Sky Smile Story

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 二日後。採用なら今日電話がかかってくる。 長い一日、そうあまりに長い一日だ。そんな長い今日という一日も残りが着実に少なくなっていく。ゆっくりと、でも絶え間なく。起きてから何も手につかないまま午前中が過ぎてゆく。昼の十二時。一日の半分が過ぎる。もしもこのまま何も起こらず短針が一周したら。そう考えると胸が押しつぶされそうになる。あと12時間?いや、実際そんなに残されていない。夜遅くに電話をかけてくるはずはない。就活で電話がかかってくるのは夕方から午後九時頃までが多い。リクルーターなら自宅からかけてくるのだろう、午後11時というのもあった。いや、会社の勤務時間中にかけてくるとしたら午後6時がリミットか。それとも前回の通過の連絡が午後2時41分だったことを考えれば、今回もそのあたりと考えるべきか。いつリミットと考えるべきか推測をめぐらしても、答えは出るはずもない。答えを知っているのは関空だけだ。  もどかしい。ただ目の前のスマホの着信音が鳴るだけ。ただそれだけ。すごくシンプルなことだ。それで全て上手くいく。こうしている一秒後にさえ鳴り出すかもしれない。そうしたら終われる。この長く厳しかった戦いを晴れやかに振り返ることができるだろう。なんて幸せなエンディングだろう。それにはもう自分から何もしなくていい、ただ電話が鳴るだけで手に入る幸せ。あまりに簡単なことだ。長かった、辛かった日々が今日で終わる。いや、もしかしたらあと一秒で終わる。そして続いていくのは夢にまでみた未来。あの夢の舞台で過ごす未来。世界をつなぐ夢の舞台。その場所の一員に。きっとこれからは生きる意味を追い求め、すがりつくことなく生きていこう。自分がこの世界で小さな灯となれるように。さあ、電話が鳴れば、全てはそこから始まる。  そう、これまでだって全てが順調だったわけではない。京大の模試でC判定だったこともある。それでも最後は期待通りの結果を出してきた。今回もきっとそうなのだ。電話が鳴れば、今までの不合格なんて関係ない。最高の結果でエンディングだ。あんなこともあったなと振り返るだけだ。   電話が鳴ったらその後は何をしようかと想像する。もう将来の不安に押し潰されることもない。毎日のような面接への交通費を確保するため、切りつめていた生活も終わりだ。閉店間際のスーパーで値引き品を選ばなくても、今日くらいはコンビニで300円のスイーツを買ってもいいだろう。そうだTSUTAYAに行って、いつものように旧作から探すのではなく、何も気にせずに新作を借りるのもいい。久しぶりの贅沢をしよう。 戦いに集中するため、ずっと連絡を取っていなかった友達にも連絡を取ってみよう。いや、それよりもまず今まで心配ばかりかけてきた両親に感謝を伝えよう。お盆には実家に帰ろう。そうだ、和菓子が好きな母にこの前テレビで紹介していた京都駅の伊勢丹で売っている限定スイーツを買って帰ろう。父には何がいいかな。そして地元に帰ったら、大切な仲間たちに会いたい。強い気持ちで戦えたのは、熱い心を教えてくれたかけがえのない仲間たちのおかげだ。久しぶりに語り合いたい。うまく帰省のタイミングが会えばいいな。 その次は、今までの激戦の地を巡ってみたい。そう、巡礼の旅だ。支えてくれた音楽と一緒に、戦いの果てに散っていた熱い情熱を辿ってみたい。新宿のGlobai Destinations戦、なんばのスカイクリスタル戦、池袋のAtlantis Films戦。どれも人生に刻まれる熱い瞬間だった。 ただそれらは後からでいいだろう。今日はこの後、とにかく自分をほめてあげよう。  次の一秒で鳴れ、ほら・・・、来い・・・、来い・・・、心の中で唱える。3、2、1、Go!スマホはまだ沈黙している。そら、あと一回、たったあと一回鳴ればいいんだ。電話が鳴るだけ。いつもあること。そう、難しいことでもなんでもないじゃないか。今まで就活で何十回も電話を受けてきた。もう一回、たったあと一回でいいんだから・・・。お願い・・・。さあ来い・・・。来てくれ・・・。  大丈夫。まだ時間はある。きっと今頃、関空の人事担当者が電話をかけようとしているところだ。さあ、3、2、1、Go!・・・。行けっ!、鳴れっ!来いっ!・・・  一秒、また一秒、静寂の時間は、しかしとどまることを知らず、ゆるぎない時の流れは確実に夜へと向かう。時折スマホをたしかめる。圏外になっていないか。電池は切れていないか。壊れていないか。何も異常はなかった。ただ、沈黙を守ったままだった。   祈りが悲しみに変わり出したのはいつの頃だろう。夕刻のせわしい街が赤く染まる頃、薄暮の空に鳥たちが翼を広げる頃、そして星たちが光として夜空をめぐる頃。長い長い沈黙を続けるスマホ。 静寂の中に一つの物語が終わる。  ずっとずっと夢見てきた関空、そこで働くはずの自分はもういない。