暗雲低迷

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 手元のランタンがいきなり消えて清風はハッとした。  それと同時に、自分を照らしていたはずのランタンの明かりも無くなり、入り口にいるはずの志翠の気配をどこにも感じられない。 「志翠? どこだ!」  真っ暗な音楽室の中で叫んだ声は全て防音壁へと吸い込まれ、大きな闇に飲み込まれた清風は、自分自身の存在すらどこかちっぽけな生き物みたいに思えた。 「志翠? おいっ、志翠!」  黒く大きな静寂が清風を襲い、初めて清風は得も言われぬ恐怖を覚えた。  幽霊の存在や何よりも、親友の声や気配がないことが清風にとって最大の恐怖だった。まさか怖さのあまり気でも失ったのかと入り口へ戻るが、なぜかいくら進んでもドアまで辿り着けない。 「志翠っ!!」  暗闇にすべてを支配され、方向感覚を失ってしまった清風は慌ててスマホに頼るが、なぜかポケットに入れたはずのスマホがそこにはなかった。 「どうなってる……落とした? まさか……」  出口へ向かっていたはずの清風の視界に人の姿が入り込み、あまりの驚きで一気に心拍数が上がった。よく見るとそこにいたのは窓ガラスに映る自分自身だった。   「──反射? おかしい……今日は新月なのに……一体何に反射して……」  窓ガラスに映った自分がその言葉に反応して突然笑った。さすがの清風も不可解な目の前の出来事に戦慄する。 「──お前は……誰だ?」  清風は眉を顰め、ゆっくりと笑っている自分へ問う。 「俺は──お前だ、明月 清風」  恐ろしいことに、笑っている自分は意思を持って言葉を発した。 「──夢? 俺は眠っているのか? こんなこと……ありえない……」 「相変わらず冷静なんだな。お前はいつだってそうやって冷静を気取って、偽って……志翠に嫌われたくない一心で……本当に哀れな奴だ」  窓ガラスにいたはずの自分自身はいつのまにか肉体を持ち、はっきりとした姿で清風の前へ現れ、一歩ずつこちらへと近付く。  清風は目の前の科学的根拠のつかない現象を理解できないまま、自分と名乗るその姿を睨みつけるようにして見つめた。 「お前は人でなしだ、清風。本当は志翠が好きなくせに、ただの親友みたいにふるまって、まるで偽善者だ。 相手の信頼を勝ち取って相手を騙して……本当のお前を知ったら志翠は傷付いて、泣いて、そしてお前から逃げて行くだろうな」 「うるさい! 黙れ!!」 「お前だって本当は志翠を汚したいと思ってる……どこかの誰かに奪われるくらいならあの白をお前の中にあるドロドロした黒で汚したいと──」 「違う黙れっ! 俺は志翠を傷付けたりしない! 俺は志翠を汚したくない、俺はあいつに触ったりしない……俺なんかが触っていい相手じゃないんだ……」 「嘘をつくな。俺はお前だ、俺は誰よりもお前を知っている。お前は黒くて、汚くて、最低な男だ。2年生(あいつら)が志翠の体に触れた時、本当は羨ましかったんだろう? 自分はひたすら耐えているのに、あいつらは簡単に志翠に触れて……。なぁ、志翠の胸はどんなだろうな? アイツはすぐに泣くから、あそこを噛むだけで簡単に泣くんだろうな」 「やめろ! 黙れ!」 「別の場所は? 夢の中で見る志翠じゃなくて、本当の志翠の肌はどんな感触なんだろうな? 志翠自身見たこともない奥の奥は……」 「うるさい! やめろ!」 「なぁ? 清風……志翠はどんな声で鳴くんだろうな?」 「頼むからもうやめてくれ……!」  清風は耳を両手で塞いで目をキツく瞑った。唯一の支えを失ったランタンが大きな音を立てて落ち、衝撃で割れたプラスチックたちがあたりへ飛び散る。 「……清風、志翠はとっくに気付いてる。お前が清廉潔白な男でないことくらい、とっくに知っている」 「……それでも、俺はアイツを傷付けたくない……」 「他の誰かに攫われても? 他の誰かに志翠の全てを奪われてもか?」 「そんなのは……考えただけでも気が狂う……だから早く離れるべきだった……。天文部に誘われた時、断ればよかった……なのに、俺の欲が邪魔をした……ずっと、アイツの特別でいたくて……俺がいないとダメな志翠のままでいてほしくて……だけど、それは俺のエゴで……俺は……」  清風は下唇を噛み締めて、湧き上がる苦しみと悲しみとを押し殺した。 「汚したくない……本当だ……だけど、誰にも渡したくない……、けど、知られるのが怖い。俺の本性を知っているのを確認するのが怖い……俺は……」 ──誰よりも志翠に触れたいのに、志翠に触れるのが怖い。
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