366人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
1 生贄のトウキ
目の前にある大きな門を見上げた。こんなに立派な門を見るのは初めてで、柱のきれいな模様をぼんやりと眺める。
「おまえは鬼神様の生贄に選ばれた。これは大変名誉なことだ。くれぐれも鬼神様のご機嫌を損なわぬよう、精一杯お仕えするように。決して逆らったりしてはならぬ」
「はい」
「では、この門の奥へ進むがいい。よいか、決して逆らわず、誠心誠意、鬼神様にお仕えするのだぞ」
「はい、わかりました」
頷いた宮司様は僕に小さな荷物を渡すと、馬車に乗って来た道を戻って行った。
残された僕は、言われたとおりに大きくて美しい門に近づく。こんなに大きな門を僕ひとりで開けられるだろうかと思っていたら、ギィ、ギィィと音を立てて開いてくれて助かった。
よし、と気合いを入れて、荷物をしっかりと抱えて門をくぐる。
「ふわぁ……」
門の先には、これまた見たこともないようなきれいで大きな建物があった。
僕がいた社も立派だと思っていたけれど、目の前の建物のほうが何倍も、何十倍も立派できれいだ。やっぱり鬼神様の住まいだからだろうなぁと納得する。
「よし、がんばろう」
何をどうがんばればいいかわからないけれど、宮司様からは何度も「鬼神様のご命令に従い、誠心誠意、お仕えするように」と言われたから、きっと鬼神様が何かしらご命令してくれるに違いない。鬼神様にきちんとお仕えすることが生贄の役目だと教わったから、言われたことをがんばるのが僕の役目だ。
まずは鬼神様に会って、それからあいさつをして……、そう思いながら立派な建物の入り口を開ける。
(うわぁ、長い……)
入り口の先は玄関と言っていいのかわからないくらい広くて、二段高いところから真っ直ぐに廊下が延びていた。廊下の両側は何本もの柱が並んでいて、柱の奥は庭のように見える。
(あれ? 庭の中に廊下があるってこと?)
社ではほとんど自分の部屋にいたから、こういう造りの建物のことは知らなかった。でも木や花が見えるから、柱の奥はたぶん庭だと思う。部屋の小さな窓から見えていた庭も、こんな感じだった。
「生贄で来ました、トウキと申します」
勝手に入るのは駄目だろうと思って、廊下の奥のほうに声をかける。しばらく待ってみたけれど、誰かが出てくる気配はない。
「あのぅ、僕、生贄で来ましたトウキと申します!」
今度はさっきよりも大きな声を出してみた。でも、結果は同じだった。
もしかしてお留守なんだろうか。鬼神様は神様だけれど、人と同じようにお出かけするのかもしれない。
じゃあ、帰って来るのを待っていよう。そう思って入り口の端に座ろうとしたとき……。
「生贄が『生贄で来ました』とか、ふざけた挨拶しやがって」
「ひゃっ!?」
「……なんだ、このひょろっこいチビは」
急に声がしたかと思えば、これまた急に背の高い姿が見えてぴょんと飛び跳ねてしまった。
どなたかわからないけれど、鬼神様のお屋敷にいるのだから、あいさつしなければ。生贄というのは最も低い身分なのだと教わったから、どなたに会っても、まず頭を下げなければいけない。
だから慌てて頭を下げようとしたけれど、できなかった。
(ふわぁ、すごくきれい……!)
目の前に現れた背の高い人は、これまで見たことがないくらいきれいな人だった。
真っ黒な髪の毛は宮司様よりずっときれいに光っていて、それが足下まであるなんてきれいすぎてうっとりしてしまう。それに右が黒で左が赤い目なんて、初めて見た。
全身がとてもきらきらしていて、光るものをほとんど見たことがない僕には眩しすぎる。それでも見ずにはいられなかった。
きれい、きれい、きれい……そんな言葉が頭の中をグルグル飛び交っていたせいで、僕は頭を下げるどころか、きれいなその人を食い入るように見つめてしまった。
「……おい」
「ひゃっ! も、もも申し訳ありませんっ。あの、僕、生贄で来ました、トウキと申しますっ」
声をかけられて、慌てて床に座って頭を下げたけれど、……失敗してしまった。まさか到着してすぐに失敗するなんて。禰宜様たちのお話を一生懸命聞いて勉強したのに、失敗してしまった。
もし、目の前のこの方が鬼神様だったら、機嫌を損ねてしまったに違いない。あれだけ宮司様からも言われたというのに、満足にあいさつもできないなんて……!
