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◆ ◆ ◆
「おねえさん、僕、この前の学校でのテスト、満点だった!」
自身の胸の下あたりまでの背丈の少年。それが懸命に背伸びをして、こちらへと一枚の紙を見せるようにする。
習いたての漢字のテストがあったのだろう。そこには、赤い丸がたくさんついていた。
「渉太くん、すごいね」
「一番最初に、おねえさんに見せたかったんだぁ」
彼はそういうと、後ろで腕を組み、自信満々といった表情をする。
それを褒めるように、少年の頭を撫でた。すると、「えへへ」と声を上げ、嬉しそうに、その小さな身を揺らす少年。
「ご褒美に何か買ってあげるようか?」
「やった!」
少年は素直に喜ぶと、両手を上げた。
彼の望みは、最新のゲームだろうか、それともサッカーボールだろうか。
バイト代は、この前、振り込まれたばかりだ。彼に喜んでもらえるのであれば、どんな高級品でも構わないと思える。
けれど、彼のそれは思わぬものだった。
「それなら、あのね……キス、したい」
真っ赤に染め上げた頬。モジモジと手を組み替え、視線を床へと落としたまま、彼はそう告げる。
あまりに、おませな願いだ。こういう年齢ともなると、精神的にも背伸びしたい時期なのだろうか。
「キスは、好きな人とかしたらダメなんだよ?」
「だって……僕、おねえさんのことすきだから、いいんだもん!」
叫ぶようにそういう彼には、強い意思を感じる。
ここで断ったところで、きっと彼は拗ねてしまうだろう。
そのため、不意を突くように、その顔を覗き込むようにして、彼の頬へ唇をぶつけた。ぷにっと柔らかい感触。
「これでいい?」
「うわっ、ん~……」
触れたそれに目を丸くさせた彼は、しばらくすると頬を摩り、幸せそうに身を左右に動かす。
けれど、ハっと気づいたように声を大きくさせた。
「ち、ちがうよ、キスっていうのは、こっち!」
少年が指さすのは、自身の小さなその口だ。
それに、思わず笑って、耳元に囁く。
「……ナイショだよ」
「う、ん、ナイ、ショ……」
今にも涙が零れ落ちそうなほどに、潤ませた瞳。その瞼を、少年は閉じる。
◆ ◆ ◆
小山内渉太。
十歳年下の彼は、十年前、隣の家に住んでおり、自身にショタコンという性癖を芽生えさせた相手だ。
その彼が、またこの場所に戻ってきた時には、屈強なマッチョとなっており、そして、なぜか、自身の恋人になった。
あまりの急展開に、わけが分からない……と理美は思う。
過去の罪悪感から逃れたくて、流されるままに、恋人になることを承諾してしまったが、何よりわけがわからないのは、自身は、あのような筋肉質な男性、まるで好みではないということ。
むしろ苦手意識さえ覚えていて、今まで、付き合った男性も、小柄で細身な男しかいなかった。
それに、十歳も年下というのも初めてだ。
けれど、自身から何か行動を起こさずとも、彼が、抱く思いは、きっと憧れや幻想であり、この恋愛にも、きっとすぐに飽きる。
そう思っていたのだが。渉太は、存外、この恋愛を大事にしたいという思いが強いのだろう。
仕事があり、なかなか直接会えない理美へ、電話や、メッセージアプリを通して、こまめに連絡をしてくる。
彼の話す内容は、新しく始まった大学での生活が中心だ。
そっけない態度も出来ない理美は、それに応じるのだが、こうして、彼の日常を知ることは、やはり、十年以来の再会ということもあり、何か新鮮な想いで、楽しむことも出来た。
そんなある日。
理美は、仕事からの帰宅道を急いでいた。すっかり夜も更けて、今は22時を回った頃だろう。
春先のコートでは、やはりまだ、夜は寒い。両手で肩を摩り、マンションのエレベーターを降りると、自身の部屋へと向かう。
こんな日は、先日買った、美少年が出てくる例の漫画を読み返そう。
小さな手足に、大きな瞳。ふわふわの髪の毛。ショタはいつだって、自分に元気をくれると、ニヤニヤと口角を上げながら、そう考えていた。
その時だ。その玄関先に、やけに大きな人影が見えた。
「渉太、くん?」
そこに立っていたのは、むちっとした筋肉を持つ、大柄の一人の男。
今日は冷え込んでいるのに、またもや、ぴったりとしたタンクトップ一枚という格好だ。
