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この世界の悪役令嬢
気を取り直して薄く黒い、小さな板──どうやらスマホというらしい──を見たリィン。
真夜の記憶を頼りにスマホを操作していき、小説の内容を表示する。
それは主に、こんな内容だった。
『──悩んだが、エミリーは友人から聞いたリィンにまつわる悪い噂を知らない様子であった彼女の婚約者であるアースに打ち明けることにした。
──『王太子の婚約者という立場を利用して、他者を見下しているらしい』と。
するとみるみる彼の顔は怒りに溢れていき、最終的にはこう告げた。
「……っ、そんなやつが俺の婚約者でいていいわけがないっ! 今すぐに婚約破棄を……そして、それを教えてくれたエミリーと婚約をしなければ!」
アースはエミリーの手を無造作に取ると、言い終わるよりも先にリィンの教室に向かった。
リィンは教室の自分の席に座って、必要な教材を鞄にしまっているところだった。アースを見るなり、急いで鞄を持って無邪気に顔を輝かせ近づいてくる。
「ごきげんよう、アース様」と挨拶をしたきり、彼の言葉を利口に待つ。
アースには、それすらも猫を被った薄っぺらい行為にしか感じられなかった。
リィンを軽蔑の眼差しで見つめると、少しの間の後、アースは冷たく言い放った。
「侯爵令嬢、リィン・ベリー! 俺はお前との婚約を破棄する。分かったか?」
ただ簡潔に、高らかに宣言したアース。
一方リィンは驚きを隠せないらしく、口を開き、こぼれそうなほど見開いた目に薄く涙を浮かべていた。
それも当然だろう。告げられた言葉は、あまりにも一方的だったものだから。
「えっ、あ、アース様……? ど、どうしてですの……っ! わたくしっ、将来のためにたくさん妃教育を受けてきたんですっ! 厳しくても、泣き言も言わず受けてきました! なのに、どうして……っ?」
「鈍いな。俺の気持ちを察することも出来ずに、妃教育を受けてきた……か? 馬鹿馬鹿しい! 金輪際、俺とエミリーに近づくな」
アースは続けざまにリィンを言いくるめる。その横では、エミリーがまるでリィンに怯えているかのような表情をしていた。
それでもリィンは、まだ諦めていなかった。
この期に及んでもまだ言い訳をする悪役令嬢のごとき姿に、まわりの生徒たちはリィンを非難するかのような目で見つめる。
「アース様……いいえ、アース殿下。最後にひとつだけ教えてください……っ。なぜ、なぜわたくしとの婚約を破棄するのですか? わたくしは、何も悪いことはしていないと断言できますのに」
リィンのそんな言葉を聞くと、アースは麗しい顔を思い切り歪めながら言い返した。
「この期に及んでもまだ言い訳をするか、白々しい。エミリーから聞いたぞ。俺のいないところでは、婚約者という立場故に他者を見下していたそうだな?」
「……なんの、ことですか。そんなこと……」
アースに事実を告げられたのが、よほど衝撃だったのだろう。顔色を青くして、よろよろと後ろへ下がる。
「ベリー様、安心してくださいっ! アース殿下のことは、私が幸せにしてみせますから。ですから……もう、あんなひどいことしないでください!」
エミリーの声は、リィンに響いたようだった。
そこまで言われれば、さすがのリィンでももう諦めがついたようだ。
青ざめた顔で制服の裾を掴みながら、震える声で言った。
「も、申し訳……ございません」
「ふん、みなの、それからエミリーの広い心に感謝することだな。俺は決して、お前を許したわけではない、そのことだけは忘れるなよ」
「……ご忠告、恐れ入ります」
リィンが力なく俯くのを見て、エミリーは誰にも聞かれないように息をついた。
友人から聞いた話は本当とは限らないし、本当だったとしても証拠がないと反論されてはなす術がないと思えたからだ。
しかしアースは相当がっかりしたのだろう、反論の隙さえ与えずに言いくるめてしまった。さすがは王子様、とエミリーはさらにアースを尊敬する。
エミリーは気を取り直すと、潤んだ目でアースを見つめた。
組んでいる腕に軽く力を込めながら困ったような顔をすると、こちらを見たアースが表情を緩めながら頬に手を伸ばしてきた。
「心配するな、エミリー。もう俺はお前の婚約者になったも当然だろう? あんなやつは気にしなくていい」
そういうと、アースはエミリーを抱──』
「……少し、うん。うん…………」
危うく、あのふたりのイチャイチャとするシーンを見てしまうところだった。
あのあとそんなやり取りをしていたと思うと気持ち悪くなる……気がする。
(あぁ、でも……そういうこと。この小説は、エミリーが主人公なのね。そして王子様はアース殿下、わたくし──いえ、私は……ただの邪魔者、つまり悪役令嬢……)
リィンは、さほどショックは受けなかった。
しかし、だからと言って今までリィンが過ごしてきた日々が、こんな簡単に決められていたことの方が辛かった。
リィンの心には、次第に怒りがふつふつと沸いていた。
(そんな人生がどれだけ辛いのかも知らないで、軽々しくこんな設定を作るなんて……。登場人物の気持ちを考えてくれたっていいじゃないの! 私が、今までどれだけ辛い日々を送ってきたと思っているのよ……っ)あ、ごめんてリィン…
一度、リィンは落ち着こうと深呼吸をした。
とりあえず、今はどれだけ言っても本人には届かないと悟ったためだ。
そしてリィンはまわりのことに思考をさくことにした。
ウィリアムはここに来て小説を書くものを見つけた。それからひとつだけ続きを書いたとあったはずだ。
そして、それが本当のことになった──。
(うんっ! やっぱり、ここまでくればすることはひとつよね)
そう考えると、再びスマホを操作してページを追加するボタンを押した。
こうすれば、新しく物語を書くことが出来るようだ。真夜の記憶から分かったことだが。
書くことはもちろん決まっている。
──だってリィンは、“今”から救われるために来たのだから。
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