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「…っ!トウジ!!」
「大丈夫か!?」
咄嗟に息が止まりそうになる。
僕らがいくら呼んでもトウジからの返事はなく、それどころか身じろぎ一つしていない。
ま、まさか、死んで…ないよな?
最悪の想像が頭をよぎり血の気が引いてきたが、すぐに考えを振り払う。
あれこれ考えるよりも、今はとにかくあいつの手当が先決だ。
「ちっ、またぞろぞろとわいて出やがったか。本当に気持ちの悪い奴らだぜ」
「おっと、それ以上近づくな。鼻がひん曲がっちまう」
だというのに、そう言って兵士達は近づこうとした僕達に武器を突きつけてきた。
「ふざけるな!そこを通してくれ!」
「おい、トウジは無事なんだろうな!」
「早く手当をさせて!」
それでも流石にこの状況で大人しく言うことを聞く奴なんかいない。
構わず前に出ようとする僕達を、兵士達が怒声を上げながら武器で押しとどめる。
一気に騒然となる中、僕も僕で突きつけられた武器と武器の間から身を乗り出し、少しでも前に出ようともがく。
だがそこでふと、トウジが胸に抱いているものを見つけて愕然となった。
トウジ…、お前やっぱり…。
トウジが抱きかかえていたのは僕の学習帳だった。
正直、ここに来るまでの状況から薄々とは察していたものの、いざ目の当たりにするとその衝撃は大きかった。
意識はないだろうに、きつく閉じられた両腕からは絶対に渡すまいという気迫が伝わってきて、腫れて形の変わってしまった顔を見るまでもなく、自分を守ることよりも学習帳を優先したのだということが分かる。
ひたすら腕の中のものを守ろうと必死なトウジを、こいつらは情け容赦なく痛めつけたのだろう。
「……っおおオォァァーーーーッ!!」
それを理解した瞬間、気がつけば僕は近くの兵士に飛びかかっていた。
自分のものとは思えない雄叫びが腹の底から放たれる。
叫び声を上げるのも、誰かに飛びかかるのも、生まれて初めての経験だった。
ずぶの素人である自分が武器を持った兵士に勝てるはずなどないし、まして相手は一人じゃないのだから、殴りかかるなど無謀以外の何ものでもない。
一瞬そんな冷静な考えが頭の片隅をよぎるも、しかし溢れ出てくるこの気持ちを抑えることはできなかった。
「!」
僕の行動は兵士達にとっても予想外だったらしく、ぎょっとした顔を見せる。
それをいい気味だと思う間もなく、その顔めがけてがむしゃらに拳を繰り出す。
ところが。
「待ちなさい!」
「やめるんだ、ギンジ…!」
僕の拳が届く前に、後ろから羽交い締めにされてしまった。
「なっ!どうして止めるんだ!?あいつらは寄ってたかってトウジを…!」
振り向いた先にいたのはトウジの両親で、兵士達への怒りと止められた驚きとで混乱した僕は、二人を振りほどこうと暴れながら食ってかかる。
けれど彼らの表情を見て、思わずぎょっと動きを止めた。
「そんなことをすれば、お前もただでは済まないからだ!」
「ここは堪えなさい…!」
かみ切らんばかりに強く噛んだ二人の唇からはすでに血が伝っていた。
絞り上げるような声を聞けば、どんな思いでその言葉を口にしているのかなど考えるまでもなく分かる。
トウジのあんな姿を見て一番強く許せないと思ったのは、両親である彼らに違いない。
それでも止めたのは、言葉どおりの理由からなのだ。
「…っ」
二人の気持ちを理解してしまった以上、僕にはもう彼らを振り払うことはできなかった。
飛び込むこともできず、かといって気持ちが静まるはずもなく、牙をむいて兵士達を睨みつける。
「おい、お前らのお仲間が襲いかかってきたってのに、何だその目は?」
すると、ひとまずは襲いかかってこなさそうだと判断したのか、兵士達がまたニタニタとした不快な笑みを張り付けて近づいてきた。
「それよりどうすんだよ、これ」
「その辺にでも捨てとけよ。あとでこいつらに掃除させればいいだろ」
そのままあろうことかまるでゴミでも捨てるかのように、兵士の一人がトウジを放り投げた。
どさっと肩から地面に落とされてもピクリとも動かないトウジを見て、ケタケタと奴らが笑う。
