Sky Smile Story

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5月初旬、雨上がりの水曜日。草木の雫を宝石に変えていく朝の光がそこかしこに満ちてくる。関空の一次面接にふさわしい一日のはじまり。あれ以来、面接の悪いイメージは払拭できていない。でもかまわない。他の面接と一緒にするな。今日は死ぬ気で行く。それだけだ。  筆記試験の日と同じ朝の儀式、自分に掛け声をかけて家を出る。あぁ、この感覚・・・。やっぱり違う、この一歩一歩の重さが違う。京橋まで出て、近空行きの快速へ。乗り換え時間ももどかしくてホームをあちこち歩き回る。この朝の風景を隅々まで心に刻むかのように。そして構内放送が響く。  「まもなく1番ホームに、関西空港行き快速電車が6両で到着します。白線の内側までお下がり下さい。」  たかが駅の放送なのに、「関西空港」という単語が耳に入ってきただけで体がびくっと震えるような感覚がする。落ち着かないといけない。今からこんな具合では面接までに疲労してしまう。朝も早かったし、体力を温存しないといけない。  電車の中ではできるだけリラックスするように心がける。環状線から阪和線に入ると一気に加速。車窓にだんだんと高いビルが少なくなり、やがてゲートタワーを横目に電車はスカイゲートブリッジへ。和歌山へむかう本線から分岐し、橋へ入る加速の瞬間、ウォークマンの再生ボタンを押す。晴れた日の浜辺のような雄大で優しい有里知花の歌声がきこえてくる。ここから空港駅までの所要時間は約4分30秒、ちょうど一曲と同じくらい。橋を越え、やがて電車はターミナルに吸いこまれていき、曲が終わると同時に駅へ到着、そして立ち上がる。計算通り。最高のスタート。  面接まではあと90分ある。なぜこんなに早く来たかというと、国際線に乗る時に空港に来るのが出発時間の90分前だからだ。世界へ旅立つ時に90分前なら、今日も90分前。今日が自分にとって世界につながる日だと信じているから。  人から見れば、いちいち馬鹿みたいなルーティン。自分の世界ばかりで、だからダメなんだって言うだろう。いいさ、馬鹿でも。淡々とここに来て面接をするなんて、どうせ自分にはできるはずもないから。  今日ここにきた意味、そのことを確かめるかのようにゆっくりと歩き出す。ターミナルの入り口を通る時、いつものように一礼すると、近くにいたアジア系らしき外国人が怪訝な顔をしていた。これが日本人の習慣だなんて、まさか思わなければいいけど。巨大なターミナルをゆっくり時間をかけて歩く。何のために戦っているのか、最近の就活で失いかけていたその意味が、崇高なこの空間を歩くたびに心に甦る気がする。ターミナルに隣接するショッピングモールにも行ってみる。そこへ行くには動く歩道もあるけれど使うことはない。そう、今日は京橋駅でも一切エスカレーターは使っていない。夢につながるこの道は、自分の足で歩んでいくと決めているから。  モールの本屋で立ち読みする。欲しい本がちょうど出ていたけど、今日は買わない。今日勝って、またここに来られたらその時こそ買おうと心に決める。こんな「心残り」を作っておく癖がついたのは、入院したあの時からかなと思い出す。欲しいと思う本などを買ってもらわないで、とっておく習慣があった。死ねない理由をいっぱい作っておくために。生きたい理由を一つでも多く作っておくために。今日も同じ。絶対生き残る。  10分前に集合場所へ行くとすれば、自由になる時間はあと40分ほどという時刻になっていた。心を落ちつけ、最後の「儀式」をするためターミナル2階のスタバに入る。アイスカフェラテを飲みつつ、スマホに入れているアルバムを開く。イギリスへ行った時の写真。今まで生きてきた自分の軌跡を降り返り、未来への情熱を最大限に呼び覚ますために持ってきた。ゆっくりとページをめくりながら感動の連続だった日々に思いを馳せる。遮るもののない緑の地平線、夜空に刻まれた星の光、そして時空を超えて生きる力でありつづけるかけがえのない出会いの数々。  ウォークマンを取り出し先ほどのアルバムの続きを聴く。穏やかな海、青空に架ける旅路、そんなこの場所によく似合う歌。    So I sing this song for you   And I will walk my long way   But I promise you   I will return to you     (有里知花「花」より)    そう、約束しよう。