下手な詐欺師

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駅前の大きなビルの地下にある居酒屋でマリコは、大学時代の友人のリカと飲んでいた。 「同じ場所なの?」 「そうそう、このビルが建つ前と同じ場所なんだってさ。」 もともと、このビルが建つ前は、戦後から続く古い平屋の飲食店が並ぶ取り残されたような一角だったのだけれど、土地開発で立ち退きを要求されてから、一旦店を休んでいたが、ビルが建ってから、また同じ場所のビルの地下に店舗を出して営業しているのだ。 「そうね。そういえば、マリコと初めて飲みに行ったお店の雰囲気は残ってる感じかもだね。」 「でしょ。偶然見つけて、入って見たくなったのよ。リカと初めて居酒屋に入って、初めてのお酒を飲んだ店だったから。あのお店、絶対にここだよ。」 「それで、この店で出会ったのね。」 「うん。ちょうど、このカウンターで隣になったの。」 「きゃー、じゃ、今みたいな感じなのね。それで、どんな人なのよ。」 「始めは、遊び人風に見えたんだけど、話してみたら、大手の広告代理店に勤めてるらしいの。意外と、真面目な人みたいなんだ。」 「へえ、大手の広告代理店って、それすごいじゃん。ひょっとして年収すごかったりして。」 「どうなんだろ。」 「何言ってるのよ、大阪の女だったら、まず、そこ確認しなきゃでしょ。」 「あははは、そういえば、そうだったわね。でも、きっとお金持ってないよ。だって、この前も、仕事で失敗をしてさ、その穴埋めをしなきゃいけないっていうから、お金貸してあげたぐらいなんだもん。」 リカは、飲みかけた生ビールを吹き出しそうになって、マリコを見た。 「いや、それ可笑しいでしょ。ごめん。別にマリコの彼氏を批判する訳じゃないけどさ、仕事の失敗って、それ仕事の話でしょ、それを個人が穴埋めするなんて、それ可笑しいよ。で、いくら貸したの?」 「10万円。」 「いや、これは、友達だから言うけど、怒らないでよ。それ騙されてない?」 「騙されてる?」 「結婚詐欺とかさ。そんな話聞くじゃん。」 「結婚詐欺じゃないよ。だって、結婚してって言われてないもん。」 「、、、そうなの。でも、会って3週間しか経ってないのに、お金貸してって話になるかな。」 「きっと、不器用な人なのよ。だから、会社でも上手く振舞えないとかさ。だって、人間は目を見れば分かるでしょ。タクミは、悪い人じゃないよ。」 リカは、マリコの嬉しそうな顔を見ると、それ以上言うのをやめた。 でも、これは絶対に可笑しいと確信もしていたのである。 マリコは、学生時代から、真面目というか、所謂、おくての方で、男の人と付き合ったことも、リカの知る限りない。 たぶん、はじめてお付合いする男性だろう。 それなら、折角、知り合った男性だもの、たとえ、結婚詐欺とかでマリコを騙しているのだとしても、今の瞬間だけでもマリコに、楽しい思いをさせてあげたい。 そして、これ以上は、ダメだとなった時に、あたしが止めてあげよう。 それが、友達として出来る正解というものじゃないだろうかとリカは思った。 「たとえ、騙されても、今の愛に殉じなさいよ。」 恋愛の先輩になった気持ちで、そう小さく呟いて、ジョッキに残ったビールを飲んだ。 マリコを見ると、醤油のシミの付いたメニューを嬉しそうに見ている。 「ねえ、リカ。今日は、あたしが奢ってあげる。」 「じゃ、幸せ絶頂のマリコのゴチになっちゃおうかな。」 その日は、マリコのおのろけ話で、大いに盛り上がって、ふたりとも相当に飲んだ。 店を出ると、外は雨なのだろうか、地下の通路に、濡れた足跡がいくつも白いLEDに浮かび上がっていた。 その後の、マリコと、彼氏のタクミは、どうかというと、週に1回ぐらいのペースでデートを重ねていた。 「ねえ、今度の日曜日は、どこかへ行こうよ。