すきすきからの卒業

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「ただいま〜」  誰からの返事もない挨拶を繰り返して何年目か、今までさほど寂しく思わなかったのも人肌恋しくならなかったのも、きっとすきすきのおかげだった。自分と向き合うように、私はすきすきと向き合ってきたのだ。だからこそそれが私の足を引っ張ることは良い事ではない。安心するために触れてきたすきすきが私をさらに不安にさせるのなら。  私は決意する。  何年も何年も、廃れては買い直してきたすきすきを、感触を、全てをまとめて捨てよう。ソファに綺麗に畳んで置いてあるすきすきを手に取り、ベランダに設置してあるゴミ箱へとドサッと捨てた。その音によってすきすきが「拠り所」から「物」になっていく。捨てた瞬間に後悔が押し寄せ、パニックになって咄嗟にゴミ箱に手を伸ばすけれど、昨日の野菜炒めの残骸がすきすきにくっついて、もう既にただのゴミに成り下がっていた。ゴミ箱に貼り付けた虫除け剤の柑橘系の匂いが、目の前の大好きなすきすきだったものにどんどんと染み込んでいく。気づけばすきすきはあっという間にゴミ箱に馴染んで、何の違和感も抱くことが出来なくなった。そう、これはただのゴミ。抱きかかえることも撫でることもできない。  夏とはいえまだ冷える初夏の風。コンクリートが敷き詰められたベランダの床はサンダル越しに私を足元から冷やしていく。しゃがみこみ、声を殺して泣きじゃくる。そんな私を包むすきすきはもう、ここには無い。  さようなら、私のすきすき。
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