頭の中で想像していた、漫画の少年と彼との差に、違う世界線へ飛び込んでしまったかのような錯覚に陥った。
「理美さん、おかえり!」
彼は、理美を見ると、パァっと表情を明るくさせる。
改めて見ても、その近寄りがたい体格と、人懐っこさを感じさせる表情や口調には、ギャップを感じた。
「びっくりした! こんな遅くにどうしたの?」
「理美さんに、少しでも会いたくて待っちゃった」
さっき、メッセージの返信が来たから、仕事終わってそろそろ帰ってくるのかなと思って……と彼はそう続ける。
「風邪ひくよ」
理美もそうは言うが、春ものとはいえ、コートを羽織った自分より、筋肉で覆われている彼の方が、暖かそうにも見える。
「理美さん、仕事、遅いんだね?」
「うん、シフト制で今日は遅番だったから」
「遅くまでお疲れ様。もしかしてこれから、夕ご飯?」
「そうだよ、適当にカップ麺でも作ろうかなと思ってる」
久々に直接会えたため、会話を繋げたいと考えているのだろう。彼はそういった問いを、いくつか重ねてくる。
そして、理美の返答を聞くと、勇気を振り絞るように声を発した。
「それなら、良かったらその、うちで、夕飯を食べない? 引っ越してきてはじめて作ったんだけど、加減がわからなくて、作りすぎちゃって」
「え、いいの?」
「うん!」
突然の誘いに、理美はそう聞き返せば、もちろんというように何度も頷く男。
恋人同士という手前、ここで断るのもおかしな話であるし、なによりも、彼の手料理というのは、理美も気になる。
そのため、その誘いに甘えることにした。
「あ、カレーライスだ」
リビングで待ってて、と言われ、少しすると、テーブルの上に出されたのは、あたたかな湯気を発する、カレーライス。
この部屋に入った時から、香りで気づいてはいたのだが、いざ目の前にそれが現れると、空腹のせいなのか、大当たり! という気持ちになる。
皿の上の、茶色のルーと、ライスは、ちょうどよく半々になっており、肉やにんじんといった具材は、ゴロゴロと大きめにカットされていた。
「どうぞ、食べて」
「いただきます」
渉太から勧められて、カレーにスプーンを通して口へと運ぶ。
広がるのは、スパイシーな香辛料と、こっくりとしたルーの深い味わいだ。
「安かった野菜と肉で作ったし、大したことなくてごめん。せっかく、理美さんが食べてくれたのに」
「そんなことないよ、すごくおいしい」
彼の言い訳のような謙遜台詞に、理美は首を振る。
自身といえば、家では、ロクに料理もしない。
過去、恋人に料理を振舞うことになれば、その度に、お料理アプリと格闘していたほどだ。
「昔もよく、お母さんのお手伝いしてたもんね」
幼い頃の彼といえば、子ども用の青いエプロンをつけて、懸命に皿を運んでいた。
『これは、理美おねえさんの、おはし!』
そういって、自分と揃いのデザインのそれを、テーブルの上へと置いてくれるのだ。
その愛くるしさといえば、目に焼き付いている。
とはいえ、今の彼といえば、エプロンよりも、タンクトップが似合う男にはなってしまっているが。
「理美さんから、小さいころのこと言われるの、恥ずかしいな」
彼はそう言うと、視線を逸らし、頬を赤く染めてしまう。
「でも、本当に、初めての一人暮らしで、ちゃんと作ってるのえらいよ」
「そう、かな」
渉太はそう言われ、照れたように頭を掻く。
その後、腹がすいていた理美は、すぐに、ペロリとカレーライスの皿を空にした。
「ありがとう、ごちそうさま」
そう告げ、手を合わせたのち、彼の方へと顔を向ける。
これだけ、恋人らしいことを懸命に行ってくれている彼のそれに、甘えてばかりでは、だめだと思えた。
「よかったら、今度、何かお礼させて。ご飯でも奢ろうか?」
「えっ、それって、デート!? そ、そしたら、俺、理美さんと行きたいハンバーガー屋がっ、」
渉太は、声を明るくさせてそう答えるのだが、「あ、でも、その、やっぱり」と慌てて訂正した。
「俺たち、付き合ってるから、」
そう続けた彼は、ゴクゴクと何度もつばを飲み込む。
幼い頃にはなかった、存在感のある彼の喉ぼとけが、何度も上下した。
「っ、理美お姉さんとキスがしたい、」
「え……へっ!?」
理美は、それに驚きの声を発した。
いやけれど、恋人同士になったのであれば、それは、当然の願いともいえるかもしれない。
「わ、わかった。じゃあ、目閉じて」
