1 カミングアウト

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1 カミングアウト

「武志は好きな女の子、いるのよね?」  母さんはぼくの目をじっとのぞき込んでいた。見捨てられた仔犬みたいに潤んでいたのを覚えている。 「誰なの、言ってごらんなさい。香苗ちゃん、それとも萌奈ちゃん?」  言ってごらんに入れることはできなかった。ぼくも13歳だ、好きな子の一人や二人、いないわけじゃない。問題はそれが女の子じゃないって点だ、ちくしょう。 「名前さえ教えてくれれば、その子の親に連絡してあげるから」  母さんとの面談場所は小ぎれいなリビングで、L字型のソファがテレビと相対している白一色の部屋だ。彼女はぼくのとなりに腰かけていて、膝が触れ合わんばかりに詰め寄っている。息が詰まりそうだ。 「好きな子なんかいないよ」ぼくは臆面もなく嘘をついた。自分では堂々とやれたという自負があった。「いたとしても、なんで母さんに教えなきゃなんないんだよ」  手応えあり。思春期の男子は例外なくこういう憎まれ口を叩くはずだ。 「武志、あんたもしかして」母は零れ落ちるのではないかと心配になるほど目を見開き、唇をわななかせている。「女の子に興味がないんじゃないの」  ぼくは息を呑んだ。母の鋭さはほとんど超能力の域だった。「なんでそう思うんだよ」 「武志が女の子と仲よくしてるところ、あたし見たことない」 「女なんかとつるんでたら、友だちにバカにされるんだよ」 「野々村くんはこないだ、桃香ちゃんと初恋適合(ファースト・カップリング)したって聞いたけど」  なにがファースト・カップリングだ、死んじまえ。「明日やつをいじるネタができたよ、ありがとう母さん」  重苦しい沈黙が降りた。いくらでも女子(同性)どもとの逢瀬を捏造できはしたけれども、なにを言っても見透かされる気がした。侮るべきじゃない。なにせ相手はぼくの倍以上は生きてるんだから。 「勉強しなくちゃ」わざとらしく伸びをした。「もういっていいよね、母さん」  母はじっとぼくに視線を固定している。瞬きひとつしないので、精巧な人形のようだった。「武志、正直に答えなさい。男の子が好きなのね」  質問じゃなくて断定だった。ぼくは一目散に自室へ駆け込み、鍵をかけた。      *     *     *  その夜はぼくの人生でまちがいなくワースト5にランクインするような、二度と思い出したくもない一夜になった。  母さんはなんらかの方法で――たぶんくだんの超能力で――ぼくがホモなのを見抜き、それを残業でフラフラの死に体と化した父さんへ告げ口しやがった。  宿題に手がつかず、ベッドの上で悶々としていると、自室のドアにこの街全土を陥没させかねないほどの衝撃が走った。すっかり泡を食い、何事かと目をしばたく。だいぶ経ってからノックだと気づいた。「な、なに?」 「武志」父の声だ。抑えてはいるが怒気が口調から滲み出している。「いますぐ出てくるか、そこに閉じこもって俺の怒りを買うか、選ばせてやる」 「もう怒ってるじゃん」 「訂正しよう。いますぐ出てきて俺にちょっぴり怒られるか、あとで黒焦げレベルの雷を落とされるか、選ばせてやる」 「どっちにしろ怒られるんじゃん」 「なあ武志、パパの忍耐にも限度ってもんがあるんだぞ」 「知ってるよ。母さんがヤラしてくれないから風俗店(エッチなお店)へしけこんでるんだよね。もうちょっと我慢できないもんかな」  今度はマグニチュード8に肉薄する揺れがドアを襲った。どうも全体重をかけて蹴飛ばしたらしい。「武志、出てこい」 「いま出てったら、ぼく殺されちゃわない?」 「可能性はゼロとは言えんだろうな」彼の口調は隠しきれない凄みを帯びていた。たぶん本気だ。 「名案があるんだけど。このまま話そうよ」 「おまえがそう言うなら」  ぼくたち親子は堅固なドアを挟んで相対した。母さんはいないようだった。きっと例の超能力でやり取りを幻視してるんだろう。 「わが倅はホモだそうだな、え? 大将」 「仮にそうだとして、だったらどうするのさ?」 「なんにも」 「なんにも?」 「おまえが男を好きならそれでかまわん」父は厳かに宣言した。「でもファースト・カップリングだけは受けてくれ。これが俺にできる精いっぱいの譲歩だ」 「どうしても受けなきゃなんない?」 「親として、おまえが初恋を実らせられんまま青春をすごすのだけは看過できん。その相手がたとえ男でもだ」 「わかったよ」ぼくは観念した。「ぼくはホモだよ、父さん」
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