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◆ ◆ ◆
「理美おねえさん、あそぼ!」
「ごめんね、渉太くん、私、友達と予定があるから」
遊びに来たという、渉太に向かって、玄関前で、そう言葉を返す。
それは嘘ではない。学校生活の中で、出来た彼氏とのデートの約束がこれからあるのだ。
すると、さきほどまで明るかった、彼の表情は、まるで、雲が太陽を隠すように暗いものとなっていく。
「……理美おねえさん、お友だちと仲良しなんだね」
「……それじゃあね」
そう答えては、彼のそんな表情を長く見ていることが出来なくて、扉を閉めようとした。
けれど、彼は、大きな瞳を潤ませて、上を向く。
「……僕ね、早く、オトナになるよ!」
「っ、……」
そうだ。私も、渉太くんも、早く
早く大人になってしまえばいいのに。
けれど、今の私は、もうすでに気づいている。
子どもの頃に戻りたいと思えたその時が、
本当の、大人になったってことなんだ。
◆ ◆ ◆
駅近くにあるホテル。そこでは、期間限定で、季節に合わせた様々な、デザートビュッフェを行う。
今の季節は、冬であるため、旬のイチゴを使ったデザートがメインのそれに、理美は訪れていた。
「理美、久しぶり!」
さきに席についていたのは、この秋、結婚したばかりの早百合。
招待された、挙式も披露宴も、彼女らしさに溢れていたし、ドレス姿の彼女は、こちらが照れくさくなるほど美しかった。
そんな彼女と、理美は、その結婚式以来、久しぶりに、この場で会う約束をしていたのだ。
積もる話をする前に、ビュッフェの時間制限に追われている彼女たちは、デザートを一通り、皿に取り終えた。
イチゴのタルトにフォークを刺しながら、理美は、早百合に尋ねる。
「それで結婚生活はどう?」
「今のところは、さすがに楽しいよ。まぁ、生活リズムが合わなかったり、遅くなる時、連絡くれないとか、ちょこちょこムカつく時はあるけど」
惚気話や愚痴を覚悟していたが、彼女は意外にもあっさりとそう告げる。
恋人の話をした時の、彼女の躁鬱を思わせる不安定さを知っていた理美は、今の彼女の表情を見て、他人事だからこそ、『これが、運命の人ってやつか』などと思えてしまう。
「それで、そっちはどう?」
「どうって?」
理美は、イチゴの一粒を口へと放り込む。じわっとした酸味と甘み。スーパーで買ったそれとは、味が違うと感じた。
「だから、恋人の話。今はいるの?」
「うん、まぁ……」
理美は、彼女の言葉にあいまいに頷き、今度は、イチゴのプリンへとスプーンを落とした。なめらかな触感だ。甘すぎないこれは、渉太も好きだろうか。
「え、まさか前のまま? 年下の彼氏?」
「そんなとこ」
「ええー、もう半年以上は経つわけでしょ。よく続いてるね」
そう言われれば、そうだったと彼女は思い出す。
彼と再会したのは、春先のこと。今はすっかり冬であり、確かに、思っていたよりも年月が経とうとしている。
あの時は、理美自身も、きっと数か月で終わる関係だと思っていたから、早百合がそこまで驚くのも無理はないだろう。
「だって、未来があるわけじゃないんでしょ?」
理美に倣うように、プリンを一口食べた彼女は、またもや、痛いとこをついてくる。
「うん、そうだね。でもまぁ、その、楽しい、し」
彼女の台詞に何気なく、返した言葉。
けれど、早百合は、大きく目を見開いた。
「理美からそんな言葉、初めて聞いた……もしかして、」
流された恋愛に、何かを思うことはなかった。
サークルの先輩も、バイト先の男も、会社の同期も。
辛いことだってあったが、彼らと過ごした日々は楽しかったし、決して無駄だと思ったことはない。
『……好きって言ってくれたことないよね』
それは、別れ際、どの男性にも言われた一言だ。
