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「いってきまあすっ!」
その日の俺はランナーと化していた。
なんで、三つもセットしてある目覚ましが鳴らねーんだよ!
忙しく足を動かしながら、時計に目をやった。八時五分。
冗談っ!駅に着くのが二十分、電車が二十二分。授業ぐらい無遅刻で出ねーと、平常点が!
文武両道をモットーにしている学校は、生活態度や出席率にはやたらチェックが厳しい。
こんなことなら、パンクしたチャリの修理代使い込まねーで、さっさと直しときゃよかった!
表通りは人が多すぎて、俺はさっと路地裏に入り込んだ。やたらと古い作りの街なので、駅周辺なんかは細くうねったような道がいっぱいなのだ。
路地裏は細くて人通りが少ないため、逆に人が避けて通るためがらがらだった。
池の側の小さな神社の前を通り過ぎようとした時だった。突然、ざざざ、と大きな木の葉が風に揺れた。
「柚木くん」
突然名前を呼ばれて、俺はびくっとして足を止めた。
俺の前後に人がいないのは、確認している。どこだ?
「柚木くん、こっちよ」
低くもなく、高くもない、不思議な音域の女の声が、含み笑いを混ぜて聞こえてきた。
風もないのに葉を揺らしている木の下で、女が笑っていた。
見かけないセーラー服に、背中まであるふわふわとした髪がまとわりついている。
「久しぶりね、柚木くん。その後、サッカーの調子はどう?」
鮮やかに微笑んで、セーラー服の少女が俺に尋ねた。
「…おかげさんで、絶好調だよ。あんた、誰」
明らかに待ち伏せていたような現れ方に、不信感の目盛りがどっと上がる。
だいたい今日ここを通ったのは、目覚ましや自転車なんかの不幸が重なったからだ。歩きでは地元の人も通りたがらない裏道に、女が待ち伏せてたりするもんか?
「仕方ないか、柚木くんはあたしのこと忘れてるもんね。でも、名前くらい知ってると思うんだけどな」
くすくす、と女が笑う。まるで、人をからかって楽しんでいるように。
「高天早紀、っていうんだけどな」
…あの、昨日の奇妙な手紙の…!
ワインレッドに、痩せた猫の消印…[魔女]からの手紙。
「あんたが、魔女!?」
まるっきりイタズラだと思い込んでいた俺は、ぎょっとして叫んだ。
「そうよ。去年の契約の失効と、再契約について来たんだけど」
「冗談だろ!?今時魔女なんか、いるはずねーだろ!」
どう見ても普通の女子高生にしか見えないセーラー服の女は、少しむっとしたように言った。
「初めての場合はよく言われるけど、柚木くんの場合、一度契約したこと覚えてないからやり難いのよね」
「俺がいったいなにを契約したって言うんだ?だいたい俺が魔女と契約したのを覚えてないって、なんであんたが知ってるんだ?」
魔女と契約した、なんて信じたわけじゃなかった。ただ、何のために俺にあんな手紙を寄越し、自分は魔女だと言って現れたのかが、知りたかった。
「あなたの記憶は消されたの。正確に言えば、去年あたしと関わった時期の分、記憶を消されたの。だから、あなたはあたしのことを知らない。でも、あたしは知ってる。あなたが一年の時Dクラスだった事も、ずっとレギュラーになりたくて、頑張っていた事も」
まるで独り言のように、自称魔女は言った。
感情のこもらない台詞が、冷たいようで悲しそうにも聞こえた。
それでも、言ってる内容が当たっているだけに、俺は何か背筋に冷たいものを感じた。
「あんまり沢山一度に言っても、混乱するだけね。考えておいて。あなたが今のままのあなたでいるか、昔のあなたに戻るか、選ぶとしたらどっちがいいかを。期限は、ハロウィーンの前日まで。またね、柚木くん」
それだけ言うと、魔女はセーラー服を翻して、木の後に消えた。
「待てよ、おいっ!」
てっきり後に隠れたと思って駆け寄ると、魔女は跡形もなく、本当に消えていた。
まさか…本当に、魔女!?
真剣にぞくっとするのと同時に、風がざざざ、と木の葉を揺らした。
『あなたが今のままのあなたでいるか、昔のあなたに戻るか』
いったい、何の事を言ってるんだ…?
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