そうだ、遊園地なんてどう?」 タクミは、屈託の無い笑顔で言った。 「遊園地って、あたしたち、もう大人なのよ。恥ずかしいでしょ。」 「恥ずかしいかな。だって、僕、プロポーズは、遊園地の観覧車の中でって決めてるんだよね。」 それを聞いて、マリコは、胸が熱くなった。 どういうこと、プロポーズって、どういうことなのよ。 あたしに、結婚してっていう事なの。 マリコは、すぐには返事をすることが出来なかった。 「あれ、僕、変な事、言っちゃったかな。ごめん。でも、僕の夢なんだよね。あ、そうだ。夢と言ったらね、今度、パン屋さんを始めようかなって思っているんだ。ほら、パンってさ、みんな好きじゃん。僕、パンで、みんなを笑顔にしたいんだよね。毎朝、みんなパンを食べるでしょ。だから、毎朝、笑顔になって、それでさ、笑顔で仕事とか学校に行って欲しいなと思って。そんな仕事が出来たら最高でしょ。」 「でも、会社あるじゃん。どうするの。」 「あ、実はね、もう辞めたんだ。だから、パン屋をしようと思ってさ。」 「ええーっ。辞めたって、それじゃ、生活どうするの?」 「うん。今は何とかなってるよ。大丈夫だよ。でも、ちょうど、良い物件が見つかってね。駅前で人通りも多いんだってさ。その手付金が必要なんだけど、それが無いんだよね。そうそう、退職金はあるんだけど、まだ入金されるのが先だからさ。そうだ、無理しなくても良いんだけどさ、100万円ぐらい何とかならないかな。すぐに返せると思うから。」 それを聞いたマリコは、泣きそうになった。 あまりにも分かりやすいじゃん。 あたしだって、騙されているってこと、それぐらい分るよ。 ねえ、あたしを騙して、心苦しくないの? ねえ、あたしを見てよ、あたし、あなたが好きなのよ、それ解っているよね。 自分を愛してくれてる人を騙すのって、罪悪感って無いのかな。 ねえ、あたしを騙して、楽しい? ねえ、あたしを裏切って、楽しい? ねえ、あたしの心を踏みにじって、楽しい? あははは、詐欺って言っても、楽しいからやってる訳じゃないって、タクミは、そう思ってるよね。 じゃ、罪悪感を感じながら、あたしを騙してるの? 苦しみながら、あたしを裏切っているの? ひょっとして、あたしと別れた後に、泣いたりしてるのかな。 っていうか、あたしの事を愛してくれているのかな。 いや、それは考えないよ。 だって、考えたら、あなたの前に、こんな風に座ってなんかいられなくなっちゃうもん。 あなたを愛してる女が、愛されていないのを知ってて、わたしを愛していないあなたの前に、ちょこんと座っている。 そんなの悲しすぎるじゃない。 滑稽だよね。 「100万円なのね。うん、いいよ。貸してあげる。」 「本当?やっぱりマリコに相談して良かったよ。そうだ、パン屋を開いたらね、いっぱい稼いで、それで、マリコにプロポーズするよ。これで大丈夫だってなったら、その時、結婚しよう。それで、子供が出来たらさ、パンで子供の似顔絵作って、お店の目玉商品にしようかな。それでさ、、、、、、、。」 マリコは、タクミが話す饒舌な嘘を、ただ微笑んで聞いていた。 今、この瞬間、幸せなら、それで良いかと思った。 リカは、定期的にマリコに電話をして、状況を確認していたのだけれど、さすがに、今回の話は、聞き流すわけにもいかなかったのである。 「ちょっと、それで100万円、貸しちゃったの?それで、何、月に75000円も、生活費をあげてるの?」 「うん。だって、タクミ、無職だもん。まだ、パン屋開業してないし。」 「いやだって、開業って、それ本当なのかな。っていうか、月に75000円って、メチャ、微妙な金額やね。5万円でもないし、10万円でもないし。まあ、そこは置いておくけどさ。っていうか、そこそこの金額やん。」 「だって、あたしの給料じゃ、いくら服とか食事とか切りつめても、75000円がギリなのよ。」 