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鬼塚直は、元々は古谷家の弟子だった。
旧姓は岩切で、岩切静とは従兄妹に当たる。
小売業の社長の岩切学と父親が兄弟で、次男坊の直の素行を嫌った父親が、子供のいない兄夫婦に押し付け、その夫婦の知己だったのが古谷家の当主だった。
この地に来た時、直はかなり荒れていた。
が、岩切学、由紀夫妻の元で暮らす内に落ち着き、更に古谷氏に心境の面を助けられ、支持するようになった。
中学生に上がる年で、その力の強さから、術の方の古谷家を継ぐ人材として、期待され始めていた。
僧侶としての技量には乏しく、それならばと保育士を目指して日々励んでいたのだが、高校を卒業して成人を迎えるころ、突如心変わりした。
熱愛が、心境を変えてしまったのだ。
現在二十三の直は、女房を連れて里帰りしていた。
といっても、本当の自宅でも、岩切学の家でもない。
鬼塚家は、男を立てるのを良しとする家柄で、婿養子となった直にも実の娘に対するよりも風当たりが優しい。
婿の実家に送り出され、嫁である桃も、内心安堵しているようだ。
直が戻る家と言うのが、本物の実家でも伯父宅でもなく、古谷家だと言うのも心を安堵させる要因だろう。
しかも、年末のこの時期、古谷家は別な意味で忙しい。
当主の古谷氏は、年中忙しいのだが、その弟子と妻子もこの時期、別な意味で忙しくし始める。
大みそかの前日、決まって行われるある一戸建ての大掃除が、多忙の原因の一つだった。
前日は古谷家に泊まり、翌朝早くその山へと向かう。
勝手知ったる家の中を、隅々まで磨き、空気を入れ替え、傷んだ部分は修正する。
今回は人数が多い気がするが、数日前の騒動を思うと、仕方ないと思う。
働き者の作業者が増えると、掃除も順調に進み、昼前には殆どの部分を終えていた。
やり残しがないかと、直が雑巾にお湯を浸したバケツを下げて、家の中を徘徊していると、客間の座敷の中に立ち尽くす人に気付いた。
同じようにバケツを手にしたままの金髪の若者は、こちらを背にして炬燵机に目を落としている。
その目の先に、新聞があった。
珍しいと思いながら、直は声をかけた。
「座って、読んだらどうですか?」
我に返って振り返る若者は、そのまま曖昧に答えて立ち去ろうとするが、直は更に言う。
「もう、あらかた終わってます。お茶でも入れますから、座っててください」
返事を待たずにその場を去り、バケツを片付けて茶の用意をする。
何だか、久しぶりの雑用だ。
今日いる人数分の湯飲みを出し、茶菓子と共に急須と茶葉とポットを盆にのせ客間に戻ると、若者は立っていた位置にそのまま座っていた。
いや、持っていたバケツはないから、一度片付けてから腰を落ち着けたらしい。
わらわらと作業員が集まる中、セイは机の上の新聞に目を落としたままだ。
その見出しを読んで、その横に座ったエンが言う。
「物騒な話だ。銃で、撃たれたって?」
「え、どこでですか?」
驚いて、直はつい、新聞を覗きこんだ。
大きな見出しと共に、見た事のある屋敷の物々しい現場の風景が、載っていた。
「篠原さんのところ? 十代の子供が撃たれたって、どう言う状況なんだろ?」
雅もエンの隣から覗きこみながら、その不自然な襲撃に首を傾げる。
「犯人が逮捕されていないようだから、逃げてるんでしょうね。しばらくは注意しながら外出した方がいい、君らも」
集まった面々を見回してエンが優しく言い、黙ったままの若者を見た。
「どうした?」
まだ、その記事を凝視している様子が、妙に不自然だ。
返事をせず視線を落としたまま、セイは男の名を呼んだ。
「エン」
「何だ?」
「出かけたいんだけど」
「駄目だ」
気持ちいいほどの、即答だった。
一瞬詰まり、若者はエンを見上げた。
見返す目を見据え、ゆっくりと言う。
「篠原さんとは、顔見知りだ。見舞いに行きたいんだよ。それ位、いいだろ?」
笑顔を絶やさずにいた男の顔が、更に濃い笑顔になった。
「約束は、約束だ。それに、今言っただろう? その子を撃った奴は、まだ捕まっていない」
「……」
立場的に弱いセイは、そこで黙ってしまったが、茶を飲み終わるまでその記事を凝視したままだった。
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