好きだなんて。言葉で言うだけは、簡単なはずだ。
けれど、告げてしまった途端に、自分が、ずっと大事にしてきたものを落としてしまうような。
そんな、恐怖が常にあり、頑なになってしまうことがあった。
渉太に、対しても、それはそうなのだろう。
私は彼に、一度だって、好きと告げたことはない。
彼はきっと、私のその言葉を聞いたら、喜んでくれるはずだ。昔の恋人たちも、そうしてくれたと想像できるように。
けれど、それを告げる行為は、今までの恋人に対する恐怖とは、また違った色を持っていることに気づいていた。
『昔の記憶がなかったとしても、きっと、俺は今の理美さんのこと、大好きだよ』
それは、いつもの彼のお世辞のような言葉なのかもしれない。
けれど、誰かに『好き』と言われて、満たされる思いになるのも、きっと幼い頃から。渉太だけ。
それならば、
彼の感情が、もしこの瞬間、一時のものであっても。
自分もその言葉を返せたら。
返すことが出来たなら。
ついこの間まで、寝苦しい日々が続いていたが、だんだんと気温は低くなり、冷たい風が吹くようになったこの頃。
遅番上がりの時間ともなると、厚手の上着が必要なほどだが、真冬よりは、過ごしやすい気温ともいえる。
彼女は家へと帰宅し、その玄関に見かけない靴が並べられていることに気が付いた。
「お母さん、誰か来てるの? えっ、ちょ!」
そしてリビングへと向かう途中、ふと、自室の扉が開かれているのを知る。
理美が予想する通り、客人来ているのであれば、この扉が開けっ放しであることは非常にまずい。
今からでは遅いと思いつつも、扉の取っ手を引こうとした時だ。
「……え、渉太、くん?」
理美の部屋の、そのベッドの上。
そこに、一人の少年が座っていた。
ふわりと柔らかな金髪の髪、大きくて青い瞳。半ズボン、半袖の裾から伸びる、どこまでも、細い手足。
まるで、フランス人形のような愛らしさのその姿を見て、理美は、一瞬、過去の渉太を思う。
いや、けれど彼は今や、ムキムキのマッチョだ。
だとすれば、記憶はないが、いつの間にか、通販で頼んだショタのフィギュアが届いており、そして、ここまでクオリティが高かったということだろうか。
「おねえさん、だれ」
けれど、そんな少年は、こちらへと淡々とした口調で問いかけてくる。
すごい! 最近のフィギュアって、ボイスまで搭載されてるんだ! と思ったが、そんなわけはないだろう。
どうやら、目の前にいるのは、生きた人間のようだ。
渉太にそっくりの外見の、幼い少年。もしかして、少し早いクリスマスの魔法だろうかと、未だに混乱しながら、「え、えっと、私は、」と、自己紹介をしようとした時だ。
「こら、! 勝手に入ったら、ダメ! あ、理美さん、おかえり!」
ふと後ろから聞こえた声。振り返れば、その豊満な胸元に鼻がぶつかりそうになる。
「渉太、くん?」
現れたのは、背が高く、筋肉質な男。今度こそ本物の渉太だ。
理美は、俊と呼ばれた、子どもの方へと振り返る。
「えっと、あの子は、」
「あ、俺の弟の俊だよ。十歳年下なんだ。今、実家から、両親も来てて、それで、ついさっき、理美さんの家に、挨拶がてら、お邪魔させて貰ったんだ。連絡してなくてごめんね」
そう、渉太から説明を受け、あの金髪の少年は、渉太の弟だということを知る。
道理で幼いころの彼と、どこまでもそっくりはなずだ。
「ほら、俊、理美お姉さんに挨拶して」
「……はじめまして」
少年は、にこりともせずに、しかし頭をペコリと下げる。
彼に、年の離れた、弟がいることを知らなかった理美であるが、そこでようやく現状に納得し、そして、感動に両手を合わせる。
「は、はじめまして! すご、すごいかわいいね……小さい時の渉太くんに似てると思ったけど、よく見たら、釣り目なんだ……あ、写真だけでも……」
本物のショタに出会えた興奮から、声を震わせる理美。
