第9話:生き甲斐

1/1
前へ
/15ページ
次へ

第9話:生き甲斐

 ゆったりとしたお昼時に、それはやって来た。  不快な、けたたましい鳴き声が村中に響いた。五尺はゆうに超えているであろう大百足が、大滝村に迷い込んだのだ。 「よせ武蔵! いくらあんたでも……ありゃ無理だ!」 「やってみなきゃ分かんねぇだろ!」  友人が止めるのも聞かず、武蔵坊は物置小屋から弓を持ち出した。 「このままじゃ村が滅茶苦茶だ。そうなる前に一発お見舞いしてやろうぜ! 腕試しにはちょうどいい相手だ」  揺れが、小屋の中にまで伝わった。  外に出た武蔵坊の目に入ったのは、全壊した家屋と、それを下敷きにした大百足であった。二対の小あごから、血がしたたっている。  既に何人かの犠牲者が出ているのは、明らかだった。  そいつは気色の悪い身体をくねらせ、うす気味悪い音を立てて、次なる獲物を探しに行った。 「野郎……よくも!」  武蔵坊はその後を追うが、妖怪同士だからなのか大百足は見向きもしない。そのことが武蔵坊を苛立たせた。  自分も妖怪であることは変えられない事実。無茶をしてそのことが知られてしまえばどうなるかは、亡き母から耳にたこができるほど聞かされてきた。  足を止めずに、弓に矢をつがえる。  武蔵坊の為に作られた、常人ならピクリとも動かないほどの強弓である。これぐらいの力は普段から狩りでも使っている。多少本気を見せても、問題にはならないはずだ。  大百足はまだ知らん顔で、気の向くままに進み続けている。 「おい! このゲジゲジ野郎、どこ見てやがる!」武蔵坊は大百足の前に回り込み、弓を引き絞った。「お前の相手は、このオレだ!」  さすがにこれには大百足も黙っていなかったが、襲い掛かるのと、矢が放たれるのと、ほぼ同時だった。  衝撃波をともなった矢は大百足の長い胴の半片を吹き飛ばし、辺りに肉片を飛び散らせた。 「キィエエエエエイイィ……!」  長々とした金切り声を残し、支えきれなくなった巨体が崩れ落ちる。  ―――や、やった……?  百足の動きがないのを見ると、武蔵坊はあわてて周囲を見回した。次の不安事が頭に浮かんだのだ。  逃げ散っていた村人が武蔵坊の周りに集まって来る。人々は好奇の目で彼を見ると、次に歓喜の声を上げた。 「いつもすごい大物を仕留めるが、まさか妖怪まで狩ってしまうとは」 「まるで殲鬼隊の活躍を目の当たりにした様だ!」  皆がこの奇跡の男を祝福していた。  ほっと一息つく武蔵坊。  だが次の瞬間には、その歓声は悲痛な叫び声に変わった。  振り返ると大百足がまた動き出し、再び襲い掛かってくるところであった。  その一撃で弓は弾き飛ばされてしまった。百足の長い身体が武蔵坊をあっという間に取り囲む。  丸腰となった武蔵坊は跳躍し、その包囲から逃れようとするが、大百足の動きは彼の予測を超えていた。胴に負った致命傷をものともしない、決死の勢いであった。  宙に浮いたままの武蔵坊に、百足が巻き付く。  外に出ているのは、頭だけだった。  大百足は、ざまあみろとでも言うかのように、上から武蔵坊の顔をのぞき込む。  誰もが、村一番の勇士の死を覚悟した。 「武蔵!」  下の方で、自分を止めようとしていた友人が弓を構えているのが見えた。  油断した。  このままでは、村のみんなが大百足の餌食になってしまう。父のいなかった自分を助けてくれた、大切な人たちが――こうなれば覚悟を決めるしかない。彼らにどう思われようが、死んでしまえば全て終わりなのだ。  ―――こんなところで……死んでたまるか!  熱い血が、武蔵坊の全身を駆け巡る。  下の者たちは、大百足の体色が一部分だけ変わるのを目にした――次の瞬間、その変色した部分は弾け飛び、肉塊が飛んできた。  武蔵坊の周囲に現れた熱球が、彼の束縛をほどいたのだ。  最後にとどめ。近づいてきていた頭を、熱気で焼き尽くす。大百足の醜い顔は、黒く干からびてしまった。今度こそ、息の根を止めたのである。  だが村人の反応はさっきとは違った。  歓喜の声は上がらなかった。武蔵坊の異形の腕を見て、彼を人だと思う者は誰一人としていなかったのだ。 「武蔵……お前、その腕は……?」  あの友人が、おそるおそる訊ねる。他の者は言葉を失ってしまっていた。 「……すまねぇ」  はっきりとは答えずに、武蔵坊はその場を去って行った。  心の準備は出来ていたつもりだが、むなしさだけが残った。  村を救ったという喜びは、微塵も残っていない。その救ったはずの者たちに見限られたような気分であった。  幕府の役人が村に来たのは、その翌朝のことである。  