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◆ ◆ ◆  近所の公園の遊具が取り壊されたのは、いつ頃だっただろう。幼い頃に遊んだシーソーや、ブランコがなくなってしまったことは切ないが、唯一残る、ゾウの鼻の形をした滑り台は、子どもたちのアイドル的存在である。  しかし、少年はそれに目をくれることもなく、少し開いた場所の地面へと座り込んだ。  草や花が咲いているその場所で、彼は虫でも見ているのだろうかと、その顔を覗きこむ。 「理美おねえさん、どうぞ!」  すると彼は、その小さな手に、黄色い花を持っていた。  数えきれないほどの花弁のついたそれだ。 「これ、たんぽぽっていうんだよ」 「渉太くんは、物知りだね」 「うん、理美おねえさんにあげる」  そう笑って、黄色い花を差し出してくる渉太。  彼の後ろで、種をつけた綿毛が、風に乗って空へと舞いあがっていく。 ◆ ◆ ◆  今の仕事は、大変なことももちろんあるが、楽しい。  職場につくと、いつだって、多種多様で、色とりどりの花が出迎えてくれる。  理美は、始業の時間となると、花たちの水揚げや、枯れた葉をカットするメンテナンスを始めた。  花屋さんになろう。  そう考えたのは、以前の会社で、営業周りをしていた時だった。  何か唐突に、このまま人生を長く生きる可能性があるならば、一生のうちで一度くらい、好きなものに囲まれた仕事をしてみたいと思ったのだ。  そしてそれはきっと今。  おそらく社会そのものに、疲弊してきていたからなのだろう。決断してからの行動は速かった。  友人、早百合にそれを告げたときには、『まさか、ショタの登場演出が好きだから?』と聞かれたのであるが、漫画に出てくるショタが背景に背負う花を見て、花屋をしてみたいと考えたわけではない。  確かに、このショタは、バラが似合う、このショタはひまわりが似合い、それは花言葉が~と、力説してしまったこともあるが。 「いらっしゃいませ」  理美が務めているのは、駅ビルの中にある花屋。客はあまり来ず、暇な時間も多いせいか、給料も、前職よりは下だ。  その上、この年齢で、アルバイトという役割。  それであったとしても、職場では、花に囲まれ、家でショタに囲まれている生活を送れていることに、理美は満足していた。 「あ、理美さん!」  そんな時だ。客が来たのだという気配を感じ取った理美は、花に向けていた視線を店内の入り口へと移す。  そこに立っていたのは、金髪に黒のマスク、まるで歩く壁のような筋肉を持った、渉太だった。  それがキラキラと、人懐こい笑顔を浮かべて、こちらへと近づいてくる。  理美は、突然の彼の登場に、驚いた。 「え、渉太くん?」 「ごめんね、突然来て」 「う、ううん、びっくりしたけど」  今日は学校が休みの日であったのだろう。  いつも通りのタンクトップに、ハーフパンツという、身軽な服装である男。  恋人という存在が、自身の職場に現れるというのは、ちょっとしたサプライズを感じた。心臓の音が少し速くなる。  そんな彼は、「エプロン姿も、すごくその、きれいだね」と照れたように頭を掻く。  花屋というのは、意外にも汚れたり、傷がついたり、水仕事も多い。そのため、雑な身なりだというのに、そういう彼のお世辞に、理美は呆れながらも、頬を染めた。 「あ、ありがとう。渉太くんは、なんでここに?」 「あ、邪魔しにきたわけじゃないよ。もうすぐ、母の誕生日だから、こっちから、プレゼントを贈りたいと思ったんだ。それで、理美さんのところで買ったお花なら、喜ばれるんじゃないかなって」 「親孝行だね」  渉太の純粋な想いに、理美は感激するように深く頷く。 「どんな花がいいとかある? あとは予算とか」  仕事でいつもそうするように、渉太のオーダーを聞いていく。その間も、渉太は、「季節の花がいいな。ひまわりとか、バラとかユリとか」などと、花の指定もしてくるため、理美は少し驚いた。 「渉太くん、お花に詳しいんだね」 「え、そうかな」  男性客の多くは、単に「おすすめで」と一言で済ませる者の方が多い。そのため、このくらいの年齢の男の子が、こうもすらすらと花の名前を言えることは珍しいのではないだろうか。  そこで、理美はふと、過去を思い出す。  確か、彼は幼いころ、公園で遊具にも乗らずに、花を集めていた。分厚い花の図鑑も所持していて、何度も読み込んでいた気もする。 「渉太くん、お花好きだったもんね」 「あー……うん」  渉太はそこで、歯切れ悪く頷き、頬を赤くさせた。 「小さいころね、世界一、花が似合うのは理美さんだなと思ってたから。だから、花を好きになったんだ」 「え、そ、そうなんだ」  渉太の言葉に、理美は曖昧にそう反応する。  