その事実がとてつもなく重くのしかかる。面接では「この会社に入ってやってみたいことは?」と当たり前に聞かれるから、いつも会社に入った未来の自分をイメージしてきた。仕事の後、社屋の屋上でランウェイの果てに沈む夕日を眺め、フライトの行方に思いを馳せる自分の姿。そんな想像の未来も今は幻。好きで好きで、とにかく好きで、フライトスケジュールも、世界中の空港コードも、航空会社の保有機材も、航空用語も自然に覚えて、関空のためなら命を賭けても仕事ができると思って・・・、でもそんなものは関係なかった。 なんだよ、就活なんて・・・。怒りをぶつけようにも心にも体にも力が入らない。夜の部屋、一人きり。内定はない。  人間誰だって、好きなことやっている時が強いに決まっている。能力が足りないなんて思わないし、足りないのなら何だってする。ランウェイの上で命尽きるのなら、それでもいいと思える。何十社、同じようなセリフを重ねて、作られた面接で勝ち抜いた人間と自分、どっちが関空にふさわしいというのか。好きな仕事をする。そして生きる意味を見つける。なぜこんなに果てしなく儚いのだろう。 午後十時、電話が鳴る。こんな時間、ダメだとは分かっていても電話に飛びつく。  父からだった。  「どこか決まったのか?」  「・・・いや、まだ」  「もうすぐ夏休みだろ。いつ帰ってくるんだ?」  「・・・これからまだ受けてみるから。」  「そんなにたくさん受けるからなかなか決まらないんじゃないか。お前なら一つ受ければ受かると思うぞ。」  重すぎる「お前なら受かる」っていう言葉。受からなかった。30数社も。初めて親の意向に応えられない自分、親の期待を裏切り続け、結果を残せないこと、そのことがもうふがいなくて情けなくなって涙がこぼれる。何とかしたい。明らかに矛盾している、自分のやりたいことをやりたいと思っているくせに、親の期待に応えられないと、救いようもなく苦しくなる。  「そんなこといっても倍率が何百倍、何千倍なんだし、1社だけなんて無無理な話だよ。」  倍率が高いということを強調して、自分が間違っていないということを認めてもらいたがる弱さ。  「お前は頭がよすぎるんだ。だから向こうもお前みたいなのがいると、自分が出世できないからって採らないだけだ。だからもうそんなことはやめて・・・」  違う。そんなフォローは苦しくなるだけ。  「そういうのじゃないって。京大でも受かる人は受かっているし。」  「じゃあ一体どうしたいんだ。倍率高くて受からないんだろ」  「・・・だ、だからそれはやり方を変えて、・・・父さんのいうように1社に集中してみて・・・」  かみ合わない会話に父が苛立つのを感じ、動揺する。分かってほしくても上手く伝えられない。結局親に誉めてもらいたくて、認めてほしくて、必死でその言葉を引き出そうとしている。それがもうずっと昔からの癖になっている。  「とにかく夏休みには帰ってきてくれ。ほら、そろそろ検査するタイミングだろ。社会人になったら、長い休みも少なくなるから、今のうちにやっておけば安心だ。」  今の心身の状況での検査入院。何本もの注射、局所麻酔をしても消せはしない感触。耐えられる気がしない。  「・・・それはもうちょっと待ってほしい。」  「なんでだ?時間はあるだろ?」  「今はまだこれから先が見えていない・・・。そんな状況で検査を受けてもいい結果にならないかもしれない。それよりも未来を見つけて、自分がこれから先、生きていてもいい、自分が生きていても間違いじゃないんだっていうことを証明してから、そう強い気持ちになれてから・・・」  「そうか。そこまで自分の好きなようにやりたいんだったら、もう何も言わない。受けたくなければ受けなくてもいい。ただ、どうなっても、もうこちらではサポートはできない。自分の体のことも含めて自分で責任を持ってやっていくんだぞ。」  「いや、受けないとか言っているんじゃなくて、もう少しタイミングを・・・だから生きる目的を持って・・・」  これから先、生きていくなら、熱くなれる会社を、グッとくる会社を。そう思ってやってきたつもりだった。気がついたら来年からの居場所も家族も失っていた。あまりにあっけない終焉だった。全ては自分のせいだ。結果も出せない。いつまでも自分の思いだけで突っ走っているくせに、認められたいと願う弱い心。もうどうしようもなかった。    昨日から電気もつけていない。ぼんやりと壁を眺めているうちに、やがて少しずつ闇が薄くなり、部屋に白い光が差しこむ。何があっても誰にも平等に朝がくる。  丸一日何も食べていないせいか、少しフラフラする。それとも、昨夜一睡もしなかったせいか。いや、ずっと起きていたのか、少しは意識が飛んでいたのか、よく分からない。食欲は全くないが、とにかく少しのパンとコーヒーを胃に流し込む。頭痛もあるし、まばたきをするたびに目が焼けるように痛い。それでもフラフラとパソコンを開き、かたっぱしから受けられる会社を探す。