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サイドストーリー:ある獣人のお話
「なあ、俺達はどこに送られるんだ?」
揺れる馬車の中で誰かが不安そうに呟いた。
もっとも、揺れるとは言ってもガタガタなんて生やさしいものではない。
背が高い方ではない僕は、両手を上げていなければ何度も頭を天井に打ち付けて、目的地にたどり着く前に死んでしまうのではないかと思えるくらいの揺れだ。
それはすなわち馬車に立って乗っているということで、荷台にはまるで樽に入った塩漬けの如く、僕達獣人がこれでもかと押し込まれていた。
温度の高い季節ということもあって荷台の中は蒸し暑い上に、乗っているのは全員が奴隷なので匂いも凄まじく、息をするのも苦痛な空間が展開されている。
「なんだお前、知らないのか?天ヶ原だよ。旧が付くがな」
だというのに、そんな中でもご丁寧にも質問に答える奴がいたらしい。
密集しすぎて姿は見えないし、駆ける馬車の振動音で耳が馬鹿になりそうなほどだったが、誰も話していない荷台の中でその声はよく通った。
「天ヶ原!?お、おいおい、冗談だろ?天ヶ原って言やあ、確か…」
「そう。別名『奴隷の終着点』だ。ま、墓場に向かう者同士、仲良くやろうぜ」
「なんてこった!くそ、これならまだ前のところの方がマシだったじゃねぇか…!」
「ご愁傷様だな」
元気な奴らだな…。
喋ったところで何かが変わるわけでもないんだし、ならば少しでも体力を温存しておこうという発想にはならないのだろうか。
周りの連中が黙っているのも同じ理由なのかは分からないが、少なくとも僕はそう判断して静かにしている。
だいたい、どこに行ったところで、僕らの未来が明るく楽しいものになんてなるはずがない。
獣人は人間の奴隷であり、生涯を通して奴らのために働き続けることが決められているのだから。
いつからこうなったのかは知らないが、今更言うまでもない常識だ。
中には尽くすことに喜びを見出す奴もいるらしいけど、僕にはまったくその気持ちが理解できない。
何故なら相手は自分達を格下と決めつけ、気まぐれに痛めつけて楽しむような奴らなのだ。
そんな相手に、そもそも尽くそうという気なんて起きるはずもなかった。
前回働いていた屋敷だって差別はひどいものだった。
獣人だからというだけの理由で家の主や使用人達ばかりか、同じ奴隷からも何度意味もなく食事を取り上げられ、暴力を振るわれたか分からない。
それでも唯一、家の主が見栄のために置いていた多量の本が読めるという利点があったので、逃げ出すことなく耐え続けることができた。
もちろん、本を読むのは秘密裏にではあるが。
僕は本を読むのが好き、というより何かを知ることが好きで、苦労して文字を覚えたあとは、隙あらば様々なものを盗み見て知識を蓄えていった。
奴隷が勉強して何になるのかと、同じ獣人達からはからかわれたり馬鹿にされたりすることもあったが、何になるならないではなく、好きなものは好きなのだから仕方ない。
ただ結局はそれもばれてしまい、散々折檻されたあとで売り払われ、こうしてここに送られることになった。
無論、勝手に読んでいたのは弁明のしようもないことである。
しかし、だからといって素直に頼んだところで読ませてくれるはずもなく、なら僅かなお金すらもらえない僕らは一体どうやって本を読めば良いのか。
何一つ自由はなく、自分達のすべてを常に握られている人生。
働いても報われず、それどころか面白半分に不満のはけ口にされるだけの存在。
それが僕達獣人であり、この先もずっと変わることはないのだろう。
「やかましいぞ、獣共!言葉を理解できる程度には頭があるなら、その耳障りな口を閉じろ!」
まだ何やら喋っていた奴隷達が、御者台から飛んできた兵士の一言で黙り込む。
人間はいつもこうやって僕達を馬鹿にしてきた。
きっと、自分達の方があらゆる面で優れているのだと錯覚しているに違いない。
ふん、偉そうに。
