大わらわの半年間

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「ダーグネイトは元々軍事が盛んなことで有名な国だからね。  戦争を間近に控えて動きが活発化したところで、誰も不審には思わないんじゃないかな」 「あー…。すっごく納得…」  その言葉にきっと地下闘技場でのことを思い出したのだろう、メイが何とも言えない表情になった。  確かに普段から国全体があの感じならば、誰もおかしいだなんて思わない。  豪放磊落な性格の一方で結構策士なところのあるアノールンドさんのことだから、きっと今回のことも意図しての行動に違いない。  ジスフィニド然り、流石は帝国を相手取ろうとするだけあって抜け目なく、同盟国としては頼もしい限りである。 「最後は帝国側の動向についてだけど、狙い通りアリガルース三国の方に意識は完全に集中していて、私達の動きにはまったく気づいていない。  天ヶ原内部も同様だね。こちらの詳細はあとでチアキから報告を聞いてもらうとして、以上のことから予定通りアリガルース三国が宣戦布告する前日、つまり十日後に作戦を決行できるよ」  お父さんがそう締めくくると、ぴりっと空気が引き締まった。  ついに、十日後…。  十日後にはみんなの悲願であり、十数年越しで懸命に準備を進めてきた天ヶ原の奪還計画を実行に移すのである。  もちろん決戦の日が差し迫ってきていることを、今この時まで知らなかったわけではない。  でもこうして具体的な日取りを聞けば、本当にもう目前のことなのだと強く実感させられて、ぶるりと震えてしまうほど心が奮い立ってくる。 「あら、ソラはずいぶんと頼もしい顔をしているわね。  けれどあまり気負いすぎてはいけないわ。事を為すのに最も大切なのは、平常心を失わないこと。そのことは貴女もよく分かっているでしょう?」  ただそんな風に意気込んでいたものの、すかさずサトリさんに宥められてしまった。  思わずハッと顔を向ければ、どうやら私の気持ちなどすっかりお見通しだったらしく、困ったように笑っている。 「寝なければもっと働けるかも~、なんて発想をするのは、この村でもソラちゃんくらいだもんねぇ…」 「真面目すぎるのも考えものよね」 「う…。そ、その節はご迷惑をおかけしました…」  続けてメイとゾフィーが肩をすくめ、みんなも苦笑いを浮かべるのを見て、途端に今度は恥ずかしくなってきた。  隣でじぃーっと私の顔を見上げてくるシファとミーアの視線がとても痛かったけど、こればかりは自業自得なので仕方がない。  それにしても、サトリさん達はいつもどおりなんだなぁ…。  十日後というお父さんの言葉に場の雰囲気こそ引き締まったものの、先のリズちゃん達然り、みんな特に気負った様子もなく、ごく自然体でいる。  十数年もの間この時のために準備し続けてきたんだから、積もり積もった思いだって相当なものに違いなく、私以上に意気込んでいてもおかしくないはずなのに、そんなことはまったく感じさせない余裕を目の当たりにして、ほとほと自分の未熟さを痛感すると共に少し冷静さが戻ってきた。 「さて、次は武器と食糧の状況ね。ダンテ?」  小さく息をつく私を見てサトリさんが満足そうに頷いたあと、ダンテさんへと目を向ける。 「刀も携帯食もすべて順調だ。すでにほとんどがマリナんとこに運び込んである。  ま、この後もまだいくつか作るから、それは俺達と一緒に向こうに行くことになるけどなァ。ったく、久しぶりの大仕事だったぜ」  コキコキと首を鳴らしつつもどこか満足げな表情で話すダンテさん。  根っからの職人であるダンテさんは、仕事の難度が高ければ高いほど燃え上がるのである。  まして今回は、ただでさえ難しい刀の作製を短期間で数万本も仕上げるという非常に高難度の仕事だったわけだから、達成感もひとしおに違いない。 「ふふ、お疲れ様。ロック達もずいぶんと腕が上がったみたいね」 「けっ、まだまだだ、こいつらはよ」  促すように視線を移すダンテさんに倣って顔を向ければ、ロックさんとホートさんの二人が穏やか…というよりも、燃え尽きたような顔で中空を見つめていた。 「これでようやくまともに寝られそうだぜ…」 「ああ…」  しみじみと呟く声には万感が込められていて、今までの苦労が偲ばれる。  そんな二人からダンテさんが視線を戻し、な?と肩をすくめると、サトリさんが小さく笑った。 「ダンテの跡を継げるようになるのはもう少し先のことかしら?  では続けてアーデ、報告をお願い」  ダンテさんの報告が終われば、次はアーデさん。  