それを見てまた我を忘れそうになるも、
「おらっ!」
その前に、近づいてきた兵士に思い切り殴られた。
僕の身体を押さえていたトウジの両親もろとも後ろへと吹っ飛び、口の中に温かいものが広がっていく。
「やめろ!少なくとも、この子はまだ何もしていないだろう!」
「うるさいぞ!」
僕よりも早く起き上がり、兵士を止めようとした二人にも、同じく拳が振り下ろされる。
「!」
あっと目を見開いた先で、直前、二人が何かの構えを取ったように見えた。
ただどうやら見間違いだったらしく、やはり抵抗することなく拳を受け、再び後ろへと吹き飛ばされてしまう。
「……」
一連の出来事を経て、ざわりと目を向けなくても分かるくらい周囲が殺気立つ。
仲間意識の強い黒髪の人間達や、彼らに感化された獣人達にとって、いわれもなく仲間が暴力に晒されているという今の状況は、堪りかねることだったに違いない。
一応手を出しこそしていないものの、僕らを守るように次々と兵士達の前に立ち塞がり、真っ向から対峙し始めた。
それを見て兵士の方も応援を呼びつつ、今度は武器をしっかりと構え直す。
双方の間を流れる空気がどんどん張り詰めていく。
「ふぅむ、これはどうにも穏やかではないのぅ」
ところがそんなまさに一触即発という空気の中、不意にこの場に相応しくないのんびりとした声が聞こえてきた。
ピタリと兵士達も含めた全員が動きを止め、声の方を振り向く。
なので同じように僕も顔を向ければ、真っ白な髪と長い髭を生やした老人がやってくるのが見えた。
……?
その姿に一瞬何か違和感を覚える。
しかしすぐに髪の白さや深く刻まれたシワなどとは裏腹に、まったく老いた感じがしないからだと気づいた。
体格や姿勢の良さ、どこか飄々とした雰囲気がそう思わせるのかもしれない。
年相応に頬のこけた顔には声と同じく穏やかな表情が浮かんでいたが、眼光だけは異様に鋭く、自分に向けられているわけでもないのに、ついたじろいでしまいそうになる。
「リュウゲン様…」
老人を見て、ぽつりと誰かが呟く。
そうか、この人間がそうなのか…。
リュウゲンという人物の話は、トウジや他の黒髪の面々から度々耳にしていた。
今は亡き天ヶ原の軍を率いていた将軍で、ここの奴隷達のまとめ役なる人物らしい。
もう上下関係もないはずなのに、名前を口にする者からは一人の例外もなく、なおもはっきりとした敬意が伝わってきて、顔を見たこともない人物ながら大したものだと感心したものだった。
ただ一方で、すでに国を滅ぼしたあとだとはいえ、そんな危険人物を生かしておくなんて帝国は馬鹿なのかと呆れもしたんだが、こうしてたった一言で殺気立つ場を収めた手腕を見れば、なるほどと納得せざるを得ない。
「どうしてお前がここにいる!」
「いや、それよりもだ。お仲間の奴隷共をきちんと躾けて、こちらに危害を加えないようにする。そのためにお前を生かしてやっているのだということを、まさか忘れたわけじゃないな?」
「使えない奴隷を生かしてやっておくほど俺達は優しくないぜ」
鋭い眼光に一瞬兵士達が怯んだものの、すぐに表情を取り繕い、リュウゲンを取り囲んで武器を突きつける。
もっとも、その様子はさながら大きな獣の登場に驚いた小さな獣達という風情で、現にリュウゲンの方は武器のことなど見えていないかのように、不思議と愛嬌を感じさせる仕草で首を傾げた。
「はて?我々が危害を加えたとは、これはまた面妖なことを言う。
見ればまだ成人してもいない子供を、ご立派な兵士殿が寄ってたかっていたぶっていたようにしか思えんのだが」
「なんだと…?」
挑発的なリュウゲンの言葉に兵士達がいきり立つも、やはり気にした素振りもなく言葉を続ける。
「挙げ句に、抵抗できぬ奴隷に怯えて拳を振り上げるときた。いやはや、本当にご立派なことじゃて」
立派立派と言いつつも、天を仰いで額に手を当てながら話す大げさな仕草は、やはりどう見ても挑発しているようにしか見えなかった。
「こいつ、言わせておけば…!」
案の定、我慢も限界とばかりに兵士の一人が剣を振り上げる。
しかし。
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