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「わたくしの傍は、レオだけではないの?」
お嬢様に仕えてから2年ほど経った頃、愛らしさから美しさを兼ね備えるようになったその容姿と教養が行き届いたお嬢様の身を守る為に護衛を付けるか、と話している旦那様と使用人たちに、お嬢様は不思議そうに斜め後ろに控えている俺を見、小首を捻った。
暗に、「専属の従者はレオだけ」と示されたそれに口角が上がりそうになるのを耐え、大人たちへと目を向ければ旦那様や父は困った表情を浮かべる。
「シャロン。だがレオナルドも幼い。それに身の回りの世話をしてくれている、これ以上は彼の負担にもなるだろう?」
旦那様のお言葉にお嬢様は、そこで俺を振り返った。とても不思議そうに。
「ねえ、レオ? わたくし、レオ以外の誰かも傍に置かねばならないの?」
「いいえ、お嬢様。貴女様の従者は俺でございます」
「でも、レオ? 護衛はできないの?」
「いいえ、お嬢様。貴女様の望みを全て叶えるのが、俺です」
「じゃあ、レオ。わたくしの傍はレオだけでいいのね?」
「はい、お嬢様」
問い掛けに全て頷けば、お嬢様は嬉しそうに、安堵したように笑うので。
主が望んでいるのだ、俺の存在だけを。
旦那様や父が「しかし……」と難色を示し、子供たちの戯言と片付けたのか数日後、お嬢様の元に1人の男が護衛としてついた。
結果的に言えば、その男はお嬢様を拉致しようと屋敷に潜入した悪漢で。
俺はお嬢様を襲うとした瞬間、その男を蹴り飛ばしていた。
「やっぱり、レオだけいればいいのね!」
襲われる瞬間ではなく、俺が蹴り飛ばした瞬間を見たらしいお嬢様は怯えるのではなく、目を輝かせて俺を見つめる。
その言葉に口角が上がるのを抑え、「左様でございます、お嬢様」と淡白に見えるよう頷いて見せた。
「その程度の腕前でお嬢様の護衛になろうと思い上がっていたのですか」
「くっ……!」
屋敷の一室にてお嬢様の護衛候補とやらの面接を終え、床に膝をつく男を一瞥してから近くの使用人に「お帰り頂いてください」と告げ部屋を出る。
大人たちは懲りずにお嬢様に護衛を付けようとするが、いつになれば諦めるのか。
「あ、レオ!」
「お嬢様。このような所まで如何されましたか?」
準備運動程度にもならないそれを終え角を曲がれば前方からお嬢様がやや困った様子で駆け寄ってくるので、「走ってはいけません」と窘めてからふとお嬢様の容姿に異変を覚え、すぐに髪型に目がいく。
俺が朝整えた髪型がほどけ、結ったあとが癖にならないほど真っ直ぐに靡くお嬢様の髪を見てから「その髪は?」と眼前のお嬢様に問えば「これ」とリボンが差し出された。
千切れたそれに、成る程切れてしまってほどけたのかと頷く。
黒のそれは、いくら品質が良くとももう長いこと使用していれば寿命くらい迎えるだろう。
「新しいものを御用意致します」
「これが良い」
「しかし」
「だってこれ、気に入ってたんだよ……シャロンも」
むすっと年相応よりも幼く見える今のお嬢様は、しかし以前からと伝えるような言葉選びに、「そうでしたね」とお嬢様の手から千切れたそれを受け取る。
俺が専属の従者になってからだ、この黒のリボンを身に付けられるようになったのは。
『レオの色を特別につけてあげます』と得意気に胸を張っていたことが、俺にとって初めての褒美だった。
「ですがこれはもう使えませんので、同じ色のものをすぐに御用意致します」
「同じ色?」
「はい、黒をシャロン様に」
「……うん、じゃあそれで頼むわ……」
やや俯くお嬢様に口角が上がるのをそのままに、役目を終えたそれを懐にしまう。
お嬢様の部屋に向かい、ほどけた髪型を整え代わりのリボンがないことに気付いて至急用意しなければならないなと考え、自分のハンカチを代用することにした。
本日のお嬢様の残りの予定は特になく、多分読書に当てるはずだ。
「明日かあ、嫌だなー」
お嬢様がため息混じりに溢すので、明日、と言えば学園の茶会だったはずだ。
何やらゲームとやらで重要な場面らしく、お嬢様の破滅を促進させるのだとか。
……お嬢様の話と現状を照らし合わせるが、ゲームとやらの以前のお嬢様の傲慢で非道だが貴族然としたお嬢様ではなく、今のお嬢様は素直で鈍感だが貴族然とした年相応のお嬢様しかなく、中身が男で言葉遣いが粗暴である以外は完璧とさえ言える。
そのせいで自ら首を絞めるように男を魅了していることに気付かない鈍感さには舌を巻くが、中身が男だからこそなのだろう。
「ヒロインは今、どうやらオリヴァー殿下と一番親密みたいだし、ってことは基点となるのは婚約者ルートだよな……つまり卒業と同時に婚約破棄と断罪エンドで国外通報か処刑の2択となった訳だが」
「婚約破棄が決行されるのは喜ばしいことですね」
「それな! その点は激しく同意する! でもそれだとヒロインに懐柔されなきゃなんねーんだよ、婚約者は。一向に全く人目を憚るレベルで相思相愛してねーのは何なの? ヘビーユーザーの俺の知らないルートご用意するな」
「……でしたら、お嬢様が修正なさるのは如何でしょう」
「うん?」
髪型を整え直し、振り返るお嬢様の耳元に顔を寄せた。
「お嬢様は先読みの駒を持っていらっしゃるのです。件の庶民の女がオリヴァー殿下を通じてエドウィン殿下を絆そうとなさることに気付けた今、お嬢様が何を為せばそのまま殿下は庶民の女のモノとなるのか、ご存知なのはお嬢様だけと言うことを、利点にするべきかと」
「! と言うことは、俺はエドウィンルートのシャロンとして行動することで、ルートをより強固にしてヒロインは婚約者と結ばれて」
「そしてお嬢様は念願の婚約破棄が叶い、晴れて自由の身の上と」
「て、天才かよ……」
「ありがとうございます」
お嬢様は表情を明るくし、それからはたと何か思い至ったのかすぐに暗くされる。
こんなに表情を変化させるのは素のお嬢様を見られる俺だけの特権だ。
「でもそうなると、俺は避けてきた悪役令嬢に返り咲かなきゃならねーんだよな。それは一歩間違えれば死ぬんじゃねーか?」
「お嬢様には俺が居ます」
「え?」
「いざとなれば、俺がお嬢様を連れて国を出ます」
「……それって、夜逃げしてくれるってこと?」
「俺とって大事なことはお嬢様のお命です」
「はは、何か気を遣ってくれてありがとな。うん、でもそれは何か良さげに思えるよ」
肩を叩かれ、お嬢様は椅子から立ち上がる。
そのお顔は凛々しく、とても美しかった。
「死なねーように、やってみますか悪役令嬢!」
此方を見上げ自信ありげに微笑むお嬢様は、以前のようで、だが今のお嬢様でもある。
俺が傅く相手はどうであれ、貴女様であれば良い。
「……でも1人だと心配なので、レオ、手伝って」
「かしこまりました」
貴女様が頼るのは、俺だけであれば良い。
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