必ずここにまた戻ってくると。十二時四十七分、ターミナル2階での集合時間まであと13分。さあ行こう。    人間というものはあまりに必死だった時の記憶は、あんまり残らないものらしい。二日前のことなのに、自分が何を話したかあまり覚えていない。ただ「失敗した」って思う瞬間は一度もなかった。最後まで堂々とやりぬいた感触だけはある。今日の午後、関空から電話があれば、次に進める。面接は二回だから次が決勝。昼過ぎ、家で電話を待っていたけど、いても立ってもいられなくて、用もないのにキャンパスへ来た。来たところで何も手につかない。購買をうろうろしてもさしあたって買うものもない。それにレジに立った瞬間、電話がきたら困る。パソコンを使おうにも満席。研究室に行ってもこんな状況で知り合いと話したりできるわけがない。図書館に行っても集中して本が読めない。結局図書館のロビーで最新の時刻表をめくってみる。関空発着の国際線をチェックする。ソウル便の機材の一つがA330からB777に大型化されていた。よかった、搭乗率がいいんだ・・・。あぁ、新しい路線が増えている。ウラジオストク便が週2往復、S7航空のオペレーションでスカイクリスタルとコードシェア、機材はA320か。最近減便や運休が相次いでいたからすごく嬉しく感じる。やっぱり関空はすごいな、と思わず笑みがこぼれる。  その時、ポケットの中のスマホが振動する。一瞬パニックになる。手が震える、ポケットの中の携帯をつかむことができない。焦る。ここは図書館の中だ、外に出ないと・・・。人気のない場所に走りながら取り出すと、ただのメール受信だった。開いてみると、  「今なら500ポイントプレゼント!」  絶望と送信者への怒りで涙がこぼれそうになる。力が抜けて座り込む。電話を待っているこの瞬間がいちばんきつい。結果の伝え方にも会社によっていろいろある。合格者のみに電話かメールで連絡。あるいは合否に関わらずメールで連絡。 どこかの会社に落ちる時、合格者のみへの連絡であれば、落ちたっていう事実を瞬間的につきつけられることがなく、徐々に「たぶんもう落ちたな」という感覚が伝わってくる。合否に関わらず連絡の場合は、かすかな期待を持ちつづける切なさがない分、メールを見た瞬間の一発の衝撃がずんとくる。どちらがいいのかは人によって意見も分かれる。一突きで殺されるか、じわじわとなぶり殺されるかの違いだ。だから会社によっても様々なのだろう。  こんな待ちの苦しさが何十回も繰り返されると、刻まれるダメージもかなりのものになってきている。電話が鳴るたびにいちいち飛びあがっていたら身がもたない。もっとドライに、落ちたら次って割り切れたら楽なのに、それもなかなかできないでいる。  カバンを置いたままだった席に戻り、息をつく。かすかに手の震えが残っている。何もできないでじっと時計を見つめる午後二時四十分。果たしてどれほどの可能性が残っているのだろうか。あとどれくらいの時間、希望を持っていられるだろうか。  その瞬間、再びスマホの振動が伝わる。落ちつけ、落ちつけ、落ちつけ・・・。震える手で取り出す。画面に映し出される番号・・・、市外局番を見ただけで分かる、あそこからの電話だって。勝った・・・!    関空最終面接の日。五月雨がずっと同じリズムでアスファルトを叩いている。じめじめとした空気もちょうどいいクールダウンになるかもしれない。これまでの30数社の挫折と悲しみを洗い流すかのような空の恵み。大地に叩きつけられた幾多の思いはいつしか巡り、流れとなり、そしてまたいつかどこかで新しい命として甦るだろう。  結局今日まで内定は一つもなかった。自分の何が悪いのかって、負けるたびに考え、小さな答えを積み上げてきたけど、それでもまだ結果は出ない。そして今日という日。関空最終決戦。これさえ勝てば5ヶ月にわたるこの戦いも最高の形で終わりを迎えられる。最後の力を今日のこの30分の面接のために。  説明会、筆記試験、一次面接・・・、通い慣れてきたルートをたどるのも今日で最後。いつも通り京橋から1150円の切符を買う。就活する学生は大体みんなプリペイドカードを持っている。中には定期券を買っている学生もいるらしい。自分も以前はカードを買っていたが、もう買わない。これから先も続くことを想定していたくないから。この一回で決めるんだという気持ちで一回ずつ、片道ずつ買う。大規模な説明会の時、明らかに同じ目的と思われる学生が駅に集結していることがあった。その時、帰りに駅が混むことを想定して先にチャージしたり、帰りの切符を買っている人たちを見て、これは違うと思った。