けれど、思ったのだ。それはきっと、理美が花を好きになったのと同じ理由だ。  渉太に花が似合うから、渉太が花をくれるから。だから、花を好きになったのだと思う。 「さっきもね、お店にいる理美さんは、花畑にいる、お姫様みたいだなって思って。見惚れて、しばらく声かけられなかったくらい、なんだ」 「え、ちょっと、ほ、本当にバカップルだと思われるから、やめて……!」  瞳をうっとりとさせ、そういう渉太に、理美は思わず、その胸元を叩くようにする。がしかし、その筋肉のせいで、理美の体の方が揺らいでしまった。 「じゃあ、当日にご実家に着くように、手配しておくね。アレンジが出来たら写真も送るよ」 「うん、楽しみ」  渉太からの注文をオーダーシートにまとめ、理美はレジで精算を行う。  そんな時、店内に、理美と同じエプロンを身に着けた女性が現れた。 「休憩あがりました」  客の邪魔をしないようにと、小さな声でそう告げる彼女は、理美と同じ、この店のアルバイトだ。まだ学生で、渉太と同じくらいの年齢だったように思う。 「理美さん、いろいろありがとう」 「うん、じゃあね、渉太くん」  会計を終え、理美が渉太へとそう声をかけた時だ。 「えっ、ちょっと待ってくださいっ! この人、理美さんの知り合いなんですか!?」  どうやら二人のやり取りを、花々の隙間から覗き見ていたらしいバイトの女性。  それが、渉太が帰る前にと駆け寄ってくる。 「うん、知り合いというか、」 「筋肉やばっ! 私、マッチョフェチなんですよねっ!」  元から物怖じせず、誰とでも気軽に話すことを得意としているその女性。  マスク姿の筋肉質な男に、恐怖心を抱くものの方が多いと思っていた理美であるが、彼女はまったく気にならない様子だ。むしろ、どうやら好印象な様子。 「もしよかったら、筋肉、触ってもいいですか?」 「え、あ、ど、どうぞ」  そして、初対面の彼にまさかという要望をする。  渉太はそれに汗をかきながらも、腕を差し出した。力を入れていなくても、一リットルのペットボトルくらいはある太さのそれだ。彼女は、それにぺたぺたと触れては、「えっすご!」と声を上げている。 「長々とすみません、ありがとうございました! そしてまた来てください!」 「あ、はい」 「理美さんも、今日は、もう、あがりですよね? お疲れさまでした!」 「うん。じゃあ、遅番よろしくね」  理美は、彼女の勢いに圧倒されながらも、その言葉に、甘えて仕事を上がることにする。  エプロンを解き、店を出たところで、隣の渉太が、顔を覗き込んできた。 「ねぇ、理美さん、もうお仕事終わりなら、俺、待っててもいい?」 「うん、いいよ」 「やった!」  その笑顔を見た瞬間だ。  何か、チクチクと心臓の裏側が痛い。  着替えが終わり、渉太と共に、帰り道を歩いている間も、理美の心臓のチクチクは治まらない。  表面上では、きちんと会話が出来ているのか、渉太は、彼女の変化に気づいていない様子だ。 「じゃあ、今日は本当にありがとう、理美さん。また」  理美の家の玄関前でそう告げた男は、礼を言って隣の自身の家へと帰ろうとする。  けれど、そんな彼を呼び止めた。 「ねぇ、渉太くん。今から、渉太くんの家、行ってもいいかな?」 「へっ、う、うん! もちろん、絶対いいよ!」  渉太は、理美の願いに、そう何度も頷く。  慌てているようで、うまく鍵を回せず、それでも勢いよく自室の扉を開いた。 「ちょっと散らかっててごめんね。おなか減ってるよね? 大したものはないけど、俺、ご飯用意しようか? それとも、デリバリーでピザでも、」  理美が、自らこの部屋へと訪れてくれたことが嬉しいのだろう。男は、舞い上がっているようで、明るい声で言葉を発する。 「大丈夫だから、座って」 「え、あ、うん」  理美から静かにそう言われて、彼女の隣のソファーへと座り込む渉太。  理美は、そんな彼へと向き直った。 「ねぇ、渉太くん」 「な、なに?」  名前を呼ぶ彼女に、渉太は首を傾げる。   すると、ふいに彼女の顔が近づき、触れたのは柔らかい唇。 「あっ、」  思わず、声を上げれば、ぬるりと入り込んだ舌。  その上、彼女の手のひらが、タンクトップの裾から入り込み、胸や腕に触れてくる。 「んっ、理美さ、ん、俺に、キス、い、いっぱいして、それで、い、いっぱい、俺に、さ、触ってる……ッ」  口が離れ、零れ出る唾液もそのままに、渉太は、まるでうわ言のように状況を説明する。 「だめ?」 「だ、だめじゃないよ、いっぱいされたい!」  男は、正直な気持ちをそう発する。  しかし、理美にとって、その台詞は、素直に受け止められるものではなかったようだ。 「渉太くんは、そうやって、簡単に、誰にでも、この体、触らせてあげちゃうの?」 