「ギリなのよって、あなたね、毎月お金を彼にあげてること自体が異常だってこと分からないの。それにパン屋なんて、それも疑問だよ。ただ、お金をむしり取ろうとしているだけだよ。絶対、それ詐欺だよ。結婚詐欺。」 リカは、顔を赤くして、マリコに迫った。 「うん、知ってるよ。」 どこにも力の入っていない感じで答えた。 「知ってるよって、マリコ、相手が結婚詐欺だって知ってるってことなの?」 すると、マリコは、意外にも明るく返してきた。 「だって、そりゃ、いくら鈍感なあたしでも、分かるでしょ。あたしのこと騙してるなってさ。」 「いやいやいや、騙してるって分かってて、お金を渡すなんて、どうかしてるよ。」 「だって、タクミは、はじめて、あたしのことを可愛いって言ってくれたんだもん。それに、はじめて、あたしと結婚しようって言ってくれた。あたし、今まで、誰にも言われたことないもん。」 それを聞いたリカは、それほどまで、マリコは、誰かに愛してもらいたかったんだと思った。 でも、それはリカも同じだったのだ。 今は、リカにも彼氏がいる。 でも、それは偶然なのかもしれない。 偶然、今は彼氏がいるけれども、もし別れてしまったら、リカもマリコと同じように、誰かに愛してもらいたいと、ただひたすらに思うに違いない。 誰かに愛してもらえるって、奇蹟に近いよね。 「でもさ、マリコを騙してるって段階で、もうダメでしょ。マリコには、もっと良い男が現れるよ。だから、別れた方がいいよ。」 「考えてみたら、詐欺って言っても、あたしがお金渡してるだけだし。今の状態と、普通に結婚した状態と、どう違うのって考えてみたらさ、そう違わないんじゃないかなと思ってるのよね。」 「いやいや、違うよ。そんなの。」 「だって、普通の家庭でも、夫が働いてお金を奥さんに渡すでしょ。だから、あたしが働いて、タクミにお金を渡すのと同じじゃないかなって。」 「だから、違うっての。確かに夫がお金を渡すかもしれないけど、奥さんも、家の事したりしてるでしょ。だから、お互いに支え合っているっていうか、お金も貰うけどさ、その代わりと言っては変だけど、何かお金じゃない物を、夫にあげてる訳じゃん。っていうか、最近は、夫の給料も安いから、主婦もパートに行かなきゃいけないし、どっちかというと、夫よりずっと大変な訳でしょ。あなたさ、彼に何か貰ったりしてる?マリコがお金渡すだけでしょ。」 「どうかな。もらってる気もするな。だって、お金渡したら、あたしの傍にいてくれるんだもん。それって、すごくない?」 その言葉を聞いて、リカは、マリコが不憫に思えたのと同時に、自分が恥ずかしくなった。 今まで漠然と抱いていた、結婚生活が、ギブアンドテイクだなんて、そんな考えは、やっぱり違うのかもしれない。 ただ、無条件に人を愛して、ただ、傍にいてくれることを幸せに感じる。 そんなマリコの愛を目の前にしたら、リカは、自分の彼との関係が、どうにも、自分勝手な考えで回っていることに気が付いた。 ただ、それは、そうだとしても、目の前のマリコは、確実に彼氏に騙されている。 どうしても、止めなきゃいけない愛である。 「傍にいてくれるって。だって、騙すつもりだから、傍にいるんじゃないの。だから、いい?マリコは、騙されてるの。」 「だから、分かってるって。分かってて付き合ってるんだから、いいんじゃないの。どうせ、私もお金が無くなったら、捨てられるだけだし。」 リカは、どうしても、マリコを止めたかったが、騙されてるのが解ってるのなら、少しばかり安心したのではあった。 捨てられるまでの愛か。 リカは、今付き合ってる彼に、いつか捨てられるのだろうかと考えてみたが、捨てられるという感覚が想像できなかった。 別れるという感覚はあるんだけれど、少しニュアンスが違うなと考えたら、ひとつため息がでた。 マリコとタクミは、騙される女と、騙す男という関係で、付き合っている。 