思わず、抱きしめたくなってしまう衝動を懸命に抑えている。
「ん? 俊、なに読んでるんだ?」
「わかんない」
「うわっ、そ、それは……!」
俊が読んでいた本に気づいた、渉太。
それは、理美のお宝ともいえる、きらびやかな衣装を着た少年たちの画集である。
絵本か何かと勘違いしたのか、俊はそれを膝の上で広げていたのだ。
ちょっとエッチなものでなくてよかったと安心するが、改めて辺りを見渡せば、ショタの漫画や、グッズが、いつも通り、理美の部屋に、そのまま並んでいる。
それを、この二人に見られてしまったと、彼女は今更ながらに気づき、開いた口を閉じることも忘れた。
「俊。理美さんの部屋に勝手に入って、理美さんの物に触ったら、絶対にダメ」
「はぁい」
俊は面倒くさそうにそういうと、本を閉じては、ベッドに転がる。
「こら、俊! 俺だって、理美さんのベッドに寝転んだことないのに! あ、いろいろ、ごめんね、理美さん」
慌てて俊へと駆け寄り、その小さな体を持ち上げる渉太。
まるで、今の渉太と昔の渉太を並び見ているような心地になるが、理美は現在それどころではない。
「あ、いや、ぜんぜん大丈夫、です」
カタコトでそういうものの、この部屋を見られたというショックから抜け出せず、今すぐ消えていなくなってしまいたいと強く感じていた。
「兄ちゃん、おれ、もう眠いよ」
小さな口を広げて、あくびをする俊。
確かに、今の時刻は、小学生の彼にとっては辛いものだろう。
「わかった。うちで寝ていいから。あ、その前に、理美さん、うちの両親も会いたいって言ってて。ちょっといいかな?」
そう告げる渉太のあとに続くと、リビングではすでに盛り上がっている様子の、男女四名。
自身の両親と、小山内家の夫婦だ。
「あら、理美ちゃん、十年ぶり? ぜんぜん変わってないのね!」
「いやいや、ますます綺麗になってるよ」
「あはは、お久しぶりです」
さすが渉太の両親だというような挨拶を受け、照れたように頭を掻く理美。
すっかりと酒に酔っている自身の親にも、この会に混ざるようにと言われるが、そうしてしまえば、実家暮らしや独り身のことを、また、どうのこうの言われるに違いない。
俊を寝かしつけるといっていた、渉太に付き合うという名目で、理美は逃げるようにして、渉太と共に、彼の家へと避難することにした。
「うるさくして、ごめんね」
渉太に抱きかかえられている間に、俊は眠ってしまったのだろう。
俊を隣の寝室へと移し、扉を閉めた彼は、それでも小声にそう謝罪した。
「そんなことないよ、久々に小山内家に会えて、うちの親も喜んでたし」
「それならいいんだけど……あと、俊も。俺には、礼儀とか厳しかった両親も、俊のことは、甘やかして育てたから、随分、生意気なんだ」
「いやいや、そういうところも、かわいいとは思うよ!」
確かに、幼い渉太は、いつもニコニコとしていて甘えたな少年だった。一方の俊は、自由奔放で、あまり人懐こいとは言えない性格のようだが、それさえも、ショタの定番であり、愛らしいと理美は感じる。
確かに、部屋に勝手に入られていたことは驚いたが……とそこでふと、自身のその部屋のありさまを彼に見られていたことを思い出した。
「そ、それより、驚いたよね」
「え、なにが?」
「私の部屋のこと。小さい子とか、結構好きで、ああいうグッズとか本とか、つい、揃えてしまって」
このまま、そのことに触れないでいることも難しいと思い、理美は思い切ってそう告げる。
けれど、彼はもとより、特に気にしていなかった様子だ。
「そうなんだ! 俊は、生意気だけど、小さい子って、かわいいもんね」
「そういう趣味とか、気持ち悪く思ったり、呆れたりしないの?」
「なんで? 好きなことって、自由だと思うけど。俺も、ジャンクフード大好きだし」
「それとはまた違うというか……うーん、なんていうか、エロ本を見られたみたいな」