「へ、だれでも?」  そう言った理美の指先が下へと降りた。  そして、ふいに、ズボンの中へと入り込む手のひら。 「ここも?」 「んっ、あ、理美さんの指、ちんちんに当たってっ、」 「当たってるんじゃなくて、触ってるんだよ」  理美はそういい、片手では収まり切らない彼のそれを、揉むようにする。 「あ、ま、待って、そんな風にされたら、すぐ出ちゃ、!」  そう告げた時だ。理美の手のひらに感じる、濡れた液体の感触。  上を向けば、興奮からか、達した余韻からなのか、目から涙を流している渉太。 「っ、……俺、イっちゃった……」  放心したようにそう呟く彼をみて、理美はようやく、ハっとする。 「っ、渉太くん、」 「理美お姉さんっ!」  しかし、その台詞の続きを遮るように、渉太は、太い腕で、ぎゅっと理美を抱きしめる。 「理美お姉さん、大好き……いっぱいいっぱい好きぃ……どうしよう~……俺、理美お姉さんにちんちん触られて、もう、変になっちゃった……」  理美を締めあげないようにと優しく抱きつき、そしてその耳元でそう呟く渉太。  その腕から、なんとか頭を突き出すようにして、理美は、さきほどの言葉の続きをようやく告げる。 「っ、渉太くん……ごめんね、強引なことして」 「なんで謝るの? 強引なの、俺、好きだよ!」  そういっては首を横へと倒す男を見て、理美は、視線を斜め下へとやる。 「……私、嫉妬しちゃったんだ」 「え、嫉妬?」 「だって、さっき、お店の子に、触らせてあげたでしょ?」 「え、うん。ああいうことよく言われるし、されるから、慣れてるよ」  理美の言葉の意図が読めないのか、渉太は正直にそう返答する。  実際にここまでの筋肉を持っている彼は、男性にからかい交じりに触れられたり、そういったフェチの女性に絡まれることもあるようだ。 「……よく、されるんだ」  理美は、しかし、そんな彼の言葉を聞くと、じっとりとした視線で男を見上げる。  このチクチクした思いが、嫉妬であるということに気付いたのは、ついさっきだ。  こんな思いはじめてで、自身で、感情を持て余してしまった。そして、彼へ強引な行為をしてしまったのだ。  そこで、ようやく男は、理美の思いに気づいたらしい。 「あ、えっ、ど、どうしよう、不安にさせてごめんねって言いたいのに、でも、嬉しくてっ、こんなにニヤニヤしながら謝ったら、だめだよね」  渉太はそういうと、にやける顔を彼女に見せないように、懸命に上を見上げた。  けれど、理美を放そうとはしない。  そして、ポツリと、呟くように言葉を発する。 「……昔と逆みたいだ。俺のほうがずっと嫉妬してたよ」 「え、渉太くんが嫉妬?」 「だって、理美お姉さん、彼氏連れてきたことある……」 「そんなことあったっけ」  理美は、男の言葉に首を傾げる。確かに、高校時代に、年上の彼氏が出来たことがあった。  初めてできた恋人だ。数か月という短い期間での関係であり、すでに、名前も思い出せないし、そんな男を、渉太に紹介した記憶もなかった。 「俺には、友達って言ってたけど、そういうことなんだって、大きくなってから気づいたんだ」  渉太はけれど、その時のことを鮮明に覚えているようで、その太い眉を寄せる。 「それにそのあとも、理美さんには彼氏いたんでしょ」 「うーん、長続きしなかったけど、ちょこちょこね」 「そんなのっ、やっぱり、俺の方が嫉妬するよ!」  渉太はそう叫んでは、また理美を腕へと抱え直するようにする。  彼と付き合うようになってすぐに、彼は、『理美にずっと片思いをしていたから、恋人は出来たことがない』と言っていた。  しかし、今は自分が嫉妬している場合ではないのだと気づいたようで、彼女へと視線を合わせるように背を屈める。 「俺ね、離れてた十年間も、今も、ずっとずっと理美お姉さんのこと、大好きなんだから心配しないで」  そう真剣に、そして優し気な口調で語る渉太。  理美は「うん」と頷き、お詫びというように、その唇にキスをする。 「んぅ、ん、理美さん、」 「渉太くん?」  キスの最中に、ぐちゃぐちゃと湿っているそこに気づいたのだろう。男は身を揺らす。そして、つい先ほどのことを思い出したように、ポっと頬を染めた。 「だ、だけど、その、たまには、嫉妬しても、大丈夫」 「……また、酷くしちゃうかも」 「い、いいよっ! 足りないなら、俺、い、今からでもいいよ! 何回でも、何千回でもいいよ!」 「もう、しません!」  慌ててズボンを脱ごうとする男に、理美はそういう。  そして、彼には聞こえないように、「今日は」と、小さく付け足した。 つづく
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