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「なんだ、羨ましいのか?安心しろ。これから毎日食えるぞ」
あまりのことに固まっていると、そう言って兵士達がニタニタと意地悪く笑った。
冗談じゃない、あんなものが食べられるものか…!
思わずギロッと睨みつけてやりそうになるのを何とか堪える。
今までだってかなりひどいものを食べてきたが、それでもここまでではなかった。
これを食べるくらいなら、そこら辺に生えている雑草や木の根でもかじっていた方がまだマシな気がする。
他の面々も同じ気持ちのようで、ほら食べてこいよ、と兵士達から小突かれても、手をつける奴は誰もいなかった。
いや、そもそもこんなものを毎日食べていて、なんであいつらは平気なんだ…?
人間は獣人よりも身体が弱い。
力や体力もそうだし、病気に対する抵抗力だってそうだ。
だから驚くほどすぐ体調を崩すし、そのまま死んでしまうことも多々ある。
だというのに、その人間が僕達ですら怯んでしまうようなものを平然と食べているのだから、疑問に思うのも当然のことだった。
もっとも、僕のように力や体力にはあまり秀でていない獣人もいる。
僕はシルバーテイルという種族で、名前のとおり尾の毛だけが銀色をしている。
とはいえ正式名称で呼ばれることはあまりなく、だいたいが尾白猫あるいはただ単に尾白と呼ばれ、実際に僕も割と最近まではずっとそういう名前の種族だと思っていた。
そこそこ珍しい種類らしいのだが、種族的に身体が強い方ではなく、愛玩用ならともかく、労働用の奴隷としての価値は底辺に近いのだとか。
僕を買った前回の主人に散々そのことで嫌味を言われてきたが、なら最初から買うなという話だ。
きっと馬鹿だったのだろう。
ただ同族が言うにはその分頭の回転は速いらしく、真偽はともかく、実際僕も何かを学んだり考えたりすることは好きだった。
もっともそれが原因でここに来ることになったわけだから、良いことなのかは分からないが。
…まあ、そのうち嫌でも分かるか。
彼らが何故平気なのかという理由についてあれこれと考えを巡らせていたものの、ふと現状を思い出してまたうんざりした気持ちになってきたので、考えるのを止めた。
なにせ、先の屋敷とは違ってここは兵士がうじゃうじゃいる上に、周りは海に囲まれ、唯一の出入り口にも、首が痛くなるまで見上げなければ頂点が見えないくらい高くて堅牢な砦がそびえているのだ。
逃げ出せるはずもなく、この先もずっとここにいるしかないのだから、嫌でも分かるようになるに違いない。
早くもここが奴隷の終着点と呼ばれている理由が分かった気がして、そっとため息をついた。
古参の奴隷達の食事が終わったあとは、さっそく作業場へと連れて行かれた。
これから僕らが働かされる先はどうやら製鉄所らしい。
大きな墓標みたいな建物に入るなり尋常じゃない熱気が肌を焼き、すぐに大量の汗が噴き出してくる。
「作業は主に運搬だ。お前ら獣どもにもできる程度の仕事だから安心しろ」
そう言ってさっそく従事させられた仕事は、確かに単純な内容だった。
だが決して簡単なものではないことは、すぐに身をもって理解することになる。
確かに僕は力にはあまり自信がない方だとはいえ、あんなに痩せ細った人間でも運べる程度の重さなのだから、それ自体は大したことではない。
問題なのはこの暑さと、休憩時間がないことだ。
ただ立っているだけでも汗をかくような暑さだというのに、重たいものを持って右に左に上へ下へと駆け回るのである。
それでいて休憩は寝る時間になるまで一切取ることができないのだから、過酷を超えて、もはや拷問以外の何ものでもなかった。
いったいどれほど大量の鉄が欲しいのかは知らないが、これではいたずらに奴隷を潰すだけで生産性は逆に落ちるだろう。
少し考えれば分かるようなことが分からないほどここの管理者が馬鹿なのか、単にこちらをいじめ抜きたいだけなのか、あるいは両方なのか。
いずれにしても、ろくなものではない。
まずい…、もう汗が出なくなってきた。
夕方近くになって、あれだけ流れていた汗がピタリと止まった。
一瞬暑さに慣れてきたのかと思ったが、すぐに汗が出ないのは、身体の水分不足が深刻であるサインだと本で読んだことを思い出す。
たかが水を取らない程度、と馬鹿にしたものではない。
