サイドストーリー:ある獣人のお話

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「くそ、何だお前らは!どけ!」  始めは怒りにまかせて勢いよく拳を振るっていた兵士達だったが、殴られてもどかず、次から次へと他の奴隷達が立ち塞がってくる状況に、ついには鼻白んで腕を下ろした。  なるほど…、仲間が助けに来てくれることが、分かった上で、の、こと、か…。  人間らしく打算的でずる賢い行動だと鼻で笑おうとしたものの、そもそも自分は身を挺して助けられるほどの価値などなかったことを思い出して、たちまち自嘲へと変わる。  それからどうなったのかは、この辺りでもう意識を保つのが限界に来ていたので分からない。  次に気がついたときは、まだ馴染んだとは言いがたい、いつもの寝床に寝かされていた。  辺りはもう暗くなっていたものの、一応食事と位置づけられているあの腐敗臭がまだ漂っていないことを鑑みれば、意識を失ってからそう長い時間はたっていないことが窺える。  もちろん自分でここまで移動した記憶はなかったし、兵士がそんなことをするはずもないので、奴隷の誰かが運んでくれたに違いない。  どんな意図で助けてくれたのかは知らないが、あとで礼の一言くらいは言っておくべきだろう。  とりあえず、死なずにすんだか…。  一面に夜空が見える天井を見上げながら、そっと息をつく。  動けなくなった奴隷などそのまま処分されるのが普通であるため、まだこうして生きていることには安堵すると同時に少し驚いてもいた。  …いや、あのまま死んでいた方が楽だったかもしれないな。  けれどすぐにため息が出てくる。  生き延びたところでどうせ明日にはまた耐えきれずに倒れ、先ほどと同じことが繰り返されるだけに違いない。  倒れた原因が空腹である以上、食事を取れば恐らく耐えられるようにはなると思うが、三日食べていない今の時点でもやはり食べたいとは思えなかったし、今後考えが変わるとも思えなかった。  つまり、所詮は蹴り殺されて死ぬか、飢えで死ぬかだけの違いであり、ならばまだ前者の方がマシというものだろう。  とはいえせっかく生きているのだから、わざわざ命を捨てるつもりもない。  だからせいぜい最後まで足掻いてやるかと、再びため息をつきながら立ち上がろうとしたとき、ふとおかしなことに気づいた。  どこも痛くない…?  かなり手ひどくやられたから骨くらい折れているかと思ったのに、あるのは擦り傷程度の軽いものばかりで、これならまったく動くことに支障がない。  それどころか、倒れる前よりも調子がいいくらいだった。  いくら僕達の回復力が高いとは言っても、あくまで人間と比べたらであって、数日食べていなかったのだから悪くなることこそあれ、良くなるなんてあり得ない。  なので一体どういうことなのかと首を捻っていたものの、間もなくして近づいてきた人の気配により、思考は中断させられた。 「お、気がついたか~!お前、体力ないなぁ~。獣人のわりに身体も軽いし。  確かに旨くはないけど、飯はちゃんと食わなきゃだめだぞ」  続けてそう不躾な声をかけてきたのは、先ほど僕を足蹴にする兵士達に声をかけていた例の少年だった。  奴も結構盛大に頬を殴られていたはずだが、少し赤くなっている程度でやはり大した怪我をしている様子もなく、相変わらずニコニコとした笑みを携えてこちらへと歩いてくる。  しかし対照的に、僕の方はぎょっとしてしまった。  どうしてわざわざこんな声のかけ方をするんだ…!  というのも別段大きいわけではなかったものの、よく通る声だったからだ。  案の定声は隅々にまで届いたようで、周囲の視線が一斉に集まった。  暗がりから無数の目を向けられるというのは、たとえそれが敵意のないものであったとしても、つい怯んでしまうような迫力がある。  