誰かが密告したのだろう。  何も、抵抗しなかった。  一晩思い悩み、武蔵坊は気持ちの整理をつけていたのだ。  母との約束は破ってしまったが、大切な人も、人としての誇りも守れた。天国の母もきっと許してくれる。そう言い聞かせ、己の運命を受け入れたのだった。後に出会った鵺丸に語った通りである。  牢屋敷へと送られる自分を見つめる友人の悲しそうな目が、まだ頭に残っている。      *  *  *  夜……。  至る所から湧いてくる鈴虫の鳴き声が、孤独を紛らわす。  この先の村へは、草が伸び放題になったこの林道を行くしかない。一カ月ぶりの道だ。  影狼たちとの別れ際に言った通り、武蔵坊は大滝村の方まで来ていた。  心変わりしたわけではない。本当は甲斐国に急いで戻りたい所であったが、戻れば二度とここへは来ることができない。修羅の道へと進む前に、ここで雑念を払っておきたいと思ったのだ。  直接は会わなくて良い。ただ、彼らにとって自分はただの妖怪なのか、それとも共に暮らしてきた仲間なのか、確かめてみたかった。  斜面を上り、村に近付くにつれて武蔵坊の足取りは重くなる。  実の所、武蔵坊はまだ迷っていた。  もし期待が外れたら、自分はどうなってしまうのだろう。心まで妖怪になってしまうのではないか。  そもそも自分は、あのまま牢屋敷で死ぬはずだった。これで良かったのだと割り切っていたのに、鵺丸との出会いが全てを変えてしまった。  彼を助けるために生を選んでしまったのだ。  その結果がこれである。雑念ばかりで死んでも死にきれない。  武蔵坊の足はピタリと止まってしまった。  ―――もう、何も分からない。オレは一体、どこに行こうとしているんだ? 「武蔵坊か」  夜気を切り裂いたその声に、武蔵坊は背筋を凍らせた。  最初は村の人かと思ったが、聞き覚えはない。どこか温かみの欠けた、しかし美しい声であった。  武蔵坊は辺りを見回したが、ブナの木が立ち並ぶばかりで人の姿はない。  気のせいかと思い視線を戻そうとしたとき、月光にきらめく何かが目に入った。  横合いの木の上に、その女はいた。  白銀(はくぎん)の髪は月の光を反射し、幻想的な雰囲気を醸し出していた。猫のように光る眼が、こちらを見下ろしている。  ―――月光の忍か……  忍装束を見て、そうと分かった。 「ついてこい。鵺丸様がお呼びだ」  闇の中で、無数の目玉がうごめいていた。  大滝村手前で引き返してから、まだそれほど歩いてはいない。そんなところに人だかりができている。  羽団扇が描かれた着物。  間違いなく、鴉天狗の者たちである。  それとは異なる雑多な服を着た者も見受けられる。どうやら侵蝕人もしっかり付き従っているようだ。  それにしても不思議である。これほどの大人数をどうやってここまで連れて来たのだろうか。武蔵坊はてっきり、あの集落に立てこもっているものだとばかり思っていた。  とにもかくにも、無事であったことが何よりである。 「状況を教えてくれないか? 昨日の夜、何があった?」  周囲からの視線をやり過ごし、前を歩く白髪の女に声をかけた。 「鵺丸様は昨日、幕府打倒をご決断された。こうして移動しているのは鴉天狗一同、それを支持しているからだ」  ―――やはり、幸成の言った通りになったか。  しかしどうも腑に落ちない。月光の役目は武蔵坊も知っている。彼らが鵺丸を生かしておくのは、どういう訳なのだろうか? 「なぜ鵺丸に従う?」 「何をいまさら。我々月光は鵺丸様に忠誠を誓っている」 「あいつはもう正気ではないはずだ。月光は何もしなかったのか?」 「……侵蝕が限度を超えた者は、我々が殺すはずだと?」 「そうだったはずだ」  女はしばらく無表情のまま武蔵坊を見据えると、再び前を向いた。 「お前も知っていたか……だが、月光はもうそんなことはしない」 「……どういうことだ?」 「鵺丸様に会ってみれば分かる。あの方は今でも、侵蝕人を守ろうとしている」  進んでいくうちに、人混みは少なくなっていった。  奥ではたき火の周りに人が集まっている。  恐らくは幹部たちだ。  風情のある泥鰌(どじょう)髭の男。丸刈り頭の長身男。月光の忍装束を着た男……  なかでも、火の向かい側の岩に腰掛けている男は、武蔵坊もよく知っている。 「待っていたぞ……武蔵坊」真っ黒な顔の輪郭の中で、金色(こんじき)の瞳がぎらつく。「やはり大滝村に居たか」  あれからたったの一日しか経っていないのに、久しぶりに見た気がした。  鵺丸との再会である。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加