそれらしい言葉に弱い。ブラック企業にとっては絶好のカモだ。プライドをくすぐる言葉で巧みに誘い込み、使い捨てる。一方で、愛知からわざわざ家を出てブラック企業に入る例はほとんどないという印象だ、何が言いたいか分かってくれるか。」  そう問われても言葉が出てこない。  「正しく知ることだ。周りの環境を知り、そして自分の現在地を知ること。」  「ちょ、ちょっと待ってください。」  たまりかねて言葉をはさむ。  「自分はそうならないように今までやってきたつもりです。」  川嶋の表情は変わらない。そんなことはすべて織り込み済みであるかのように。  「だから、そのつまり・・・、いざ入りたい会社があった時に、周りだの自分の現在地がどうのこうのであきらめなくてもいいように、やれることはやってきました。結果も出してきたつもりです。」  「京大に入ったことがそうだということかな。」  「それが全てだとは思っていません。学歴で決まるなんて甘いものじゃないことはわかっています。ただ少なくとも挑戦権は持っているんじゃないかと。実際書類は通過して面接には呼ばれるので、会社の方からしても全く候補じゃないなんてことはないはずだと・・・。」  「そうか。」  少しだけ考える素振りを見せた後、川嶋はバッグから一冊の本を取り出した。ビジネス書のようだ。  「中身はどうでもいい。こっちを見てみてくれ。」  裏表紙に著者のプロフィールが書いてあった。  一橋大学卒業後、2年間世界を旅する。その後ボストン大学大学院で現代美術を学ぶ。ニューヨークアート界の重鎮ポール・マケインに師事。帰国後、株式会社イーストウィンドを設立。主に東南アジアの現代アートを発掘し・・・、講演活動や執筆活動など精力的に展開・・・  「特に珍しいものでもないだろう。大体、本を出す奴だとこんな感じだ。さて、君はどうだろうか。今から海外の大学院に行けるだろうか。会ったこともないアメリカの重鎮とやらの弟子になれるだろうか。会社を興せるだろうか。」  言葉に詰まる。大学の成績も決して悪くない。だが、今から海外で生きていけるイメージがつながらないのだ。  「そうだよな。例えば、『次のテストで〇〇ページから〇〇ページが範囲です』と言われた場合、君にかなう人間はまずいないだろう。そう、愚直に完璧に。言葉を選ばずに言えば決められたレールの上でコツコツ努力して、誰よりもいい点数を取る。もちろん高校までそれを完璧に続けて京大にまで辿りつくのは簡単なことじゃない。ただ暗記すればいいなんて生易しいものじゃない。応用問題ばかりだから、持っている知識を駆使して演繹的な思考もいる。スピードもいる。一つ二時間の試験を4科目やるスタミナだっている。・・・だが評価の線から外れたらどうだろうか。」  認められたい。賞賛されたい。なぜならそうすることで自分が生きていてもいいと思えるから。  「それが悪いといっているんじゃない。99パーセントの人間はそうだ。君は優秀な人間であることは間違いない。だがレールから外れてリスクを取ることはできない。  世の中には、家族も周りもみんな敵にまわしても自分を貫いて、他の誰にもできない結果を残しにいく人間もいる。もちろん本を書いているようなやつはその中の一握りの成功者で、その陰には日の目を見ることなく堕ちていく人間のほうが圧倒的に多いだろう。」  「つまり周りを見て入れる会社に入った方がいいということですか。今まで通り与えられたレールの上でいい点取っていた方がいいと。そこに自分の夢とか持ち込むとおかしくなると。」  そういうことかな。遠くを見ながら川嶋はうなずいた。  「実力で正面突破できるのは大学入試までだよ。そこからは偏差値の世界じゃない。何万人も受けるスカイクリスタルに正面からエントリーして、学力と熱意でいっても、とても通用しない。どうしてもやりたいことがあるというなら時には寝技も覚えないといけないんだ。」  