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彼らが体を洗いに行っている間に俺はクルハがいる部屋へと向かっていた。診察はそれほど時間がかかることはないだろう、最後に挨拶ぐらいはしておきたかったのだ。それに彼には上着を返してもらわなければいけない。長い廊下を迷いなく進んでいたのだが何だか妙な胸騒ぎがした。扉を開けると目に飛び込んできたのは暴れるクルハとそれを抑えようとする医師と看護師だった。
「ヒガタさんちょうどいいところに」
医師と看護師は俺が入って来たことに気が付いたがクルハは怯えているようで気づいていない。
「何があったのですか?」
「彼は悪くない。採血を行おうと注射器を見せてしまったのが良くなかった。どうやら怖がらせてしまったみたいで針を刺そうとすると暴れ出したんだ」
医者の顔には痛そうな痣ができていたが、それに対して怒る様子もなく床に落ちフレームが歪んでしまった眼鏡を拾いポケットに入れた。当の本人はベッドの隅で虚ろな顔をしていた。ベッドに近づくと俺が来たことに気がついたが、暴れることは無かった。
「急に向けられて怖かったよな」
クルハは縦に頷き小さくヒガタさんと呟いた。
「そうだな、しかしあれは必要なものなんだ。早く外に出られるようになるためにも受けてくれないか」
お願いだと言うと彼はわかりましたと答えたが、声は震えていて大丈夫そうではなさそうだった。
「それじゃあヒガタさん彼の隣にいてあげてください」
それに気が付いたのか医師はそう提案した。その方が怖くないでしょうと彼が笑いかけるとクルハはパチパチと何度か瞬きし。先ほど眼鏡が壊れ、顔に怪我を負ったはずだがてきぱきと採血の準備をしている。隣で彼の手を包み込み大丈夫すぐ終わると励ます。少し痛いのか顔を顰めたが暴れることはなく無事に終わった。
「そういえばヒガタさんはどうして戻ってきたのですか?」
クルハは疲れたのかうつらうつらしながらも首をかしげていた。そして、なぜか採血が終わったあと俺の上着を取り出し羽織っていた。それを回収しに来たのだが言い出しにくい状況だ。
「上着を返してもらおうと…… 」
「いやです」
思ったのだが、と言い終わる前に上着の袖を握りしめ拒否した。ここにいる間だけでも貸してください。クルハからのお願いを断る気にはならなかったが、どうして気に入ったのかよくわからなかった。何か彼の琴線に触れるようなものでもあったのかと首を傾げたくなるが、深くは追及しないことにした。
「そこまで言うなら。それじゃあ食事に行くときにでも返してくれたらそれでいい」
時間があればまた来ると告げ、病室を出ようとすると背後から、はい! とどこか震えた声で返事が返ってきた。
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