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46 エピローグ
翌日早く目覚めたふたりは、夜明け前の浜へ散歩へ出た。
緩やかに流れる風を受けて坂道を下っていく。薄い水色が世界を丸ごと清浄に染め上げ、碧の髪は一歩踏み出すごとにふわふわと揺れた。
碧はやっぱり猫のようだ。はじめ興味はあるが近寄らない。でも爪は出さない。すっかり慣れて自分から頭をすり寄せるようになった。それから紆余曲折があった。
「夢、見たんだ」
遠景が民家の屋根に隠れ、路地のカーブを曲がるあたりで碧が言った。
「どんな?」
碧が腕を絡めるようにして手を握る。
「あのさ、言っておくけど、夢の話だよ」
夢の内容なのはわかっているのに、碧はそう前置きする。甘えて肩を軽くぶつけてくるので、碧には分が悪いのだろうか。
「怖い話じゃないといいなあ」
「怖くはないけど」
坂の底にあたる三叉路を過ぎ、浜へつながる路地が見えてきた。佐良はこの路地へ入る手前の雰囲気が好きだ。いや多分、もうすぐ海が目の前に広がるという期待感が好きだなのだ。
「あの家の庭、夏になると雑草がすごいんだ。こないだ刈ったばかりだから、今はきれいになってるけど」
「うん」
「夢で俺と佐良が草むしりしてた。佐良がびっくりするほど下手くそで、どんくさくて。ちょっと目を離すとすぐに手が止まるしさ」
「それは……悪かったね」
「佐良とこれから毎年草むしりするのかな、面倒だなって思ってた。でも、それもいいか、って」
急に強まった潮の濃い香りが髪をなぶり、碧が目を細める。
防波堤の向こうに水平線があらわれ、透明なラベンダーが日ののぼる兆しのオレンジに混じり合い、空を染めていた。
実際に夢と同じことがあった。碧とここで過ごした夏の思い出のひとつだ。伝えるべきか迷った。しかし夢だとなれば記憶が戻ったとは言いがたい。
「碧のために上手くならなきゃね」
「嫌でもなるよ、きっと。……でさ」
「ん?」
煽るような風が吹き、碧を抱き寄せた。碧は二三歩足踏みをし腕の中に収まって、頭を肩に預けた。
「夢の中の佐良は髪が長くて、ゴムで束ねてた。かっこよかったけど」
「それは……出会ったときの俺だよ」
碧の目がゆっくりと動き、佐良を見上げる。
「不精しててね。肩ぐらいまでかな。草むしりも手伝ったことがあるよ。ただ、切ったあとだった」
肩に額を寄せ、髪の柔らかさが首にかかる。頭ごと抱きしめた。
「これって思い出した?」
「そうだね」
腕の中からささやかな笑い声がした。
多少組み替わり、ほんの少しではあっても、確かに碧の中に残っていた。当初の予定とは違う意味で涙腺が緩みそうになる。見られないよう碧をしっかりと抱いた。
海岸に沿った道を歩き、防波堤の途中にある階段を降りた。段の途中に座り、まばゆく広がり昇っていく光を見つめる。海のようにすべてを呑み込んで、分け合って、生きていく。碧と。ちょっと青すぎるかなと苦笑したくなる。多分そんなきれいごとばかりじゃない。
頬に冷たい鼻がくっつくので隣に目をやると、続いて唇が触れた。向き直って視線を合わせ、重ねる。戻った、戻らない、どちらでもいい。存在を確認できただけで。
まばゆい光が顔を見せ、世界は夜から朝へと瞬く間に塗り変わっていく。
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