どこの会社でもいいというわけじゃない。関空への思いにつながっていけるところだ。航空会社の採用はとっくに終わっている。最初に思いつくのは旅行会社。とはいっても旅行会社も留学斡旋業者も、大手はとっくに終わっている。小さくてもいい、世界をつなぐ夢を、あのフライトを、あの感動を。そうだ、関空発着のツアーを企画できる会社なら・・・。新卒向け就活サイトには旅行会社はもうあまり載っていないから、こうなったら検索エンジンで。フォームに「旅行会社 採用情報」と入力、検索してみる。なかなかめぼしいのがない。次に「採用情報」を「人材募集」に変えてみる。次は「求人情報」に変えて。その次は「リクルート情報」で。今度は「旅行会社」を「海外旅行」に変えて検索、次は「ツアー」で、それでダメなら今度は「ホームステイ」、「海外生活」、「語学留学」、「海外ボランティア」。 そうして何時間もひたすら必死で検索エンジンと格闘していた。もう周りも何も見えていない。ただかすかな可能性にすがりつき、敗北の辛さを覆い隠すために今から戦える夢を探す。そうしないと自分が保てない。ただただ自分が間違っていないことを証明するため、内定という証を求める。今まで知らなかった、隠れたすごい企業を探し出して、大逆転するしかない。とにかく微かな可能性があれば履歴書を送り、とりあえずでも「結果待ち」という状況を作る。今まで何ヶ月間もそういう状況だったから、せめて結果を待つという状態にしないと自分が保てなかった。  そこからはもう下り坂を転げ落ちながら、小さな希望に一瞬しがみついては引き裂かれるような日々だった。焦って焦って、もう何をしていいのか分からない。小さな旅行会社は履歴書を送ってみても返事はない。ある留学斡旋業者に問い合わせてみても、「申し訳ありませんが新卒は採りません」であっけなく終了。この時期に内定がなくて焦っている新卒なんて、企業からしたら魅力も何もない。今までは当たり前だった面接に行くことさえ、もはやできない。  もうボロボロだ。次は関空にリムジンバスを出しているバス会社、その次は関空の近くにあるホテル。そのうち志望動機なんて分からなくなる。関空から世界に旅立つ人のためになるなら。そこに関空があるなら。とにかく関空だ・・・。そんなことで受かるはずもない。けれど他の志望動機、これまで落ちた三十七社よりももっと説得力のある志望動機を語ることなんて今の自分には到底出来ない。気がつけば未来は果てしなく遠くなっていく。誰とも会いたくない。ただ昼も夜も関係なくパソコンと向かい合うだけの日々。  関空戦が終わってから半月ほど経ったある日だった。いつものように近所のスーパーへの道を自転車で走る。心と裏腹に天気だけはいい。でもそんな空を見上げる気は少しも起こらない。4年間通いなれた道、歩道のない狭い道を走っていると、前から車がやってくるのが見える。次の瞬間、恐ろしい考えがよぎる。「今、車のほうに飛び出したらどうなるだろう?」って。 まさか、自分がそんなこと考えるはずがない。その車とすれ違うと、すぐにまたもう一台やってくる。背筋に冷たい汗が流れる。ハンドルを握る手が自分の意識を離れたかのように硬直する。「今、飛びこんだら・・・」ほんの一メートルでも道の真ん中の方に行けば。車は当たり前のようにどんどん近づいてくる。破滅に向かう考えが頭から離れない。今さら生きている理由がないなんて、たかが会社に落ちただけだろ、って言い聞かせても。 筆記試験までは何の問題ないのに面接で相手にされない人間、つまり人にいい印象を持たれない人間、社会人としてやっていけない人間、必要とされない人間、生きていてもしょうがない人間・・・。そんな言葉ばかりが次々と思い浮かび、悪い想像の連鎖がとどまることなく、闇へと引きこんでゆく。このまま永遠に面接で受からなければ、いずれは当たり前のようにそこにあった暮らしもなくなるだろう。衣食住もいつまで確保できるか分からない。国民皆保険とはいっても、やはり経済力だ。今までは親が提供してくれた最高の医療もままならなくなる。最後は何もできず、誰からも受け入れられず、どこかのガード下で、誰にも気づかれることなく、心臓発作で一人苦しみながら息絶える。そんな自分の姿が浮かぶ。今まで育ててもらったのに、今までがんばってきたのに、未来は続いていると信じていたのに、なんて情けないんだ。もう消えてしまいたい。もういいじゃないか。 そうして車が近づくたびに冷や冷やするような感覚が何度も繰り返される。このままでは闇に食われる。気持ちが変な方向に行かないように、面接なんてただの技術の問題で、面接に通らなくても生きている人は世界中にいくらでもいて、悪いのはむしろ今の日本の経済で、今の日本の新卒採用のやり方で、って自分に何度も何度も言い聞かせ続けながら、やっとの思いで家に帰り着く。そのままベッドにもぐりこみ、ひたすら眠った。
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