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――秋田県某所。
平屋に引っ越してきてから一週間が経ち、荷解きも終わったころだった。慣れない2人分の家事に加賀は疲労を感じつつも、清らかな空気の中で深く息を吸うことだけは忘れなかった。この日加賀はしばらく使う予定のない荷物を、奥の部屋へ運び込む作業に着手することにしていた。
「ついでに換気をしておいてくれ」
縁側で煙草をふかしていた和泉が声を上げる。加賀は適当に頷いて大きく窓を開けた。その瞬間に僅かなドブの香りが鼻を突いた。
「そういえば近くに川があるのだったな」
いつの間にか後ろに立っていた和泉が呟く。ふとした時に聞こえる川のせせらぎを思い出した。
「見に行ってもいいかな」
「行ってくると良い。昼までには帰りなよ」
気が向いたときに食事を作ると和泉は言ったが、今日はその時ではない様子だ。加賀は父親に悪戯を許されたような気分で、いそいそと靴を履いて坂を下って行った。
坂の横にはどこかに続く細い道があった。川があるとしたらその先だろうと思った加賀は、坂を下りて横道に入って行った。ちょっと進んで顔を上げると、さっきまでいた平屋が見える。
湿り気を帯びた風が肌をかすめた。夏が近い。夏の匂いがする。
コポコポと泡がはじけるような音がした。眠るときに聞いていた水音が近いことに加賀は気が付いた。何となく雨上がりのような場所だった。思わず剥き出しの腕をさすってしまうほどに悪寒がした。肌を舐める様な生ぬるい何かが、常に蔓延っているような感覚だ。
爽やかで涼し気な場所をイメージしていた加賀は、落胆の表情を浮かべる。しかしながら、水の透明度は高く視覚的な神秘さは損なわれなかった。
水底が見えるほどに浅く、緩やかな川である。近くに小さな滝があったが、小さな子供が遊んで水しぶきを上げる程度の勢いしかなかった。
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