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21 さくら舞う日(1)
三月の終わりの土曜日はいったん暖かくなった気温が一気に下がり、代わりに抜けるような晴天となった。佐良と碧は約束どおり桜を見に出かけた。
この辺りの桜の名所といえばやはり駅からも近い県営公園だ。碧がよく昼休みを過ごすという場所である。佐良も碧と何度か訪れたことがあった。
碧はスキップしそうなほど足取りが軽い。停留所に定刻より少し遅れてバスが到着し、先に飛び乗った碧は一番奥の席を陣取った。佐良も続いて隣に腰を下ろして、まもなくバスは緩やかに発車した。
碧は表情を見るより動きを見るとわかりやすい。気分が乗っている時は軽快だし、反対に乗らない時は若干鈍くなる。表情に出ないほうだと思っていたが、最近は出会った頃に比べるとずいぶん柔軟になった。少なくとも佐良の前ではよく喜怒哀楽を見せるようになっている。
もしかすると碧は本来、それほど表情の変化が少ないタイプではなかったのかもしれない。佐良と出会った頃、碧は交通事故の後遺症で記憶の一部を失くし、取り戻したあとだった。いや、その最中だったかもしれない。冬に遭った事故で碧のそれまでの生活は壊れた。大学を休学し、しばらくして夏にひとり過ごしていた町で佐良と出会った。
佐良が碧の近くに住む決断をしたのも、そんな碧のそばに少しでもいたいと思ったからだった。少し、碧が自分を忘れてしまうのではないかという恐ろしさもあった。
あまりにも何事もなく、ただ幸せに向かって歩いているうちに忘れていた。碧はこれまでなんの支障も兆候もなく、日々を送っている。
公園東門という停留所でバスを降りると、あでやかな花吹雪がふたりに降り注いだ。
ちょうど満開を過ぎたあたりで、枝を離れた花びらが舞っていた。
「桜は散るさまも美しい」
「碧、それ誰かの言葉?」
「いや、なんとなく今、浮かんだ」
アスファルトを埋める白い絨毯の上を歩いていると、古めかしい煉瓦造りの塀の先に入り口が見えた。
碧か駆け出そうとした瞬間、風が花びらを巻き上げ、佐良は思わず碧の腕をつかんだ。
薄紅の花吹雪が踊る中で碧が振り返る。美しい光景に佐良は少しだけ息を呑んだ。
「飛んでいきそうだな」
そうつぶやくと碧が微笑んだ。
「どこにもいかないよ」
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