大わらわの半年間

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大わらわの半年間

 メイと二人でダーグネイトの大使という大きなお仕事を終えたあと、村に戻った私は少ししてまた帝国領へと向かった。  理由は見習い指揮官として、トキサダさん達や各地に散らばる天ヶ原のみんなと訓練をするため。  正直、指揮官とは言っても今回の戦いで私が直接指揮するような機会はなく、勉強を兼ねた名ばかりのものではあるんだけど、命を預かる立場にある以上、甘えや妥協は一切許されない。    私も早くみんなの力になれるよう頑張らなくちゃ…!  ただそう意気込む反面、話すことの苦手な私がちゃんとみんなと一緒に訓練することができるのか、もしかしたら足並みを乱してしまうのではないか、という不安も感じていて、それは日に日に強まっていった。  一応今回の訓練は人見知り克服という目的もあり、だからある程度は仕方のないことだとはいえ、自分で決めたことなのになんとも情けない話である。  けれどありがたいことに、そんな私の弱気を吹き飛ばしてくれる勇気は意外なところからやってきてくれた。  あれは訓練で出発する前日のこと。  もうすぐ…だね。  もうすぐシファが帰ってくるよ…。  よ、よし、今度こそちゃんと言うよ…!出発は明日なんだから…!  窓から差し込んだ夕日が部屋を黄金色に染め上げ、食器や楽器が暖炉の火のように優しく、でもどこか寂しげに輝く中。  明日から訓練でここを離れるという話を未だシファに切り出せないでいた私は、頭を抱えながらあの子が遊びから帰ってくるのを家で待っていた。  というのも今回の訓練は、一ヶ月ほど向こうに滞在しなければならないのである。  たった五日間の外出だったダーグネイト大使のときでさえ、とても悲しそうな顔で私の服を掴んでしばらく離さなかったというのに、一ヶ月などと伝えたら今度こそ泣き出してしまうかもしれない。  私達がダーグネイトに行っている間のシファの様子については、げっそりとやつれた笑顔で出迎えてくれたエドガーさんから聞いていた。  なんでも、始終不安がってあの子の大好きなお肉料理ですらも笑顔は取り戻せず、さらには毎晩のように夜泣きを繰り返していたらしい。  私と一緒にいた時にはそんなことはなかったので、驚いたと同時にものすごく胸が痛くなったのを覚えている。  きっと耳と尻尾をペタンと寝かせて、ポロポロと涙を流していたのだろう。  もしかしたら泣きながらか細い声で私のことを呼んでいたかもしれない。  事実はどうであれ、その姿を想像するだけでまるで炎に身を焼かれているかのような気持ちになってしまう。  なので訓練の話を切り出すためには、間違いなくこれまでの人生で一番大きな覚悟が必要であり、本当ならもっと早くに伝えるべきなのは重々分かっていたんだけど、結局言い出せずにズルズルと来てしまい、こうして今頭を抱えているのだった。  北の森でディルジーラやクー・シーの群れと対峙したときでもこんなには緊張していない。  ちなみにこの件についてはもちろんメイ達にも相談してみたんだけど、こればかりはシファが受け入れられるようになるのを待つしかない、というのが結論で、温かい視線と応援はもらったものの、具体的な解決策が出てくるにまでは至らなかった。  確かにみんなの言うとおりだし、私も頭では分かっている。  それでもシファの悲しむ姿を想像すると、つい何とか穏便に済ませられるような方法はないものかと考えてしまうのである。  何か…、何かいい案は…。  ……。  …………。  だ、駄目、やっぱり何も思い浮かばない…!  ああ、どうしよう…!  そんなわけでまた全力で考えを巡らせていたものの、当然いい案など出るはずもなく、ただ焦りが増すばかりで時間は刻々と過ぎていき、やがてシファの気配が家に近づいてきていたので、冷や汗を流しながら恐る恐る玄関まで迎えに行くことにした。 「ただいま~!」  苦悩する私を余所に、扉を開けて入ってくるなり、シファが泥だらけの身体で元気いっぱいに飛びついてくる。  お昼よりもさらに汚れているから、今日は一日中ミーアと外で遊んでいたのだろう。  