それにそうでなくとも僕は注目を集めたり、聞き耳を立てられたりするのが好きじゃない。  種族的なものなのか、あるいは過去に幾度となく暴力を振るわれたからなのか、はたまた単純に性格的なものなのか、僕は粗雑な奴が大の苦手であった。 「生憎とここ数日の間、僕の目が食べ物を見つけることはなかったからな。  もっとも、誰かさんにとってはそうじゃなかったのかもしれないけど」  話の感じからしておそらくこいつが僕をここまで運んでくれたんだろうが、そんなわけで口から出てきたのは礼ではなく、皮肉交じりの言葉だった。 「?あっ、もしかして、目を悪くしてるのか?  なら、今日は俺と一緒に取りに行こうぜ!色々教えてやるよ!」  しかし僕の皮肉にはまったく気づいた様子もなく、ますます嬉しそうな顔になって近づいてくる。  こいつは、もしかしなくても馬鹿なのか…?  一瞬呆気にとられるも、よくよく思い返してみれば、他にいくらでもやりようはあるのに、わざわざ兵士に殴られにいくような奴である。  卑屈で粗雑、馬鹿で、さらには馴れ馴れしい。  まだたった一言言葉を交わしただけであるにも関わらず、自分が厭う性格が奇跡的にすべて揃っている目の前の人間のことが、僕はすでに大嫌いになっていた。  だから口にこそしなかったものの、きっとこの時の僕は顔だけでなく、全身にその気持ちが表れていたはずだ。  それでも奴はやはりまったく気にする素振りもなく、ここぞとばかりにあれこれと話しかけてきた。 「お前、珍しい色の尻尾をしてるなぁ~」 「最初はぶっ倒れる奴も多いけど、大丈夫、すぐに慣れるよ」 「また肉が食いたいなぁ~」  それをうんざりしながら聞き流していたものの、ともあれ話が始まると(といっても一方的に話しかけられているだけだが)、僕らに注目していた連中も次第にまた銘々の作業に戻っていく。  ここ数日、観察するでもなく眺めていて分かったんだが、彼らは兵士達のいないところでは何かを作ったり修理したりと、割と活発に動いていた。  枯れ木のように痩せさらばえて見えたのも、どうやら汚れによる錯覚だったようで、よく見れば血色はいいし、汚れ自体も見た目ほどではなく、意外と匂わない。  仲間同士でたわいもないことを喋る姿は、ごく普通の奴隷に見える。  しかし一方で、奴隷とは思えないどこか規律を感じさせる振る舞いも度々見られた。  奴隷の住処では必ずと言っていいほどある喧嘩や物の奪い合いはここでは皆無だし、獣人に対する差別もない。  それどころか病気など身体の弱い者に対しては、優先的に食事や雨漏りのない寝床を譲ったりすらしていて、現に自分も身ぐるみ剥がされることも隅に追いやられることもなく、こうして普通に寝かされている。  獣人の中にもブラッドアイや青炎狼みたいに仲間意識の強い種族はいるから、もしかしたら人間も種族によって違いがあるのかもしれない。  ここ数日の間だけで、すでに最初に持っていた不気味な連中という印象はだいぶ薄れ、少し人間のことを見直しさえしていた。  が。  目の前のこいつに優しくしてやるかどうかは、また別の問題である。 「俺、同じくらいの歳の奴って見るの初めてでさ~。別の住処には結構いるみたいなんだけど、そっちには行かせてもらえないからなぁ…。  あ、別の住処っていうのは、別の製鉄所で働いている仲間がいるところのことなんだ。製鉄所はここの他にもたくさんあって…」  しばらくすれば飽きるだろうと無視を貫きつつ、現実逃避気味に他のことを考えていた僕の思惑とは裏腹に、一向に話を止める気配がない。  一応助けてもらった手前、できるだけ穏便に済ませようと思っていたんだが、どうやら直接的な言葉を使わなければ分からない奴らしい。  なのでなおもつらつらと喋り続ける奴に向き直ると、力いっぱい睨みつけてやった。
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