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Ⅰ
早朝の住宅街は静寂に包まれていた。聞こえるのはアスファルトを蹴る自分の靴音と息遣い、それから鳥のさえずりだけだ。
九月に入っていくぶん涼しく感じられ、走りやすくはなってきている。燿はこめかみを伝う汗をこぶしで拭った。
「そろそろか?」
どうにも長距離を走るのは苦手なので、休憩を入れながらのランニングが燿の日課である。ぽつりと漏らした独り言に応えるかのように、二の腕にバンドで固定したスマートフォンのアラームが鳴った。丁度いつも立ち寄る公園の入り口に差しかかっていることもあって、燿は足を止める。
アラームを切って自動販売機でスポーツドリンクを購入しベンチに腰かけた。息を整えることなくスマートフォンを操作して、画面に表示された『蒼波』の文字をタップしてから耳へと当てる。
相手はなかなか出なかった。もっともすぐに返事をするような相手なら、わざわざ毎朝この時間に起こしてやらなくてもよいので、またかと思いつつ根気よく待つ。上がっていた息がこの待ち時間で自然と落ち着くことを燿は知っていた。
『……おあよう』
やっと通話状態になった電話の向こう側で、衣ずれの音と共に蒼波のかすれた低い声が朝の挨拶をつむぐ。
「おはよ。目、覚めたか?」
『なんとか。今日はどこ走ってるの?』
「公園のコース」
スポーツドリンクを煽りつつ答えると、蒼波が大きな欠伸をしているのが聞こえた。
「おい、二度寝すんなよ!?」
『らいじょーぶ』
「蒼波!」
無言になってしまった蒼波は明らかに大丈夫ではない。燿は通話を終了させると、今来た道を再び走って戻り始めた。家に帰ってシャワーを浴び、身支度を整えてから蒼波をたたき起こしに隣家へと乗り込まなくてはならない。果たして遅刻を免れるだろうか。
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