「おまえ、本当に生贄か?」
「は、はいっ。生贄で来ました、トウキと……」
「それはもう聞いた。つーか、生贄が普通、『生贄で来ました』って言うか? おまえ、おかしいのか?」
(しまった、あいさつの言葉が間違っていたんだ!)
誰に会ってもあいさつは大事だと禰宜様のお話にあったから、鬼神様にお会いしたときにも必要だろうと思って勝手に練習していた内容が間違っていたんだ。こんなことなら宮司様にお願いして、きちんと教えてもらっておけばよかった。
「まぁいい。こっちも具体的な要望は出してなかったからな。それでまさか変な餓鬼を寄越してくるとは思わなかったが……。おいこら、そんなところで土下座してないで立て」
「ひゃっ」
「いちいち変な声をあげるな」
「は、はい……っ」
怒っているような声に慌てて立ち上がる。
二段上にいたきれいな人が、一段降りて僕の頭を掴んだ……って、え!? 頭、片手で掴まれた!?
「……貧相だな。ほとんど棒切れじゃねぇか」
「も、申し訳ありません」
「霊は珍しいくらい濁りがねぇが……」
顔をグイッと上向きにされて、ちょっと首が痛い。もしかして、僕の見た目がお気に召さなかったんだろうか。
社の奥にいた中では、たしかに僕が一番小さくて細かった。おまえが一番みすぼらしいのだと言われていたから、ほかの人たちのように宮司様や禰宜様たちに呼ばれることもなかった。
だから読み書きもほとんどできないし、鬼神様に祈る大事な言葉というものも習っていない。部屋の中で禰宜様たちのお話をなんとか聞いていたけれど、全部は聞こえなかったから間違えていることがきっとあるのだ。
「来てしまったものは仕方ねぇ。ついて来い」
「は、はいっ」
「靴は脱げ。そのままそこに置いといていいから、さっさと来い」
「はっ、はい!」
やっぱり僕がお気に召さなかったのか、きれいな人は怖い顔で廊下をさっさと歩いていく。
僕は慌てて靴を脱ぎ、小走りで追いかけた。ちょっと怖い人だなと思いながらも、目の前で揺れる眩しい黒髪に両目とも吸い寄せられる。
(きれいだなぁ。さらさらして、真っ黒で、つやつやで)
「こっちだ」
「ひゃっ」
「変な声を出すな。何度も同じこと言わせんな」
「ひゃ、は、はいっ」
真っ白な布を右手でめくって、きれいな人が布の向こう側に消えた。慌てて僕も布をそうっとめくって、後を追う。
(ふわぁぁ、きれいな部屋……!)
部屋の中なのに、真ん中に大きな池があった。そこにはたくさんの蓮の花が咲いていて、真ん中の塔のようなところから水が流れ落ちている。
(ふぉぉ、本物の蓮の花って初めて見た。本で見たものよりずっときれいだなぁ)
部屋の周りは廊下と同じような柱が何本もあって、やっぱりその奥は庭のような感じだった。
「さて、トウキと言ったな。おまえは今日から鬼神の生贄だ」
振り返ったきれいな人が、僕を見下ろしながらそう言った。
「はい、知ってます。誠心誠意、お仕えします」
宮司様に言われたとおり、生贄の役目は鬼神様に誠心誠意、お仕えすること。
「……生贄の意味、わかってねぇようだけどな……」
あれ? 僕、また何か間違えてしまった?
「あの、」
「まぁいい」
きれいな人が、蓮の花が咲く池の前のふかふかな寝椅子に横たわった。
ええと、僕もこのあたりに座っていいのかな……。そう思って床に座ったら、きれいな人が僕を見ながら話し始めた。
「俺がその鬼神だ」
「ふぇ!?」
あ、しまった、また変な声を出してしまった。慌ててきれいな人を見たら、いい加減にしろと言わんばかりの目で僕を睨んでいる。
「ももも、申し訳ありませんっ」
「……ったく、ろくでもない餓鬼を寄越したもんだな」
「も、申し訳……」
「その鬱陶しい謝罪もやめろ」
うぅ、言葉で謝ることができなくなってしまったら、ただ頭を下げることしかできない。これで大丈夫だろうかと思いながら、床に額をつける。
「はぁ、とんだ生贄だ。しかも貧相貧弱なチビの男なんて、どっちにしたって絶対に不味いだろ……」
最後の言葉の意味はわからなかったけれど、僕は初対面から鬼神様のご機嫌を損ねてしまったらしい。
こうしてお仕えすべき鬼神様との対面を果たした僕は、初日で失敗したぶん「これからがんばろう!」と決意した。
最初のコメントを投稿しよう!