寝技とはなんなのだろう。それが分からない自分が無知なのだろうか。  「とはいえ・・・」  川嶋が、ふーっと再びため息をつく。そういう演出なのかもしれない。  「たまらんよな、実際。いきなり梯子を外されたようなもんだろ。」 梯子?次は何を言い出すのだろう。  「最初のフィルターは高校だったかな。」  問いかけながら少し充血した目で、川嶋が顔をのぞきこんでくる。  「市域はやたら広いから、分校みたいなのも含めて中学の数はそこそこあったよな。それぞれの地域のトップが舞田の特進クラスに集まる。みんな自分の地元では「辺境の絶対エース」だの「一族の誇り」だの言われて、鳴り物入りで高校に入ってきた・・・、と自分でも思っている。まずそこで選別される。」  たしかにそうだった。最初の定期テストの後、学校に来なくなったクラスメートもいた。40人クラスだが、卒業時は36人だった。  「次は大学だ。同じく高校のトップが集結する。」  正直、京大に入ってくる奴はみんな相当にできる奴だと思っていた。だが現実は違っていた。一般教養の語学の試験で、普通に不合格者もいた。別に遊んでいたわけでもなさそうなのに。不思議に思った。大学に入ることだけが目的で、そこで力尽きたのか。あるいは京大の入試を解くというその一点だけを極めただけで、もともと実力が伴っていなかったのか。  「何度もふるいにかけられ、そのたびにしがみついて這い上がってきた。てっぺんまでいけばいい景色が待っていると信じて、どんどん登ってきた。あとは、就職サイトに登録して、夢もプライドも周りの期待も満たせる会社にエントリーして、もうすぐ人生「あがり」のはずだった。ところが蓋を開けてみれば、実はそのスタイルは面接には向いていませんでしたというわけだ。登るだけ登って高いところから落ちたら、そりゃ痛いよな。  周りも本も音楽もキレイごとばかりだ。将来の可能性は無限大、夢に向かって努力すれば何にだってなれる、さぁがんばろうってな。」  何も言い返せない。梯子の先にあったのは天空のガーデンなどではなく、ただの壁だった。梯子が尽きれば地面にたたきつけられるしかないのだ。  「こんな話を前にしたところで君はとても受け入れられなかっただろう。だから時期を見計らっていた。なあ池谷くん、方向転換するなら今が最後のチャンスだ。あと2週間遅れればエントリーできる会社は大幅に減ってしまうだろう。君の気持ちは分かる。ここまでがんばってトップをはってきたんだから、好きな会社に入りたい。福利厚生や離職率で会社を選んで何が楽しいんだってね。だが、辿り着く先はどうだろう。世界だイノベーションだのと魅力的な言葉で君のような優秀な人材を食い物にするブラックかもしれない。若いうちはそれでもがんばれるだろう。しかし5年後、10年後後悔する可能性は高い。休みが不規則で家族との時間もとれない、不安定な会社で住宅ローン審査も通らない。いずれそういう現実をつきつけられることになるだろう。」 現実を突き付けるために、機が熟すのを待っていたということか。一体、なぜ。疑問をぶつけてみる。 「川嶋さん。なぜ舞田出身とはいえ、面識のない僕にこんな話を?」 「俺は、来月会社を辞めて松下政経塾に入る。そして次の舞田市長選に出るつもりだ。  おいおい、人に現実見ろといっておいて、この人は何を言っているんだ。市長なんて簡単になれるものなのか。 「しがらみの多い町だ。代々土建屋の社長が市長やっているからな。厳しい戦いになると思うが、勝算がないわけではない。」 「なぜ、わざわざ舞田の市長なんて・・・」 「自分の生まれ育った町が廃れていくのが見てられない。そう思うのはおかしいか。」 ビジネスに徹する人間だと思っていたが、実は熱い心を秘めていたということなのだろうか。 「高齢化率が4割に迫る町だ。必要なのは若い力であることは言うまでもない。ところが、実はよく見てみるとUターンで戻ってきている人間も一定数いる。