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「あんた、あんた!」
男が、ハッと目を開け、ゆっくり周りを見渡します。
「口元、よだれたれてるわよ」
口元を拭く男。
「何、寝ぼけてんのん?」
「ここは」
「うちに決まってるやん。外行っても腹すくだけやから、節約の為に昼寝するって言って寝たんやないの」
「……夢か」
「ずいぶん、喜んだり、泣いたり、怒ったり、してたで」
「……うなぎ ……食べてん」
「え、うなぎ食べたん? ずるいわー、一人だけ」
「お前も食うたやないか、俺の分まで」
「食べてへんって。何言ってんの? で、どんな、うなぎ食べたん?」
「うな重、八万円」
「八万円!」
「この世の物とも思えん、極上のうなぎ」
「ええやんええやん。それなのに、何ふくれっつらしてるんよ?もっと、嬉しそうに、ハキハキ喋ってーや。……え、八百円だと思ってお店に入った。そしたら実は八万円で…… お金がない…… 強面の料理人に囲まれて腕を取られそうになった…… そしたら、うちが…… え、肌襦袢の内側からお金を…… いや、そんな、持ってへん持ってへん、嫌やわー」
男は女を見つめました。
男が肌襦袢の中を見ようとします。
「ちょっと、やめてーや。もう!」
「持ってへんって。……そこにはね。……いえ、何でもない何でもない。それで……八万円ものうなぎを食べてしまった事が悔しくて腹の虫が治まらない。フフ、ハハハハハ」
「笑うな!」
「だって、ただで八万円ものうなぎ食べたのに怒ってるんやもん」
「ただ?」
「そうやん。だって夢やねんから」
「てえと、俺は八万円ものうなぎを、ただで食べたんかい?」
「そうや」
「そりゃあ、すごいやん」
「そうやで」
「ほんなら、何で俺怒ってんねん?」
「知らんわよ。おかしな人やなー。こっちが聞きたいわ」
考え込む男。
「理屈は分かった。しかし、何や、この釈然とせえへん感じは、納得いかへんねん」
「分からん人やなー。八万円ものうなぎを、ただで食べたの」
「分かっとう、分かっとうけどやな、たとえ夢でも八万円払っちまった事が許せへんねん。腹の中にもやもやが渦巻いてこう、悔しくて、悔しくて、悔しくて……」
男はポンと手を叩きました。
「そや。よし、俺、もう一回行って来る」
「やめーや。今度は腕一本取られんで」
「大丈夫や。白いご飯を持って行く」
「はぁ?」
「それを店に入らず外で食べる」
「何よそれ?」
「お前も来るかい? これが、夢にまで見た、うな香り丼や」
「……いってらっしゃい」
「じゃ」と言うと男は、グガー、グガーといびきをかき始めます。
「ほんとにこの人は…… でも、ま、いいとこもあるからね」
女は、枕の下からお金をそっと取り出しました。
「へへ、へ・そ・く・り」
にんまり微笑みます。
「しょうがない、今日は奮発してうなぎにしますか。ただのうな丼。今日は記念日でもない、何の変哲もない、ただの日なんだけどね。でもね、でも。あなたと、うな丼なんて食べたら。特別な日になるわ。……うううん。ただ。ただ。ただの日なんてないのよ。うな丼食べなくても」
「毎日が毎日が初めての1日。毎日が特別。ただ、今日はちょっと色を添えるだけ。あ、香りか? ううん。味もね」
「特別な日になるわ。今日はうな丼にしましょ。ね」
終わり
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