すきすきからの卒業

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 夢も見ず、まるで昨日の続きかのような清々しい気分で目が覚めた。誰よりも早く起きた朝のリビングは少し涼しくて、ひんやりと沈みこんだ部屋の下の方の空気が足元から私の目を覚まさせた。お水は……今はいらない。その心地よい寒さが目を覚まさせてくれたから。  窓から外を見れば太陽がゆっくりと登り始め、四角い窓枠からの日差しがみんなを照らす。眩しそうに目を擦るミカと、ちっとも動かず爆睡を続けるタエ。ソファですやすやと眠る小動物のようなユキちゃん。ああ、いい夜だったな。たった数時間前の昨日を思い出して私はタオルケットを手で揉んだ。 「え?」  私の声に反応して起きてきたユキちゃんが「ああ、それ」と笑顔で応えた。 「こっ、これ、ごめんね、ユキちゃんのだよね?ありがとう」 「ん〜?ああ、いいよいいよ〜日向ちゃんさ、酔って"タオルケットが無い〜"って泣き出すもんだからさ、家にあったやつ渡したの。そしたら抱きかかえてスヤスヤ寝ちゃってね、もうそれが可愛くてさぁ。みんなで可愛いーって話してたんだよ〜」  サッと血の気が引くのが分かった。やってしまった。大丈夫だと思っていたのに。ユキちゃんが見せてきたスマホには泣きじゃくる私の姿と、その音声。 『やだぁ……タオルケット、すき、すき、無いと、嫌ぁ〜……』  最悪だった。よりによって他人の家で、ましてや泣くまで駄々をこねるだなんて。そして口では可愛いと言いつつも私を動画に収めているユキちゃんが心底恨めしかった。こんなの撮らなくたって良かったでしょ。そっとしておけば、ほっとけば良かったじゃん。動画内で笑う皆の声に、こんなにも私は悩んでいるのにと、当たり散らしてしまいそうになる。そんな乱暴な考えを必死に抑えて、借りたタオルケットを畳んでいく。くそ、くそ、くそ。それなのに、こんな時にだって5本の指で掴んで揉むように、感触を確かめてしまう。苦しい、やめたい。恥ずかしさと自分への情けなさ、ユキちゃんへの怒りで頭がおかしくなりそうになる。「すきすき」と呼んでいたのがギリギリバレないような言い方だったのが、せめてもの救いだった。 「あ、のさ、ちょっと体調悪いかもだから片付けたら先に帰るね」  私は身の回りをさっと片付けて逃げるようにユキちゃんの家を後にした。  いつかの自慰行為中に触れたすきすきの感触と、ユキちゃんたちの笑い声。服に着いた人の家の匂いとおぼつかない足取り。全ての感覚が私を揺らす。  電信柱に手を置いて下を向けば自然と赤い吐瀉物が流れ出る。昨日飲んだ赤ワイン、高かったのに。二日酔いではない、酔い。それがいつまでも私を揺らしては馬鹿にしている。
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