ただそれがブラック企業に使い捨てにされてボロボロになって戻ってきたというんじゃ、起爆剤としてはなかなか期待できない。やはり故郷を離れてやってきた経験を地元にフィードバックしてくれるようでなくちゃ困る。都会に出た奴もそうだ。知らない街で一人、非正規で、なんとか自分ひとりの生活をつないでいるといった状況では、なかなか地元に還元できるものもない。親のために実家を建てかえるとまではいかなくても、せめてふるさと納税をはずんでくれるくらいは期待したい。」 なんとなく、この人の描くストーリーが見えてくる。 「分かるか、池谷くん。舞田には優秀な人材がたくさんいる。だが、希望を持って都会に出たものの心と体を蝕まれて、輝きを失っている人間も少なくない。俺はその状況から変えていきたいと思っている。」 自分はそのためのサンプルケースということなのだろう。 「君は成功者として、舞田の活性化に貢献できる逸材だと見込んでいるんだ。今がその正念場なんだ。」 地元の誇りは持っている。大好きな故郷の活性化に貢献できるというなら、やぶさかではない。そこまでは彼のストーリーを共有できるだろう。後はこれから何をするかだ。それ次第では川嶋と地元の明るい未来を語り合う熱い酒席になったかもしれない。だが、重苦しい時間だけが過ぎてゆく。 「さて、シメは上海焼きそばなんてどうかな。」 シメてもらえるなら、この際なんでもよかった。 「今日はありがとうございました。」 ようやく店を出た解放感。だが、この後家に帰ったら、もう一度就職サイトでラインナップの見直しをすることになるだろう。 「ずいぶん説教くさくなってしまったな。この後は、もっと楽しい形で世の中を知ってもらおうかな。」 「いや、明日も面接なので」 咄嗟にうそをつく。 「そんなに自分を追い込んだって、受かるものも受からないよ。長くひっぱらないから、ちょっとだけ付き合ってくれ。」 連れて行かれたのは、祇園の少し裏通りに入ったキャバクラだった。一応、お金持っていないと抵抗してみたが、無駄だった。 ただ、初めての経験。緊張と共に期待感のあったことは事実だった。そう、初めての海外のように。  違う世界がある、店に入って一瞬でそれを感じた。もっと派手なだけで怖いところかという先入観もあったが、そこは洗練されたプロの世界だった。店の内装から案内するスタッフの姿勢、おしぼりの出てくるタイミング。そしてキャストの所作と会話の一つ一つ。人を楽しませるということをとことん真剣に極める。大袈裟だが、どんな職業も関係ない。生きるということはここまで極めることなのかと実感した。  「こんばんはー。エリナです」  年齢は川嶋くらいか。もしもキャンパスにいたら、きっと男子の会話の中に頻繁に登場していただろう。美しい人だった。それでも、とっつきにくいということもない。適度な人なつこさや性格の良さを感じさせる内面からの美を漂わせる人だった。  極上の美しさとスタイル。ドレスの胸の谷間にくぎづけになる。どこまで計算しているのだろう。ただ色気を出しているというのではない。あともう少し隠していたら物足りなく感じただろうし、もう少し露出が多くてもだらしなさを感じたかもしれないその。想像力をかきたてるギリギリのコントロールに畏怖を覚える。 「夢を追いかけるのもいいが、大人にはこういう楽しみ方もあるぞ。好きなもの食って、かわいい女の子と話もできる。長期休暇には海外旅行だ。会社なんて、入ってしまえば結局どこもイヤなものだ。人生を豊かにするのはそこじゃないかもしれないぞ。」  この場にいると、なぜか恐ろしいほどの説得力を持って、川嶋の言葉が入ってくる。 「あら、お兄さんは将来に悩んでいるのかな。」 エリナの顔を正面から見られない。ついつい少し下、ちょうど胸元に視線がいってしまう。問われるままに今の状況を話す。短時間で要点を聞き出すのもプロのテクニックなのだろう。 