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脈については、おそらく貴様は悶え苦しむ演技をした後にうつ伏せに倒れたはずです。片方の手を身体の下敷きにし、もう片方の手を投げ出した状態で。
ならば簡単な奇術ですね。脇の下にゴムボールを挟めば、一時的に腕の脈を止めることが可能です。もちろん、このゴムボールも常に隠し持っていたものです。
こうして貴様は桜野美海子の目を欺いた。
桜野美海子はまさか貴様があらかじめすべての用意を終えていたとは考えませんし、自分の犯罪に陶酔していました。それも一因でしょう」
「嫌だなぁ、無花果ちゃん。それじゃあまるで、僕がはじめから桜野が犯人だと知っていたみたいじゃないか」
「そう云っているのです」
軽口は通じなかった。
「貴様ははじめからすべて知っていました。そして、陰ながら桜野美海子をサポートしていたのです。
桜野美海子の犯行は能登の殺害から杭原とどめの殺害まで、すべてが深夜に行われていました。犯行を終えた彼女が部屋に戻った後で、貴様は落ち度がないか毎回チェックしていたはずです。落ち度が見つかった場合には、そのカバーまでしていました。
たとえば、そうですね、おそらく藍条香奈美は、本当にダイイングメッセージを残していたのでしょう。それは桜野美海子が見落としたものであり、貴様こそが藍条香奈美の手を借りて上から血を擦りつけ、消していたのです。桜野美海子は十一階にて自らの犯行の一部始終を話した際、これについて触れませんでした。彼女はあれを、単なる藍条香奈美の奇行と捉えて問題視していなかった。貴様が裏で隠蔽工作を施していたとは、夢にも思わなかった。
そしてもうひとつ、貴様がおこなった重大な事柄があります。
出雲の殺害です」
話を聞きながら、煙草を吸うでもない僕は何をしようと思って、桜野の真似をして指の腹で唇を撫でてみた。その仕草が気持ち悪かったのか、無花果ちゃんが眉を顰めたのですぐやめた。
「あの殺人には不可解な点が多くありました。桜野美海子の解釈も苦しいものでしたね。貴様がシャワーを浴びている最中に、臆病者の出雲が首切りジャックを中に入れてしまい殺され、しかし貴様は危害を加えられず……こんな茶番がありますか?
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