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王太子の“元”婚約者
侯爵令嬢のリィン・ベリーに婚約破棄を突き付けてから5日が経った。
アース・ディアストンは昼休み、まだ正式ではないが、恋人も同然のエミリー・バスティアと共に中庭に出ていた。
しかしアースの表情は晴れなかった。
エミリーから、リィンが最近おかしな行動をしていると聞いていたからだ。
「今……リィンが最近、放課後に図書室で勉強にふけっていると言ったのか?」
「はい……! ベリー様が勉強だなんて、どう考えてもおかしいですよね?」
「そうに決まっているだろう! 大方、俺やエミリーに復讐をしたいが、自身の頭脳ではどうしたら分からないから……過去の文献を漁っているといったところか?」
「きっと、いえ絶対そうですよ……! さすがはアース様です!」
エミリーは両腕を控えめに振りつつも、少しだけ顔をしかめながら答えた。
──最近、どうやらアースが婚約を破棄したばかりのリィンが寮に籠りきりでずっと泣いてる……などではなく、図書室で静かに勉強をしているという噂が流れていた。しかも、成績の優秀な女生徒と一緒に。
(婚約を破棄されたというのに、泣きもせずに勉強……だなんて、ありえないだろう。……それに、一緒に女生徒がいるのも気になる。リィンに脅されでもしたのだろうか……?)
アースにとってのリィンとは、かつて婚約者という地位を利用して他者を見下していた愚か者なのだ。
ただリィンが、真面目に勉強をしているなどと考えられるはずがなかった。
エミリーはというと、前──リィンが未だにアースの婚約者として振る舞っていたときの噂を思い出していた。
普段は猫を被りながらも、裏では気に入らない者の悪口を言ったり、ひどいときは虐めたりしたという噂を聞いたことがあったのだ。
「あ、あのぉ~……アース様ぁ。もしかしたら、今はいい人アピールをして仲間を増やすつもりなんじゃないでしょうか……? そのあとに私たちへ復讐するつもりだったら、どうしましょう……」
涙目で訴えるエミリーは、誰から見ても怖がる女の子そのもので。
そんな可愛らしい姿を見ると彼女にどんな裏があろうとも、王太子のアースでも他の男子生徒と変わらず、甘やかしてしまっていた。
「心配するな、エミリー。何があっても、君のことは俺が守る。だから、安心して俺の横にいろ」
「あ、アース様ぁ……!」
エミリーは、感嘆の息を漏らしながら更にアースの近くに寄った。
そこまで話し込むと、ふたりは中庭に置いてある椅子に座った。
アースが持ってきていた一流シェフの作った、2人前の弁当を机に広げる。
それからはリィンへの嘲りだったり、一流シェフの弁当の味だったり、たくさんのことを話していた。
──そのうちに、ふたりの昼休みの時間は過ぎていった──。
◇◆◇
その日の放課後も、リィンはメイと共に図書室で勉強を進めていた。
しかし、リィンが図書室にいることが珍しいのか、それともリィンがふたりでいることが珍しいのか──。
入り口には物珍しそうに見る生徒が多く見受けられていた。
「……あの、メイ……? なんだか、今日もたくさんの人がこっちを見ているようだけど……やっぱり視線が嫌だったら、わたくしは……」
「大丈夫大丈夫! 私は勉強に集中できればいいのよ。それよりも何回目よ、その質問。気にしなくていいわ」
「うー……だって、申し訳ないじゃない、こんな中でメイとなんて」
放課後にふたりで勉強するようになってから、図書室の入り口にたくさんの生徒が群がるようになった。
それが自分のせいだと思うと、図書室にいる人にもメイにも、悪い気がしてしまうのだ。
「気にしないでって。私がリィンと勉強したり本を読んだりしたいの。ね、それでも……やっぱりだめ?」
「……もうっ、分かったわ」
そういうとリィンは笑みを浮かべた。
アースの婚約者として過ごしていた日々には想像も出来ない柔らかい表情に、入り口にいた男子生徒のなかには思わず口を押さえる者もいた。リィンは気づくこともなかったけれど。
そのとき。
「あっ、あの……べ、ベリー様……っ!」
ひとりの女生徒が、震える声でリィンに話しかけてきた。ブローチの色からするとおそらくまだ1年生だろう。
この学園はブローチの色で学年がわかるようになっている。
今年の3年生は緑色。
リィンの学年──もとい2年生は桃色。
そして、1年生は青色。
しかし、彼女はリィンが怖くて震えているわけではなさそうだ。その証拠に、涙目でひたすらにリィンを見つめているのだから。
「……どうしたの?」
「わ、わたし……っ、あし、明日までに、提出しなくちゃ、いけない歴史の課題があって……でも、わたしずっと体調不良で休んでて……全く、終わってないんですっ。これでも伸ばしてもらった方なのに……」
「歴史? それは大変じゃないの」
ディアシング学院での歴史は現在、第1学年から第3学年まで共通の先生が教えていた。
シュパード・トリスワーガー。彼は、提出物などに関して厳しいのだ。1度忘れるだけで、大幅に成績を下げられてしまう。
彼女は1年生、リィンは2年生なので、どちらもシュパードが担当していた。
「あっ、つまり……わたくしが読んでるこれを参考にしたいってことかしら?」
「はっ、はいっ……。……男爵家の私ごときが、侯爵令嬢のベリー様にお願いをするなんて、図々しいのは承知です! それでも、よろしければ……っ」
「ええ、どうぞ」
「──…………えっ?」
こんなにすぐ許可が出るとは思っていなかったのだろうか。まわりから見ていた生徒も、目を丸くしていた。
「どんなことを書くの? あぁ、もう今年も終わるから、習ったところから好きな時代をまとめるのかしら?」
「……あっ、は、はい。そうです……」
「良かったらわたくしも手伝うわ。まずはあなたの書きたい時代を教えてちょうだい?」
リィンは、1度だけでもいいからこのように誰かと話したかったのだ。
王族の婚約者、ましてや王太子ともなれば品の高い行動を心がけないと、王族の品位を疑われてしまう。妃教育でいちばん始めに教わることだ。
だが、もうリィンはただの侯爵令嬢。
品位がどうとかを、気にする必要はないのなら。
(心のままに振る舞うというのも、悪くないわ)
ここに座る? と聞きながら、リィンはずっと楽しそうに笑っていた。
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