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「だ、大丈夫だよ、仕事と言っても、家の中でするものは身体を動かすわけじゃないんだよ?それにほら、みんなだって頑張ってるんだし、私一人が休むわけにはいかないからね」
「でも、めいちゃんは、おかあさんはしごとしすぎだって、いってたよ…?もっと、やすんだほうがいいって」
「え、えぇ…?」
しどろもどろになりながらも慌てて説明したものの、再びシファから予想外の言葉が飛び出してきてびっくりした。
メイ達の方がもっと頑張ってると思うけどなぁ…。
なにぶん不夜城だなんて呼ばれるくらい働きどおしな上に、みんな責任重大な仕事に就いているのである。
実際、メイもフィーナもいつ会っても精根使い果たしたかのようにぐったりしているし、寝なくても平気なほど元気が有り余っている私とは、仕事の忙しさも緊張感も比べるべくもないだろう。
案外、頑張っている本人には分からないものなのかもしれない。
「それはきっと、メイが自分の大変さに気づいていないだけなんじゃないかなぁ…」
「めいちゃん、うそついてるの?」
「あ、そ、そうじゃなくてね…。う、う~ん…、なんて言ったらいいんだろう…」
慌てて誤解を解きつつ説明するも上手くはいかず、シファの表情は一向に晴れないばかりか、むしろますます不安げに曇ってしまった。
きっとサトリさんやゾフィーならすらすらと説明できただろうに、口下手な自分が恨めしい。
とはいえ今更そんなことを嘆いても仕方がないので、何とかシファの心配を解消しつつ仕事をすることができる良案はないものかと、必死に考えを巡らせる。
するとありがたいことに、すぐにピンと閃くものがあった。
「あ、そうだ!それなら今日のシファとミーアの勉強は、外でするというのはどうかな?」
私の体調を心配して不安がっているのだから、実は悪くなかったのだと分かってもらえばいい。
休むのではなく、むしろ外に出て身体を動かすことで、元気さを訴えて安心してもらおうという逆転の発想である。
「ほんと!?」
我ながらなかなかの名案に、思ったとおりパァッとシファの顔が輝いた。
二人ともいつもとてもいい子に一生懸命勉強してくれているものの、やっぱり外で身体を動かす方が好きみたいで、屋外授業の日は毎回とっても喜んでくれる。
本当は今日は屋外授業の予定じゃなかったんだけど、スケジュールをちょっと調整すればいいだけだし、それでシファが安心してくれるのなら何も問題はない。
うん、頭もちゃんと冴えてるし、シファは心配してたけど、これなら大丈夫そうかな。
「シファとミーアが一緒にいてくれたら、すぐに私も元気になれるからね。
さ、それじゃ、朝ご飯を食べようか」
「うん!」
元気よく頷いてパタパタと尻尾を揺らせるシファに微笑みながら、一緒に料理のお皿を並べ直していく。
今日は何を勉強してもらおうかなぁ…。
心配事がなくなれば、思考は自然と屋外授業の方へと切り替わる。
二人とも教えたことをどんどん吸収してくれるので教え甲斐があるし、好奇心に目を輝かせながら夢中になる様子はとても可愛らしく、私自身毎回楽しみにしていた。
村周りばかりだと飽きちゃうし、今日は北の森近くまで足を伸ばしてみてもいいかも。
ただ、そんな風にして今日の予定について考えを巡らせているときのことだった。
「あ…」
ふとした拍子に肘がコップに当たってしまった。
しまったと思ったときにはもう遅く、掴もうとした手をすり抜けてコロコロとテーブル中央へ転がっていく。
み、水が入ってなくてよかったぁ…。
もし水が入っていたら、せっかくの朝食が台無しになってしまうところだった。
しかしホッと胸をなで下ろして間もなく、
…あ!
すぐに状況を理解して、ツツッと冷や汗が頬を伝うのを感じた。
そのまま恐る恐るシファの方へ顔を向ける。
「……」
すると案の定、また不安そうに表情を曇らせているのが見えた。
あ、ああ…、せっかく笑顔になってくれたのに…!