「そうか。大変だよね。夢も叶えたい、周りの期待にも応えたいってなるとね。」 「両方は無理だよ。そういう夢は持たない方がいい。会社に入ってしまえばいつの間にか夢なんて消えてしまう可能性が高い。十年後にはどうやって安定した収入を得られるかということばかり考えるようになっているさ。」 ますます上機嫌な川嶋がかぶせてくる。 「そうかな、私は夢のある人の方がいいと思うなぁ。」 エリナが完璧な笑顔を投げかけてくる。自分の顔が紅潮して変な汗が背中をつたうのが分かる。 「夢を持てる人間は絶対に強い。たとえ叶えられなくて、形が変わっていったとしてもね。いつかは誰かに託してディスプレイ越しに応援するだけの夢になってしまうかもしれない。それとも仲間たちと『あの頃は熱かったな』って昔を語り合うだけの夢になってしまうかもしれない。たとえそうだとしても、人生のある瞬間、そこに向かって本気で努力したことは決して無駄にならないって私は思う。次の瞬間、地面に叩きつけられたとしても何度でも何度でも嵐を超えて飛び立つ鳥のように。これはナウシカに出てくる言葉だったかな?」 たとえ叶えられなくても。負けた時のことなんて考えられないし考えたくもない。ただ、エリナのいうようにこの瞬間は、どんな結果になろうとも必ず人生において意味があると思う。 「ただ、今のままじゃお兄さんは受からないと思うな。」 一瞬、何を言われているのか分からなかった。川嶋さえも一瞬きょとんした表情をしている。ここは客を喜ばせるところじゃないのか。 「厳しいことを言うようだけど・・・」 まさか、川嶋の仕込みなのか。いや、彼の表情を見てもそうではないようだ。  「お兄さんは、今までずっと優等生で怒られることなんてしたことがなかったでしょ。」 まあその通りに違いない。 「だから、人と対立することを避けてきた。」 否定はできない。 「何か嫌なことを言われても、不本意なことがあっても、自分の世界に逃げ込んで、自分の成績や評価を上げることで乗り切ろうとしてきた。そう、自分が弱いからダメなんだってね。もっと自分ががんばればいいんだってね。そうすれば人と戦わなくてもいいから、いちばん楽だからね。」 当たりすぎてうなずくことさえできない。 「今まではそれで十分だった。でも面接は違うでしょ。相手は、この学生を採用するための理由、ストーリーがほしいの。はっきり言ってあなたの夢なんてどうてもいい。そのためには、あたかも相手が望んでいることが、まさに自分の夢でしたというふうに語らなければならない。」 今までの面接を通して、本当は分かっていたはずだ。だが、無意識に受け入れることを拒んでいた。それを受け入れてしまえば、そういう戦いにしてしまえば、自分の勝てる戦いではなくなってしまうようだったから。空気を読むというのが苦手だった。もちろん周りを無視して自分勝手にしたいというのではない。ただ飲み会の場でも、自分から話題をふることはできない。何がこの場の正解なのか分からなくて、「え、今その話?」みたいな反応をされるのが怖いのだ。 「そのためには会話の中で、相手の望む答えを見抜いていかなければならない。そしてもしも相手が気に入らないと感じているなら、そのサインを決して見逃さず軌道修正しなければならない。でもお兄さん、それ苦手でしょ。自分はこんなにがんばってきました、こんなにこの会社が好きなんですって押しちゃって、相手のサインに気づけないんじゃないかな。 ねぇ、相手が怒っているのに、なんでこの人は怒っているんだろう、って思ったこと今までになかった?」 どんな能力を使えば、会って数十分でここまで分かるのだろう。全てが的確だった。 状況に追いついてきた川嶋がかぶせてくる。 「どんなに自分が完ぺきにやっていても、相手ノーと言えば、ひたすら頭を下げないといけない。社会ってそんなもんだよ。正解を言えばいいというもんじゃない。夢がじゃまになることもある。