自身の手のひらの倍ほどある顔へと、顔を近づける。
すると、渉太は、ビクっと肩を跳ねさせた後に、強く強く瞼を閉じた。
その、頬に唇を押し付ける。骨にぶつかったのだろうかというほど、硬い。
「っ、!」
それに、顔を赤らめ、自身の頬を抑える渉太。
けれど、激しく頭を左右に振った後、上目遣いに彼女を見上げる。
「うれ、しいけど、キスっていうのは、こっちの、こと……」
そして、自身の薄い唇を、遠慮がちに指差すようにする。
その場所も、頬と同じように硬いのだろうか。
「あ、だよね。で、でも、まだ早いんじゃないかな~」
「……俺、もう子どもじゃないよ、それに、昔はしてくれた」
「う、うーん……」
渉太に、そう言われてしまえば、理美は弱かった。
彼も、自身との過去のことをやはり、覚えているのだろう。
きっと、幼い渉太にとってのはじめてのキス。
それを奪ってしまったのは、過去の自分だ。そう思えば、責任感と罪悪感という重石が、頭の上へと落ちてきて、もう逃げられないという気がしてきてしまう。
理美は覚悟を決めると、ずいっと、男へと顔を近づけた。
そのまま、その唇へと自身のそれをぶつける。あ、意外に柔らかい。
「……これでいい?」
不意打ちであったのか、彼は目をつぶることも出来なかったのだろう。
ポカンっと口を開けたまま、茫然とした表情となっている。
そして、ようやく言葉を発したかと思えば、「……っ、こ、恋人同士のキスって、すご、すごい……」と放心状態でつぶやいた。
「もしかして、今までの彼女とは、キスしたことないの?」
「っ、彼女とか、作ったことない。その、理美さんのこと、ずっと好きだったから……」
あまりに彼が初心な反応をするため、さり気なくした問いかけ。
それにそう、返答した彼は、真っ赤になって身を小さくさせる。まるでダルマのようではあるが、あまりに素直で情熱的すぎる、その言葉に、自身の方が恥ずかしいと、理美は感じる。
そして、なぜだろう。
筋肉質で、まったくタイプじゃないはずの彼が、なんだか少し、可愛らしく思えた。
そして、それならば、これ以上を与えたら、彼はどんな反応をするのだろう? と考える。
不思議だ。こんな思いを、今までの恋人に抱いたことはあっただろうか。
男の両頬に、再び手を添える。
すると彼は、期待したような眼差しを向けて、そしてぎゅっと固く瞼を閉じた。
緊張から震えている唇に、そっと唇を重ねて。
それが、すぐにでも離れると思ったのだろう。身を動かそうとする彼の、その頬に触れる手に力を込めた。
唇を動かすことによって、男の下唇を引き下ろし、そして、その開いた隙間に、舌を差し込んだ。
「っ!?」
ビクンっとその巨体が揺れる。
舌の先に触れる硬いこれは、きっと彼が食いしばっている歯なのだろう。そのせいで、理美の舌は、彼の唇の内側へと、入り込んでしまう。
「あっ、んんっ!?」
それに驚いた男は、思わず、合わせていた歯を開く。
それを待っていたかのように、押し込む舌。
彼の舌に触れて、そしてその間に発生した、、唾液をくちゅくちゅと弄ぶようにして動く。
「んっ、理美おね、えさんっ、いま、いま、今のっ、」
ようやく離れた唇。渉太は、ハァハァと息を荒くさせ、顔を真っ赤にさせたまま、彼女を見上げた。
つられて理美も赤くなるが、仕掛けたのは自分なのだと気づき、強がるように台詞を吐く。
「……子どもじゃないんでしょ?」
「そ、そうだけどッ、舌が、なんか、うわぁ、ええっ、どうしよ!」
幼い頃、彼女としたキスは、触れるだけのものだ。
そのため、舌同士が触れ合うようなこのキスは、彼にとって、はじめての経験だ。
ブルブルと体を震わせ、しばらく、自身の頬をその太い指先で揉むように動かしている男。
そして、ふいに気づいたように、足を折り畳む。正座をしているつもりなのかもしれないが、その太い太もものせいで、ただ膝を地面につけているような体勢だ。
そして、頬を赤らめた彼は、理美の方へと真剣な瞳を向ける。
「理美、さんっ、きょ、今日、泊まっていく?」
「だから、気が早いよ!」
今のキスだけで、こんな状態だというのに、さらに、その先を望む男。
それに、理美は呆れたように突っ込むのだった。
つづく
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