帰りのことなんて考えなくていい。そう、生きて帰ってこようなんて思わなくていい。刺し違えても戦い抜くんだっていう気持ちでいくべきではないか。たかが面接に何をオーバーな、って失笑されるだろう。でもこれが今まで重ねてきた自分のスタイルだ。  ランウェイで死ねたらそれでいい。 胸の高鳴りは最初に関空に来た時と変わっていない。ここまできたらコンディションなんて関係ない。快速列車は今日も心地よく加速する。岸和田を過ぎたあたり。右側の車窓に高い山が見えなくなる。海が近い。  ゲートタワーは今日も凛と立ち、迎えてくれる。湾岸の空、雲の切れ間を光が貫き、空港島はまるでスポットライトを当てられたかのように光り輝いている。その光に吸い寄せられるように、ランウェイをロンドンにむかう白いB787が滑り出すのが見える。美しく荘厳な飛翔の物語のはじまり。  前回と同じ90分前の到着。ターミナルには新規就航したウラジオストク便のポスターがあちこちに貼られている。ポスターを見つめ、「おめでとう」とつぶやく。そして前回と同じ儀式、最後は関空戦のイメージソングで集中力を高める。  最終面接、相手はかなりの幹部社員と思われる5人。対して学生は3人。その中の一人は北海道から飛行機で来たという。説明会から数えれば今日で4回目、交通費は出ていないから大変だろうに。それでも来るという情熱は心からリスペクトできる。だからといって今日だけは負けられない。最後の戦いが始まる。  「関空の情報をどのようにして集められましたか?」  「オフィシャルサイトのプレスリリースのほか、航空関連の雑誌、時刻表は毎月大体見ています。また最近出た○○出版の『空港民営化の行方』、あるいは××ブックスの『アジアの航空新時代―生き残るハブ空港の条件―』などにも目を通し・・・」   悪くない流れだ。就活のための付け焼刃の情報収集じゃない、本当に好きで自然と身につけてきた情報だから。  「かなり熱心に勉強されたようですね。その中でどのようなことを思いましたか。」  「関空は、3500メートル・4000メートルというパラレルの滑走路を持ち、完全24時間運用という国内では圧倒的なプレゼンスがあります。Fedexが北大西洋ハブと位置付けていることからも分かるように、空港機能・利便性とも高いポテンシャルを持っています。しかしアジアでは今世紀に入り、KLIA、仁川、上海浦東、そして北京新首都と4000メートル級の滑走路を複数持つ空港の建設が相次いでいます。これらの空港は豊富な用地、着陸料の安さなど多くの魅力を持っています。その中で関空がアジアのハブとしての確固たる位置を確立するためには飛行機だけにとらわれず、空港の価値を高めていく必要があります。例えばイギリスのBAAは空港内のショッピングモールである「エアモール」の経営で成功を収めていますが、間空でも・・・」  ただ間空が好きで好きで、というのではなく、時には問題点も指摘できるように。マニアックな知識をひけらかすだけに終わらないように。一言ずつ最大限集中して、慎重に言葉を紡ぎながら、それでもテンポは崩さないように話す。なんとか「よく研究している」っていう印象を持たせることができればいいのだが。  面接がはじまって20分くらい過ぎただろうか。おそらくあと質問は一つか二つ。なんとかいい流れでフィニッシュしたい。  「池谷さんはエントリーシートの志望動機のところに「世界をつなぐ仕事がしたい」というようなことを書かれていますけど、それだったらうちでなくても、例えば旅行会社とかでもいいんじゃないですか?」  「・・・・・・」  一瞬頭がフリーズする。こんな質問がないわけじゃないっていうのは分かっている。持ちこたえなければいけない。  「はい、確かに旅行会社も魅力を感じています。ただ、人々に旅行を通して新たな体験を提供していくためには、まずインフラとしてネットワークが整備されていることが重要と考えまして・・・、」  大丈夫だ。いける。あともう少し。    ぐったりと背もたれに体を預ける。帰りの電車は早くもスカイゲートブリッジを越え、大きく左にカーブする。午前中は時折光の差していたはずの空が、今は少し重苦しく見える。危なかった質問はあれだけだった。それもなんとかつなげた。ほかの質問はちゃんと答えられた。もう後は電話を待つだけ。もうできることは何もない。今は少しだけ休もう。
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