相手がイエスと言えば、それが答えなんだ。 とにかく、会社にとって人間はいちばん高い投資なんだ。定年まで2億円といったところだ。今までは所詮お金を払って教育というサービスを受ける側だから、なんだって自由にできた。これからは逆なんだよ。金のために自分を削って売らなければならないんだ。」 「でも、さっきは夢を持っていた方がいいって・・・」 すがるように問いかける。 エリナが優しく語りかける。 「そうだよ。でもそれはわざわざ出さなくてもいい。熱い心は見せびらかさなくても伝わる人には必ず伝わる。あなたとあなたの大事な人たちが分かってくれればそれでいいの。」 エリナは一貫して穏やかで、説教くさくもならない。圧倒的な現実を突きつけられても、最後には不快な感じもしない。なるほど、そういうことなのかと妙に納得させられる。これもプロのなしえることなのだろうか。 「ねえ、アンパンマンで誰が好き?」 突然、エリナが聞いてくる。 「さあ、あまり考えたこともないけど、アンパンマンかな。」 「私はバイキンマンが好き。」 突然のバイキンという言葉とエリナの美しさのアンバランスさにどきりとする。 「いつも負けているけど、野望を持っている。そしてどうしたら倒せるかを日々研究してチャレンジしている。何度やられても諦めない。一方、正義の味方ってなんなのかな。特に自分から叶えたいことも見られない。敵が攻めてきてから、みんなで対処する。ある意味、受動的じゃないかな。しかも一回は敵にやられるからね。だったら私は夢を叶えるためにはバイキンマンになってもいいと思っている。こんな日本の幼児教育を否定するようなこと、とても言えないけどね。」 「いやいや、言っているじゃないですか。」 思わず笑顔になれたのは、この夜、初めてかもしれない。 悪役になってもなんでもいい。叶えたいなら結果を出せ。現実は厳しいがそういうことなのだろう。 「とびきりの笑顔の下で、相手に銃口を突き付ける。それくらいの気持ちでいってもいいと思うよ。」 この夜の街で実際にそうして生きているのだろう。そう思うと説得力が違う。 情熱は秘めたまま、しなやかに、したたかに。 一時間ほどで店を出て、ようやく川嶋から解放された。川嶋の経済力はよく分からないが、さすがに長時間いるのははばかられるのだろう。 「なんか厳しいこと言われちゃったな。大丈夫か。」  別れ際、川嶋が少し申し訳なさそうに言ってきた。最初の川嶋との食事よりも、よほど有意義な時間だったと言いたかったが、それは口に出さないでおく。礼を言って別れる。なんだかんだいっても自分のことを心配してくれているようだ。結局悪い人ではない。 帰りの電車の中、今日を振り返る。 過去の自分は変えられない。今の自分もそう簡単には変えられない。欠点は確かにたくさんある。所詮は与えられた教科書の内容をただただ完璧に、そういう弱い人間なのかもしれない。 それでも・・・、夢は捨てられない。今さらスタイルも変えられないし、変えたくもない。ただ、結果を出すためには、必ずしも自分を全て出さなくてもいいのかもしれない。面接で勝つための発言。今まで書類選考のエントリーシートでは、夢とか熱い心というキーワードを散りばめてきた。書類は全て通過していたから、この路線は間違っていないと思っていた。だがそこは軌道修正が必要なのだろう。面接ではもう少し通過することに特化した発言をした方がいい。 受ける会社はどうしようか。関空受験の際の精神的安定を考えれば、ラインナップの拡充は必要だ。そう言えば、OBを名乗る人物から会いたいという連絡も来ていた。たしか信託銀行だった。まったく興味がない業界だったから日程の返事すらしていなかったが、せっかくだからそういうところもあたってみよう。 そこまでがこの夜、出した結論だった。
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