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   一孝はとても頭がよく、そして気難しい子供だった。  いちいち辛辣なので、女子に恐れられていたし、男子からは一目おかれ、教師からは扱いにくそうな、そんな生徒。けれども沙也子は、いじめを見過ごさない一孝を何度か見かけた。本当は優しい子なのだ。  家が近所なので、自然と帰りが一緒になる機会が多かった。沙也子は物心ついたときには父親を亡くしており、一孝は母親がいなかった。  子供心に片親が共通点だと思ったのかもしれない。沙也子は一孝をよく家に誘った。3回に2回は断られたけれど、その分来てくれるときは嬉しかった。母の深雪が一孝のことを気にかけていて、彼が来たときはボリュームたっぷりのおやつが出ることも嬉しかった。 「いつも沙也子と仲良くしてくれてありがとう。家族みたいなものだと思って、何かあったらいつでも頼ってね」  深雪が一孝にそう言うたび、彼は少し複雑そうな顔をしていた。  そんな一孝との日常も、小学校卒業と同時に終わることとなる。地方で暮らしている祖母の体調がよくなく、深雪とともに祖母のもとへ引っ越すことになったからだ。  淡泊な彼は別段寂しいそぶりも見せなかったが、沙也子は悲しかった。手紙を書く約束をした。しかし、一度も出さなかった。引っ越してすぐ、深雪が事故で亡くなった。  それから祖母と二人暮らし。祖母は優しかったし、沙也子も精いっぱい祖母を支えた。その祖母も、この夏、眠ったまま亡くなった。  悲しみに打ちひしがれたが、今後のことを考えると不安でもあった。祖母と住んでいた公団は、きっと出なくてはならない。沙也子が把握する限り親戚はおらず、病院で泣きながら途方に暮れていたところに、一孝の父が訪ねてきた。 「沙也子ちゃんとお母さんには、一孝が本当にお世話になっておきながら、お母さんのときには知らなくて何もできなかったことが悲しかったんだ。だから、おばあさんに何かあれば、私のところに連絡が来るよう頼んでおいたんだよ。よければ、いろいろな手続きは私に手伝わせてくれないかな」 「それは……すごく助かるんですけど……。おじさん、お仕事大丈夫ですか」  一孝の父は海外出張が多く不在がちで、一孝はよく一人だった。だから家に誘っていたのだ。正直この申し出はとても心強いが、家族でもないのに甘えていいものか戸惑った。  一孝の父、誠司はにっこりと微笑んだ。 「もちろんだよ。頼ってくれると嬉しい」  そうして誠司は手続きや届出をすべて終えると、次は沙也子の面倒をみてくれると言い出した。 「私は今ほぼ海外にいるんだが、私が所有しているマンションの一室に一孝を住まわせていてね。その隣が空いているんだ。もちろん家賃などはいいから、よかったら、息子の食事の世話などを頼めたらありがたい」  沙也子の生活を保護する代りに家政婦をしてほしい。気を遣わせないように交換条件を出してくれたのか、ただの社交辞令ではなさそうだった。他に頼る人もいなくて、涙が出るほどありがたいのも事実だった。沙也子はしばらく迷い、おずおずと見上げた。 「一孝くんの、迷惑になりませんか」  誠司はぱちりと瞬くと、おかしそうに笑った。 「全然。もう話はしてあるから大丈夫だ」  涼元一孝。  沙也子は、幼馴染の顔を思い浮かべた。 (手紙を書く約束、守れなかった。怒ってないかな)  いや、あんな一方的な約束、彼ならまったく気にしていないだろう。覚えてすらいないかもしれない。沙也子は心を決め、誠司に頭を下げた。 「すみません、よろしくお願いします。あの、母が残してくれたお金が少しあるので……」  誠司は「気にしなくていい」と寂しげな笑みを浮かべた。
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