何はともあれ「お帰り」と優しく抱きとめてあげると、パァッとまるで大地を照らす太陽のように可愛く笑った。  ああ…、シファは本当に可愛いなぁ~…。  途端に直前までの悩みなどたちどころに吹き飛び、顔もごく自然とほころんでくる。  ただ姿を見せるだけで人を笑顔にするシファは、きっと天使の生まれ変わりに違いない。  シファはとても素直な物覚えのいい子なので、こうして家に帰ったときの挨拶だってもうちゃんとできるようになった。  ガリガリに痩せていた身体も今ではすっかり年相応に戻り、腕にかかる重さに安心感を覚えながらぷにぷにしたほっぺに頬ずりすれば、きゃ~っと笑いながらふさふさの尻尾が嬉しそうに揺れる。  シファが可愛すぎてそのうち私の頬は緩みきったまま戻らなくなるんじゃないかと、最近割と本気で心配している。 「あのね、さっきみーあちゃんがね…あ、いいにおい!きょうのごはん、おにく!?」  そんな私はさておき、腕の上で目をキラキラさせながら今日の出来事について話そうとしていたシファが、突如ピクリと鼻をあげ、大きな目をさらに見開いた。  ミーアもそうだけど、幼い二人はこんな風に興味が次々と移っていく。 「ふふ、そうだよ。でも夕ご飯の前に、まずはそのどろんこの身体を綺麗にしよっか?」  無邪気で元気いっぱいの姿にますます頬を緩めながら、やったぁ、とはしゃぐシファを抱えたまま、水浴び場まで移動するべく靴を履く。  って、そうじゃないでしょ…!これじゃ今までと同じだよ…!  しかし、そこでようやくこれから言わなければならないことを思い出し、内心でまた頭を抱えてしまった。 「?」  突如立ち止まった私を見て、シファが綺麗な赤い瞳をぱちくりさせながら少し首を傾げる。  その表情は、この先何か悪いことがあるかもしれないなんて露ほども思っていない、いたいけで希望に満ち溢れたものだった。 「……」  ゴクリ、と思わずつばを飲み込む。  これからこの愛らしい天使のような表情を悲しみに曇らせてしまうのである。  他ならない、私自身の言葉によって。  う、うぅ…、なんだかお腹が痛くなってきた…。  絶望感と共に再び冷や汗が溢れ出してくる。  同時にまるで鐘一つ分(約二時間)全力疾走したあとの如く、胸がバクバクと鼓動し始めた。  こんな残酷なことを口にしなければならないだなんて、私は前世で一体どれほど悪いことをしてしまったのだろうか。  気分はさながら断頭台へと続く階段を上っているかのようであった。  しかし、それでも私は伝えなくてはならない。 「あ、あのね…、シファ…」  いっそ私の方が泣き出してしまいそうな気持ちになりながらも、ついに意を決して口を開く。 「なぁに?」 「実はね、その、私…、またしばらく、ここを、離れないと、いけなくてね…?」 「…え?」  そして可愛いシファの返事に思わず話題を変えてしまいたくなるのを何とか堪え、断腸の思いでそう伝えると、案の定直前までの零れるような笑顔から一転、元気よく揺れていた尻尾がパタリと止まった。  私の服に掴まる小さな手が、ギュッと握りしめられる。  う…っ!  それは年相応の可愛らしい力だったけど、まるで心を直接握られたかのように胸が苦しくなってきた。  予想していたことだとはいえ、この凄まじい罪悪感にはもはや目を合わせていられず、シファを腕に抱いたまま、視線だけをスーッと良い匂いが漂ってくる部屋の奥へと逸らす。  夕飯のお肉の香りが私に力をくれることを願って。 「こ、今度は、その…、ひ、一月ほどに、なるん、だけど…」 「……」  その甲斐もあってか、しどろもどろになりながらも何とか言い切るも、シファから答えは返ってこず、ダラダラと冷や汗が滝のように流れ出してくる。  あ、ああ…!やっぱり悲しそうな顔してる…!  挙げ句には悲しむ顔を見ていられないからと視線を逸らしたというのに、気配でどんな表情をしているのかが手に取るように分かってしまい、ますます罪悪感が募っていくような始末であった。  このときばかりは自分の気配探知能力が恨めしく思えてくる。  ところが。
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