できたよ、お母さん

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 でも、そんなお母さんが、僕が三つか四つくらいの頃、一度だけ顔を真っ赤っ赤にして大きな声でめちゃくちゃに怒ったことがありました。  僕がスーパーの駐車場でお母さんの手を離してパッと走り出してしまったときです。店の出入口のところに僕の大好きなガチャガチャがあったから、僕はついつい早く見たくなって走ってしまったのです。僕のお母さんはニコニコ優しいから、いつもらなら僕がねだると「1回だけね」とガチャガチャをやらせてくれました。だから、僕はいつもと同じように一度だけやらせてもらえるつもりでいました。なんなら、「けんちゃん、もうそんなに早く走れるのね」と褒められるくらいのつもりでした。  けれど、その日のお母さんは見たことないくらい怒っていました。 「車にぶつかったら死ぬのよ!!」  お母さんは声を裏返して怒鳴りました。車にぶつかったら死ぬ、死んだら二度と会えないのだと。  僕はそのとき初めて知りました。車にぶつかると死んでしまうこと、死んでしまったらお母さんやお父さんに二度と会えなくなること、そしたらもうお母さんに「すごいね、けんちゃん」と言ってもらえなくなってしまうことを。  後にも先にも、あんなにお母さんが怒ったことはありませんでした。  だから、今僕は思います。お母さんは何より僕の命を大切に思っているのだと。お母さんは、僕の初めてのことを大事にしている。それは、僕が生きているからこそ大事にできるものです。生きているから、初めてのことがあるし、初めてのことに挑戦できる。生きていなければ、初めては生まれてこないのです。  いつの間にか、僕はお母さんに「できたよ、お母さん」というのが癖になっていました。お母さんに褒めてもらえるのが嬉しくて嬉しくて、何かできるようになるとすぐにお母さんに報告していました。  ブロックで初めて車を作れたとか、自分で脱いだ服を洗濯機に入れることができるようになったとか、九九の難しい7の段が早く言えるようになったとか……本当に毎回どうでもいいようなことで「できたよ、お母さん」と叫んでいたような気がします。そんな僕に、お母さんは面倒臭がるどころか毎回嬉しそうに「すごいね、けんちゃん」と言ってくれました。それで調子に乗っていたこともあったかもしれません。  僕は、5歳から始めた水泳が好きでずっと続けています。水泳が好きになれたのは、何か少しでも成長する度にお母さんが褒めてくれたからだし、続けているだけでお母さんが褒めてくれたからです。  普段口下手なお父さんも「水泳は諦めずに続けてえらいな」なんて褒めてくれています。お母さんはどんなことでも褒めて育ててくれていたはずなのに、なぜ水泳だけをこんなに続けられているのか。それはきっと、大切なことだからなんだと思います。  そして、初めて25メートル泳げてお母さんに褒められていた僕も、今では何キロも泳ぐことができます。人を担いで泳ぐことだってできます。
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