これが普段ならただの笑い話で済むところなんだけど、なにぶん今はシファが私の心配をしているという状況。
そんな中でうっかりコップを倒してしまえば、当然こういう反応になるわけで、元気なところを見せるどころか完全に逆効果となってしまった。
うぅ…、今まで食器に肘を当てちゃうことなんて一度もなかったのに、よりにもよってどうしてこのタイミングで…。
「え、えっと、今のは…」
というわけで急ぎ弁解の言葉を考えながら、ひとまず倒れたコップを戻そうと手を伸ばす。
しかし、その刹那。
…え?
一瞬、視界が暗転した。
咄嗟にテーブルに手をつき、慌てて身体を支える。
「おかあさん!」
すぐさまシファがびっくりした声を上げて駆け寄ってきた。
あ、あれ…?
もしかして私、本当に体調悪い…?
シファの言葉を信じていなかったわけではないんだけど、頭はちゃんと働いているし、身体の方も本当になんともなかったから、少し顔色が悪く見えちゃったかな?くらいに考えていた。
でも、めまいまでするとなると流石に不調を疑ってしまう。
「び、びっくりさせてごめんね…!でもちょっと立ちくらみがしただけだから、心配しなくても大丈夫だよ?」
「で、でも…」
とは言ったものの…、せ、説得力ないなぁ…。
少なくとも私なら、具合が悪そうだと思っている相手がコップを倒し、さらにはふらつくところまで見て、大丈夫だとは絶対に思わない。
もし逆の立場であれば、直ちにシファをお布団に寝かせて、アーデさんのもとへと走っているところである。
「……」
果たしてシファも安心などしてくれるはずもなく、私の服を掴みながら泣きそうな顔で見上げてくる。
その姿に、今度は別の意味で膝をつきそうになってしまった。
だ、駄目だ…!今日はもう休もう…!
何とか安心してもらいつつ仕事もできるようにと頑張ってみたけど、事態は悪化していくばかりだった。
ならばここは二兎を追い続けるのではなく、仕事の遅れを覚悟してでもシファの安心を優先すべきだろう。
みんなに迷惑をかけた分は今まで以上に働いて取り戻せばいい。
即座にそう判断し、考えを切り替える。
「わたし、めいちゃんたちよんでくる!」
「え!?シファ、ちょっと待っ…」
しかし私が口を開くよりも早く、シファが服から手を離し、まるで突風のように家を飛び出してしまった。
伸ばしかけた腕の先で、開け放たれたままとなった玄関の扉がゆらゆらと揺れている。
シファは足が速いなぁ…。
その様子を、なんとも感慨深い気持ちでぼんやりと眺める。
出会った頃はガリガリに痩せていて、歩くのにもふらつくような状態だったのに、今ではこうして止める間もないくらい元気いっぱいになってくれた。
背だってぐんぐん伸びているし、毎日色々なものを吸収してすくすくと育っていくシファは将来どんな子になるのか、今から楽しみでならない。
……。
って、そ、そうじゃなくて…!早く追いかけないと…!
シファの成長ぶりにほのぼのと顔をほころばせていたのもつかの間、すぐに自分のやるべきことを思い出して我に返る。
今やるべきは飛び出していったシファを追いかけて、一刻も早く不安を解消してあげること。
それに、ただでさえ忙しいメイ達に余計な時間を取らせるわけにもいかないし、今日の手伝いをお休みする連絡だってすぐにしなければならない。
改めて考えるまでもなく、ここでぼんやりしている場合ではなかった。
なので急ぎ玄関へと向かおうとしたものの、しかしそこでまためまいがしてテーブルに手をついてしまう。
どうやら本格的に調子がおかしくなってきたらしい。
でも今回も一瞬のことだったので、気を取り直してすぐに顔を上げる。
「ソラちゃん!」「ソラ様!」
「…え?メイ?フィーナ?」
と、驚いたことに、目の前には青い顔をしたメイとフィーナがいた。
いつの間にかしゃがんでいたらしく、二人とも私の傍らに座り込んで身体を支えてくれている。
しかもその隣には同じように膝をつき、真剣な目を向けてくるサトリさんとアーデさんまでいて、まるで時間だけが一足飛びで進んでしまったかのようなみんなの突然の登場にびっくりするも、
ま、まさか私、気を失っていたの…?
すぐにまた状況を理解し、思っていた以上の状態の悪さに流石に不安を覚え始める。
けれど小さく私の服を掴む感覚に何気なく顔を向けたところで、そんな気持ちも吹き飛んだ。
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