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明るい道へ
流れるように書くための手順をこなしていたリィンだが、いざ書き始めるとなるとリィンの手は止まってしまった。
(な……なんてかけばいいのかしら……!)
生まれてこの方、物語らしきものなんて書いたことがない。
読んだことならもちろんあるが、最近はあまり外に出られず本を買うことが出来なかったため、それらしき本など読んでいなかった。
(お、落ち着こう。私は、……わたくしは、このあとどうなったら救われるの?)
アースとの再婚約は望んでいない。
かといって、学院中の生徒にちやほやされても本当の意味で救われることはないだろう。
生まれてからほぼ毎日のようにまわりから蔑まれていたリィンが、密かに他の人に求めていること……。
つまり。
(──誰かに、心から認めてもらう……?)
入学当初は王太子の婚約者として、まわりにはたくさんの生徒が群がっていた。
小さな頃から言葉や知識を叩き込まれながら妃教育なども受けるという大変な日々を過ごしてきたリィンには、誰かと談笑することもなかった。
だからリィンは、たとえまわりがアースのことしか考えてなくても、誰かが自分に輝いた目で話しかけてくれることはとても嬉しかった。
しかし、そんな日々は長く続かなかった。
悪い噂が流れるようになったからだ。
それからというもの、自分の表面だけを見られ、形だけは敬うような言葉を言われてきた。
それでも表情などからは嘲られているということがひしひしと伝わり、リィンはいつしか、メイ以外の誰かとは話さないようになってしまっていた。
心の籠っていない尊敬の言葉は心に刺さるだけということを、リィンは既に身を持って体験している。
だったら。
「もっと皆に、“わたくし”を見てもらえれば、いいってこと、よね……?」
それからは、静かに文字を打っていった。最初は慣れない機械に格闘してしまったが、後から夢中になってしまい終わるまでそう時間はかからなかった。
「こ、これでいいの……かしら?」
このあとは投稿──公開をすれば終わりらしい。
直前で不安になり読み返してみたが、かなりそれっぽくなっているのではないだろうか。誤字脱字なども見受けられない。
リィンの指が、恐る恐る公開するためのボタンを押した。
これで、おそらくリィンを取り巻くまわりの状況が変わっていくのだろう。
すると、いきなり猛烈な眠気がリィンに襲いかかってきた。これも、ウィリアムのときと全く同じだった。
それから数秒後、既にリィンは眠りについていた。
◇◆◇
目を覚ますと、やはり寮に戻っていた。
夕焼けが始まり、空のほとんどがオレンジ色に染まっていた。
あちらで起きたと思われることは、こちらの時間とはあまり関係がないのだろうか。
「あ、リィン! 起きたのね。そろそろ夕食の時間よ、一緒に行きましょう?」
メイの様子はいつも通りだった。
リィンは心の中では少し驚きつつも、顔には出さずに笑顔を浮かべながら頷いた。
「もうそんな時間なのね……お腹も空いたし行きましょうか」
「? リィン、もう大丈夫そう……?」
「そう……かも、しれないわね……。夢を見たら、なんだかもう……大丈夫な気がしたの」
「そう。……なら良かったわ」
なんだかメイから、いつもよりも柔らかいような雰囲気を感じたが……見た目には特に変化もなかったため、リィンは陽気にメイの手を取りながら食堂へ向かっていった。
◇◆◇◆◇
翌日。
メイと共に朝食を済ませると、リィンは寮のベッドで横になりながら心の中で呟いていた。
(特に変化はなさそうだわ……。まぁ、でも当然かしら? 書いたのは明後日からだもの)
今日と明日の学院は休みになっている。
婚約破棄を受けたのが休み前だったので、少しは心が休められるのが幸いだった。
そして、リィンが書いたのは休み明けの時だ。
(それに、ずっと本当のことになるのを待つだけではだめなのよね……)
リィンが書いた内容がその通りになるならば、リィンの行動がきっかけとなるはずなのだ。
まぁ、どのようにして現状が変わっていくのかは分からないが。
(まだ早いけれど、勉強でもしていようかしら? 勉強はたくさんしても無駄になることはないし、なにもしないと暇だし……)
そう考えると、リュックから教科書とノートを取り出した。
リィンの1番苦手としている歴史である。
ひとりだと分からないところもあるのだが、リィンには考えがあった。
「ねえ、メイ。わたくし、今から歴史やりたいんだけど……分からないところが多くて。その……教えてもらえる?」
リィンは椅子に座りながら後ろを振り向き、メイに話しかけた。
頭がいいメイと勉強を進めるつもりだったのだ。
すると、メイは目を輝かせこちらに来ながら朗らかに応じてくれた。
「り、リィン……! ええもちろん! どこら辺をやるの?」
「ありがとう。ここなんだけど……」
◇◆◇
分からなかったところや覚えきれなかったところを教えてもらっていたら、いつの間にか1時間ほどが経っていた。
この世界には魔法が上手く使えなかった時代があり、魔法が使えないらしい伝説の世界を思い出しながらその部分を無意識のうちに多く復習していた。
この世界と比べてみるとかなり面白いものだと思えたことは、自分でも不思議だったが。
「わ、もうこんな時間なのね……! ありがとう、メイ。これできっと次のテストは完璧だわ」
「ふふ、どういたしまして。リィンは勉強が嫌いなわけじゃないのね」
「……そう、ね。苦手なものはもちろんあるけれど……ちょっと楽しかったわ」
「じゃあ……リィンさえよければ今度、一緒に図書室で勉強しない? 私も勉強したくて」
リィンは少し驚いた。
メイとは少し話すことはあっても、一緒に出かけることや行動を共にすることはなかった。
(つまりこれは、メイとの距離をかなり縮められるチャンス……!)
なんて勝手に考えていたリィンは、もちろんのこと即答した。
「もちろんよ! 明後日……だとさすがに早いかしら? もし明後日で良ければ……図書室で待ち合わせするつもりだけど」
「それでいいわ。あっ、もしリィンが学校に行きたくなければ全然いいのよ! 無理だけはしないで……ね?」
「分かってるわ。でもありがとう」
メイはリィンにとって、唯一の気軽に話せる存在だった。
しかし、友達というには距離を感じている程度だった。お互いに、立場やまわりの評価故に遠慮している部分があったということだろう。
もしこれから、この関係が改善していってくれるとしたら──リィンにとって、学院に行くことはあまり苦にならない。
だからこそ、明後日を楽しみにリィンは休憩てがら歴史の教科書を再び手に取った。
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