謎多き男、秋吉

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謎多き男、秋吉

「唯ちゃん、おつかれー」 私が良く行く喫茶店『桃香』は、今日もコーヒーのいい香りで迎えてくれた。 「こんにちは、ホットミルクとタマゴサンドください」 七席あるカウンターの奥から三番目に座るのが、暗黙の了解で。 私が座る前から、マスターの高山さんはそこにおしぼりをセットしてくれる。 「久しぶりだねー、1ヶ月以上来なかったよね?」 ほぼ毎日ここに来る私は、この1ヶ月家にこもっていた。 やっと梅雨も終わり、初夏の日差しが出てきたところでここを訪れた。 「ちょっといそがしかったので…もうタマゴサンドが恋しくて恋しくて!」 「えー、唯ちゃんそこは僕が恋しかったって言ってよー」 この店のマスター、高山さんは気さくな人で。 いつも明るく笑わせてくれる。 この店は 昼は喫茶店、夜はBARとして高山さんの弟さんが経営している、落ち着いた雰囲気の居心地のいい、私のお気に入り。 夜は来たことがないけれど、一度見てみたいとは思っている。 「秋吉さん、こんにちは!」 そして、いつも一番奥の私のふたつ隣りにすわる秋吉さん。 「…どうも」 冷たくも、温かくも無い毎度同じ温度の挨拶を交わす…ちょっといい男。 小川 唯 派遣であちこち渡り歩く、23歳の枯れて生きる事をあえて選択する女である。 「はい、とりあえずホットミルクねー」 「ありがとうございます」 カップを両手で包みながら、何気なくカウンターの内側の高山さんの動きを眺める。 「…」 「…」 大通りから幾らか入り組んだ場所にあるこのお店は、そんなに客足は多くない。 まあ、私が来る時間帯がモーニングとランチの間だから余計そうかもしれないけれど。 「唯ちゃん、今回はどんなお仕事してるの?」 「今はテレアポですよ」 一時は短期の仕事ばかりを選んでいたけれど、今の職場は自分の働き方に合っていて。 もう4ヶ月目だ。 このまま直で働いてしまおうかと思うけれど、まだ少し迷っている。 「へー、唯ちゃん声いいもんね、聞きやすい高さで」 「うふふ、高山さん褒め上手ー」 ここに通ってはや1年。 最初にここを訪れたのは、雨の日だった。 家まで一駅もないけれど、その日の私は酷い頭痛に見舞われて少しでも腰を下ろしたかった。 飲むタイミングが遅かった鎮痛剤の効き目は僅かで、雨さえ降っていなければ、ビルとビルの隙間に座って目を閉じたいほど辛かったのだ。
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