僕達は馬鹿なんかじゃない。ただ教えてもらう機会がないだけなんだ。
そもそも、こんな果ての地で奴隷の運搬なんてしている時点で、お前だって大した奴じゃないくせに。
もちろん口にしたりはせずに、心の中で声の主をあざ笑ってやる。
小さな奴ほど、ちっぽけな自尊心を保つために自分より下にいる者をこき下ろす。
もう幾度となく目にしてきた、純然たる事実だ。
…本当に下らない。
そこまでしなければ自尊心も保てない矮小な人間も、それに黙って従っている僕達も。
自分の一言で静かになったことに気をよくしたのか、これだから獣は困るぜ、と満足げに同僚と話し始めた兵士の声を聞きながら、つくづくつまらない人生だと自嘲したあと、もう考えるのも馬鹿らしくなってきて、今度こそ自分の内側へと意識を沈ませた。
そうしてやたらと狭く薄暗い道や、大きな砦を抜けて馬車が天ヶ原に到着すると、まだ仕事が始まる前の時間であったため、まずはこれから寝泊まりする予定の場所へと連れていかれることになった。
当然、僕達奴隷の寝床が兵士達と同じであるはずもなく、雑然と奴らで賑わう町を抜け、海に向かって進んで行く。
その際、町から離れていくことに落胆の声を上げる者達もいたが、目的の場所が近づくにつれて、それも次第に驚きや動揺のうめきに取って代わっていった。
「噓だろ?こんなところで寝起きするのかよ…」
「ほとんど野ざらしじゃないか…」
ざわつく声が示すとおり、終の住処となるかもしれないそこは、どう見ても周辺のゴミを寄せ集めて積んだだけの廃材置き場にしか見えず、どんなによく言っても廃屋としか表現できない、これ以上ないくらいに朽ち果てた様相をしていた。
「それに何だこの匂い…。うげぇ、鼻がひん曲がりそうだ…」
そして何よりひどかったのが、鼻を突き刺してくるこの匂いだった。
少し前から段々と匂いが強まっていったので嫌な予感はしていたが、案の定ここの匂いだったらしい。
匂いは特に、廃屋の前に置いてある大きな荷車から強く漂っていた。
僕達もろくに水浴びもさせてもらっていないから相当臭いと思うけれど、何かが腐ったようなこの匂いはそれ以上に凄まじく、めまいを覚えそうになる。
僕ですらこうなのだから、鼻の利く連中には相当堪えていることだろう。
よく見れば匂うのも道理で、荷車には野菜のかすや残飯と思わしき肉や魚の骨、他にも腐りかけた何かが山積みされており、暑い季節ということもあって早くも無数の虫がたかっていた。
で、これの運搬も僕達の仕事となるわけか…。
その光景を見て、早くもうんざりとした気持ちになってくる。
しかし、僕の考えはずいぶんと甘いものだったらしい。
「お、おい見ろよ、アイツら…」
間もなくして、至る所から、うっと怯む声が聞こえてきた。
きっと僕も同じような声を上げていたと思う。
というのもいつの間に集まってきたのか、元々ここにいたと思わしき奴隷達が、あろうことか荷車のゴミを手づかみでとり、食べ始めたのである。
まさか、これが食べ物だって言うのか…!
いや、それよりも、な、何なんだこいつらは…。
ゴミだとばかり思っていたものが実は食べ物だと分かったショックよりも、続々と荷車の方へと歩き出した古参の奴隷達に感じる気味悪さの方が大きかった。
今まで彼らに気づかなかったのは、汚れで真っ黒になった身体が廃屋の景色に溶け込んでいたからという理由もあるが、何より動き出すまでは誰一人として喋らず、身じろぎすらしていなかったからだ。
頬はこけ、すり切れたボロ布を纏い、野良犬ですら寄りつかないようなものをぐちゃりとつかみ取って、落ちくぼんだ眼窩をこちらに向けることなく、ひたすら黙々と食べている。
なのに目だけはギラギラと光らせている姿はあまりにも異質で、何かおぞましい迫力があった。
なんて不気味な奴らなんだ…。
ぞっと鳥肌が立ってくる。
髪や目までもが黒いその集団の中には僕達と同じ獣人もぱらぱらと交じっていたが、全員が同じ様相だった。
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