すきすきからの卒業

8/8
前へ
/8ページ
次へ
 朝一番だろうとなんだろうとレジのお姉さんは笑顔で機械的に業務をこなしていく。紳士服売り場と婦人服売り場の間にある小さな日用品コーナーで、少し遅く回ってきた本当の二日酔いに頭を押えながらレジに並んだ。 「いつもご利用ありがとうございます!」  そんなお決まりの挨拶に、私は溜め息をついた。いつも、ね。他人の言動全てが今では私を攻撃しているように感じてしまう。現に、セルフレジで会計を済ませた今もおつりが777円になってうっかり機械をぶん殴りそうになった。小銭の量も多いし、無駄にラッキーだし。全てに馬鹿にされている気にすらなってくる。ああ、本当、もったいない。こんなところで使っちゃうラッキーだなんて。そんなの最初から無い方がずっとマシだ。  買ったのは、今までで一番いい肌触りのタオルケット。ほどほどに良いトップスが一着買えてしまうくらいの、うんと上質なやつ。きっと赤ちゃんだって喜ぶ肌触り。私はそれを袋にも入れず、抱きかかえて帰路につく。何度目の、何枚目のすきすきだろうか。  ブロロロ、見覚えのあるゴミ収集車が目の前を通り過ぎていく。 「ああもう……ゴミ、出してないのに」  ほらまた、私はいつだってひとつの事しか見えていない。朝に見せられた動画のことで頭がいっぱいで、ゴミ箱に捨てられ汚くなってしまったすきすきのことなんて考えてすらいなかった。考えていないどころか、忘れていたのだ。そして今、呑気に新しいすきすきを抱えている。そんな、何をしてもひとつのことにしか目を向けることができない私が唯一心を休めることができる場所がすきすきなら。そのひとつに心を預けてしまうのも、それはそれでいいだろう。もう、諦めよう。私はまた、すきすきを受け入れよう。  その場に立ちすくみ両方の手のひらと頬ですきすきの感触を味わう。大きく息を吸って、新品のすきすきの匂いを嗅ぐ。5本の指でギュッと握って指と指の間に挟まるすきすきの冷たさと滑らかさに安心を預ける。頬ずりをすれば逆撫でられたすきすきの感触がまたくすぐったくて、嬉しくて。自分の中がすきすきだけで埋まっていく。 「あー、うん、もう別にいっかぁ」  全て、どうでもいいのだ。ユキちゃんなんかに笑われる筋合いなんてなくて、健全な女性としての自慰行為に例えすきすきが使われようとも、誰に迷惑をかけているでもない。少なくとも、すきすきは、私を惹き付けはすれど酔わせはしない。吐かせて惨めな気持ちにさせることだってない。それならいいじゃないか。何を何と呼ぼうと、私の勝手だ。  二日酔いと並べるにはおこがましいくらいの綺麗な夏の空。全てを嫌って握る拳はきっと私なりの強さの証だった。真新しいタオルケットを抱きしめて目を潤ませる大人を、みんなが避けて通り過ぎる。そりゃそうだ。こんなの普通怖いもんね。あーあ。 「……また買っちゃった」  
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加