「え、あ、そうなんだ! それは、恥ずかしかったよね、ごめんね!」
渉太は、理美の例えにようやく気付いたというように、その太い腕をブンブンと振り回した。
そして、彼女を元気付けようと思ってか、「けど、そんなこと言ったら、俺の方が、見られたら恥ずかしいもの持ってると思うし、大丈夫だよ!」と付け足す。
理美は、そんな彼の顔を覗き込むようにした。
「見られたら恥ずかしいもの? 渉太くんは、何持ってるの?」
「え、えっ!」
ふいに形勢逆転されたようで、狼狽える渉太。
けれど、理美に嘘をつけない男は、真っ赤になった身を小さくさせた。
「と、年上の女の人とのそういうの、とか……」
小声で、たどたどしく告げる言葉。
それをからかうように、理美はわざとらしく頬杖をつく。
「そうなんだ。なんだか、嫉妬しちゃうな」
「ち、違うよ! 理美お姉さんだと思って、その、つい見ちゃうだけでっ」
「……私だと思って?」
「う、うん」
理美の問いに、渉太は顎を引いた。
その表情に、妙にムズムズする心地。理美は男へと腕を伸ばし、そっと指先で耳をくすぐるようにする。
すると、男はすぐにスイッチが入ってしまったようで、身悶えるように体をよじらせた。
「あっ、ん、だ、だめだよっ、俊が起きちゃう、からぁ……」
知っているかどうかは分からないが、あまりにも、テンプレのような台詞だ。
それに理美は笑い、「そんなに期待しても、なにもしないよ」と優しく囁く。
「うう……でも、き、キスくらいなら、だ、だめかな……?」
自身で一度拒否したくせに、彼は強請るように上目遣いをする。
「一回だけね」
理美はそう告げると、男の顔を引き寄せて、唇で触れた。
そっと舌で、下唇を舐めれば、自然と開く、口内。それにそのまま、舌を入れて、音を鳴らす。
「ん、んっ、っ、理美おね、えさ、ん、こんな、えっちなのするなんて、いじわる……」
理美の唇が離れると、くたぁっと力が抜けてしまった渉太。
キスだけといっていたのに、ここまでされてしまえば、生殺しもいいところだ。
「そんな、いじわるされても、私のこと、好き?」
「うん、だいすき!」
理美がそう問いかければ、表情を明るくさせた渉太は、勢いよく頷く。
「私もす、」
そこまで言いかけたが、何か恥ずかしくなってしまって、続きが言葉にならない。
昔は、あんなに気軽に言えていた言葉がなぜだろう。
それを隠すようにして、わざとらしく話題を元に戻した。
「あ~、でも、私も渉太くんと同じような感じだよ。ああいうグッズ集めるようになったのは、渉太くんのせいっていうかね」
「ん? どういうこと?」
「小さいころの渉太くんて、それはもうかわいかったでしょ。美少年というか。それで、たぶん、それでショタに目覚めたんだろうな、なんて」
つい、告げてしまった本当のこと。
絶対に彼には言うつもりはなかったことではあるが、何か、彼の大きなその体は、それさえも、今この瞬間、包み込んでくれるのではないかという希望を抱いてしまった。
「それって、理美さんは昔の俺のこと、好きだったってこと?」
「ッ、う、ん、そう」
男の言葉に、そう答えては、顔が熱くなる。
何度だっていったはずだ。幼い彼には大好きだと。
けれど、それを、本人を前に認めてしまうことは、恥ずかしい。
「そうだったんだ……でも、俺は、昔の俺が大嫌い」
けれど、渉太は、ふいに表情を暗くしては、そう告げる。
「へ?」
「なんでもないよ。もうこんな時間だし、両親呼んでくるね。理美さんもそろそろ帰った方がいいと思う」
渉太は低い声でそういうと、身を放すようにして立ち上がった。
あの頃よりもずっとずっと大きな背中が、また、遠くへ離れていくように見えた。
つづく
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