1日目「窓のない塔」

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1日目「窓のない塔」

    1  空が茜色に染まる時分。  出雲さんの運転する車は、鬱蒼とした密林に挟まれた細い山道をのぼっている最中だった。道の両端には、今朝に降ったらしい雪がまだ溶けずに残っている。 「滞在中に道が塞がったら大変ですね。閉じ込められてしまうんじゃないですか」  僕は斜め後ろから出雲さんに話し掛けた。 「そうですね。でも白生塔には充分な食糧の蓄えがありますから、閉じ込められても急を要する事態にはならないかと」  出雲さんは白生塔の使用人で、愛想の良い色白の女性だ。幼い顔立ちと薄い化粧のために高校生くらいに見えるけれど、実際は二十歳の僕や桜野とそう変わらないだろう。彼女はふもとの駅まで来た僕らを山頂近くにある塔まで運ぶ役割を担っている。 「ふふ。クローズドサークルかぁ。吹雪の山荘には凄惨な殺人事件がよく似合うよね」  隣の桜野が、独特の間延びした口調で会話に参加した。 「ちょっと、桜野さん、不吉なこと云わないでくださいよ」  臆病な性格なのか、出雲さんの笑顔は若干(じゃっかん)引きつっている。 「でもさ、獅子谷さんは意図してそういうシチュエーションに近付けてるんだと思うなぁ。だって稀代(きだい)の推理小説家だよ?」  桜野は先ほどから読んでいる文庫本を頭上に掲げた。その表紙には獅子谷敬蔵の名前がある。桜野は推理小説マニアというより推理小説ジャンキーの域に達しているので、獅子谷敬蔵の著作ともなればとうの昔に読んでいるはずだ。だから今は再読中なのだろう。 「獅子谷さんの小説には毎度、舌を巻いたものだよぉ。荘厳(そうごん)な筆致、重厚な物語世界、殺人の美学、まさに身も凍る狂気の文学だよ。塚場くん、君にも見習って欲しいね。君ったら一向に上達しないんだから」  桜野はにんまり笑って、視線をこちらに寄越した。彼女の活躍を小説にして生計を立てている身なので、僕は何も云い返せない。 「塚場さんの小説だって、すごい人気じゃないですか。私も愛読していますよ。作者ご本人とその主人公にお会いできて不思議な気持ちです」  出雲さんがフォローを入れてくれた。 「本当ですか。光栄です。ありがとうございます」 「いえいえ」  僕と出雲さんのやり取りに桜野は「君は女性と話すとすぐに鼻の下を伸ばすよねぇ」と溜息を吐いて、また読書に戻った。
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