最悪は死に至る、危険な状態だった。
確か、水分不足の状態では単純に水だけを取るんじゃなくて、必ず一緒に塩も取らなければならないんだったな…。
鉄鉱石の山を運びながら、だいぶ回らなくなってきた頭でぼんやりと考える。
どういう理屈なのかは読んだ本にも書いていなかったが、水だけ飲むのは逆効果らしい。
しかし知識があっても、そもそも対応できる状況でなければ意味がない。
それにもちろん僕は、あの兵士達が優しく休ませてくれるなどと考えるほどおめでたい頭はしていないので、したがって段々と身体に力が入らなくなっていくのを感じつつも、ただ早く終わることを願って働き続けるより他に選択肢がなかった。
それでも初日は何とか乗り切り、濁った水を浴びるくらいに飲んで泥のように眠った。
水ばかり摂ったからなのか、あるいは疲労のしすぎなのか、空腹は感じなかったし、そもそもあんなものを見て食欲など出てくるはずもない。
とはいえ何も食べずに耐えきれるような仕事でもなく、三日目の終業間際にしてついに力尽きてしまった。
「おい、そこの尾白!誰が寝ていいと言った!」
鉄鉱石が詰め込まれた箱を盛大にぶちまけ、やけるような鉄製の床に顔面から倒れ込む。
すかさず怒声を飛ばしてきた兵士に、身体が浮き上がりそうなほど強く腹に蹴りを入れられて思わずうめき声を上げたが、できたのはそれだけだった。
朝から調子がおかしく、騙し騙しなんとかやってきたが、もうピクリとも身体が動かない。
「飯を食うだけの穀潰しが!」
「少しは人間様の役に立ってみせろ!」
他の兵士達も集まってきて思い思いの場所を蹴り飛ばしてきたが、やはり身体は動かなかった。
ああ…、僕はここで死ぬのか…。
いっこうに止む気配のない暴行に段々と痛みや音が遠のいていき、視界がぼやけ始める中でぼんやりと思う。
散々人間にこき使われ、最後もまた人間に殺される。
実に奴隷らしい、本当に惨めで下らない人生だ。
もっと本が読みたかったな…。
いや、別に本でなくてもいい。
ただもっと色々なことを知りたかった。
生まれ変わりなんて世迷い言は信じていないけれど、もし本当にそんなことがあるのなら、次は自由のある人生にして欲しいとつい願ってしまう。
そうして薄れつつある意識を手放そうとしたときだった。
「まあまあ、兵士さん達。彼、ここに来たばっかりでしょ?
まだ勝手も分からないんだし、そこら辺で勘弁してやって下さいよ~」
場に似つかわしくない、明るい調子で声をかける者がいた。
ピタリと僕を蹴っていた兵士達の足が止まる。
朦朧としながら目を向ければ、媚びを売るようにヘラヘラと笑いながら、自分と同じ歳くらいの少年が近づいて来るのが見えた。
あいつは…、確か…。
短い黒髪に好奇心旺盛な黒目を持った、僕達より先にここで奴隷として働いていた人間の一人。
いつもこちらを珍しそうにチラチラと見ていた奴だと思い出す。
もちろん僕も馬鹿じゃないので、何やら話したがっているのだということは分かっていた。
ただ、こっちは腕を上げるのもしんどいくらい常にヘトヘトに疲れていたし、そもそも馴れ合う気もさらさらなかったから、毎回気づかないふりをしていたわけなんだが、そんなほぼ無関係とも言える奴が一体どういうつもりなのか。
兵士に意見すればどうなるかなど、考えるまでもなく分かるだろうに。
「何だ、お前は!」
案の定笑う少年の頬に拳が振り下ろされ、思いっきり後ろに吹き飛ばされた。
ガラガラと近くに積んであった空箱が音を立てて崩れ落ちる。
馬鹿な奴だ…。
何故出てきたのかは知るよしもないが、僕が感じたのは侮蔑だけだった。
確かに僕達奴隷は自由も尊厳もなく、ただ好き勝手に蹂躙されるだけの底辺の存在に過ぎない。
だが心までも屈服してしまったら本当に終わりだろう。
何があろうと僕は誰かに媚びへつらうなんてことはしたくないし、他人がそうしている姿を見るのも不快だ。
今のことで兵士達は完全に少年へとターゲットを変えたらしく、そのまま制裁を加えようと近づいていく。
しかしすぐさま今度は仲間の奴隷達がぞろぞろと間に割って入ってきたために、場は一気に騒然となった。
といっても黒髪達の方は相変わらず一言も発しておらず、主に喋っているのは兵士達だけではあったが。
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