分かりました、と穏やかに微笑み、さっそく話し始める。 「私の方からは、医療体制が概ね理想通りの形となったことについてご報告させていただきます。  これまで勉強会や情報共有を度々行ってきた結果、各人の経験の差こそありますが、今では私も含めた約二百名もの薬師が、同じだけの知識を持って医療活動を行うことができるようになりました。  いやあ、天ヶ原の医療体系は私の知っているものとは大きくかけ離れていましたので、毎回目から鱗が落ちる思いでしたよ。  天ヶ原の皆さんの方も私の持っている知識にいたく興味を持たれていましたし、実に有意義な時間でした…」  言葉のとおりとても楽しかったようで、眼鏡の奥にある瞳をまるで子供みたいにキラキラと輝かせながら語る姿は微笑ましい。  私もダーグネイトでログマスタさんと手合わせをしたときには同じようなことを感じたから、その気持ちはよく分かる。  なのでほのぼのと話を聞いていたものの、すると私やみんなのほっこりとした眼差しに気づいたのだろう。  ハッとなったあと、ああすみません、と照れたように後ろ頭をかいてまた説明を続けた。 「と、そういうわけで全体の医療レベルが上昇し、かねてよりお伝えしていた『衛生部隊』も同様に、ほぼ理想に近い形で完成しました」  衛生部隊。  聞き慣れないこの部隊は、アーデさんの提唱により生み出されたもので、戦闘や運搬ではなく治療を主な役割とする、従来の兵法にはない新しい概念で形成されている。 「戦場において負傷者が出た場合、従来ですと技量のまちまちな個人で応急処置を施すより他になく、状況によっては拠点に戻ることもできるかもしれませんが、それでもどうしても治療まで時間がかかってしまいます。  ですが戦場に薬師が滞在することで、精度と時間の両方を解決することができるのです。  皆さんのご協力の甲斐あってようやく形にすることができました。  普通でしたら薬師が戦場になど出ようものなら敵の攻撃を受けて即全滅か、あるいは他部隊の足並みを乱してしまうことになりかねませんが、なにぶん天ヶ原の薬師の皆さんは全員が戦闘の心得を持ってらっしゃいますし、そのための訓練もしてきましたから、いずれも問題はありません。いやはや、皆さん多才で羨ましい限りです」  ただそう言って明るく笑うアーデさんとは対照的に、聞いている私の心にはどんどん不安が膨らんでいった。  衛生部隊の有効性については今説明してくれたとおり疑う余地もないし、読み書きよりも先に剣術を学ぶ天ヶ原のみんなが戦う術を持っていることも、今更言うまでもない。  でもアーデさんに戦闘の心得はまったくないし、それどころか身体を動かすことさえ苦手なんだから、後方の部隊とはいえ十分危ない気がする。  この話を聞くのは初めてではなかったものの、よくよく考えると心配になってきた。 「…というか今更なんだけど、天ヶ原の面々はいいとしても、体力も力もないあんたに部隊なんて務まるの?」  と、心配になったのはやっぱり私だけではなかったらしい。  リズちゃんがすかさず疑わしそうな目を向けた。  しかし私達の心配はどうやら想定の範囲内だったようで、すぐにアーデさんが胸を張って頷き返す。 「ふふ、その点もご安心下さい。いざ戦いとなっても大丈夫なように『一日中走り続けずにはいられない強壮剤』と『脳を騙してリミッターを一時的に外す薬』『鎮痛剤』を開発しましたから。  もちろんリズさん達のようにとはいきませんが、これさえあれば、私でも自分の命を守ることくらいはできるはずです」 「「……」」  自信満々なアーデさんの様子とは裏腹に、一瞬場に沈黙が降りる。 「身体を鍛えるって発想はないわけね…」 「というか、薬の名前が相変わらず禍々しすぎなんだけど…。  あと、そこにしれっと入ってるシンプルな鎮痛剤が色々な意味ですごく怖い…」  何とも言えない雰囲気の中、何とも言えない表情のリズちゃんとメイが再び私達の心の声を代弁してくれた。  それに、どう考えても身体に悪影響がありそうな名前もさることながら、いずれも初めて聞くものばかりだというのもまた恐ろしい。  何故なら名前を聞いたことがないということは、アーデさんが他人に勧めていない、つまり臨床試験をしていないということなのだから。 「……」  思わずトキサダさんとリュートさんの方を向けば、二人も同じ考えに至ったみたいでピタリと目が合った。  …薬を使わずに済むよう、私達がしっかり守ろう。  そう固く誓い、しかと頷き合う私達であった。
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