でも、それは、意外にも平衡が保たれているのか、お互いに別れたいと思う事も無く、続いていったのである。 タクミの気持ちは分からない。 でも、別れようなんてことは1度も言わない。 それは、お金を騙し取らなきゃいけないから、当然なのかもしれないけれど、いつも優しくしてくれる。 マリコは、騙されているのを知ってはいるけれども、ただ、タクミの時間の一部でも独占できるということに幸せに似たものを感じていた。 何より、傍にいてくれるというだけで、安心感があった。 安心感なんて、詐欺師に抱く感情ではないけれども、ひょっとしら、あたしに何かあった時に、傍にいてくれるかもしれないという漠然とした思いがあったのである。 傍にいてくれるということぐらい、マリコにとって大切なものはなかった。 そんな生活が、30年続いた。 よくこれだけの年月続いたものだとマリコ自身も不思議で仕方がない。 だって、付き合ってるのは詐欺師だよ。 しかも、あたしを騙しているんだよね。 よく30年も騙し続けられたね。 というか、あたしも、よくもまあ、30年も騙し続けられたものだね。 そんな時だ、タクミの友人の中島という男性から電話が入った。 タクミが、倒れたというのだ。 聞くと、タクミは末期のガンで、もう3か月も持たないだろうというのだ。 マリコは、ビックリしたが、それより、タクミに友達がいることにも、少なからず、驚いた。 それ以来、マリコは、毎日、タクミの病院に通った。 仕事帰りや、休みの日は、傍にいて一日中タクミの世話をした。 マリコは、幸せだった。 毎日、タクミの傍にいることが出来る。 ただ、それだけが幸せだったのだ。 「ねえ。ごはん、残ってるよ。全部、食べなきゃ、体力落ちちゃうよ。」 「ああ、食欲が無いんだよ。もう、僕も長くないのかな。」 そう言ったタクミは、どことなく元気がないように見えた。 こんなシワ多かったっけ、とタクミの手の甲に触れてみる。 「ねえ、あたしたち、もう付き合って30年だよ。長いね。」 「ああ、そうだ、結婚は、もう少し待ってくれよ。病気を治して、仕事に復帰出来たらプロポーズするからね。」 「まだ、プロポーズのこと忘れてないんだ。それは、エライね。あははは。それより、仕事に復帰するって、ホントに、仕事しているの?」 「あ、言ってなかったっけ。僕の本職ってさ、、、、。やっぱり、言うのやめとく。」 「知ってるよ。詐欺師でしょ。」 そう答えたら、タクミは、大きな目を見開いてマリコを見た。 そして、ちょっと考えて。 「バレてた?」って、ペロっと舌を出して見せた。 「当たり前でしょ。あんたと何年付き合ってると思ってるのよ。」 「そうだね。長いね。30年だもんね。」 「そうよ、ずっと結婚待たされてるのよ。それでさ、あんた、いったい今までに何人の女性を泣かせてきたのよ。5人や、10人じゃないでしょ。」 「さあ、何人かな。」 そう言って天井を見上げたタクミは、何故か寂しそうだった。 余命3ヶ月と宣言されたタクミは、1ヶ月も経たない間に亡くなってしまった。 ああ、終わったとマリコは思った。 この私という人生の内の30年を、この人に使っちゃったよ。 でも、まあ、楽しかったよ。 騙されたとしても、傍にいてくれて、ありがとう。 そう呟いた。 タクミが無くなる前に、マリコに言った言葉がある。 「あのさ。今度こそパン屋をやろうと思うんだけど、イタリアの窯が買いたいんだよね。あの窯さえあれば、若い時に修業したイタリアのパンが焼けるんだけど。そうだ、100万円ぐらい都合つかないかな。」 真剣にタクミが言うのは珍しかった。 「うん。いいよ。」 マリコは、心から、返事をした。 思えば、これが最後に交わした会話だ。 マリコの返事を聞いて、タクミは、ニコリと笑って、すぐに息を引き取ったのだ。 タクミには、親戚もいなかったので、葬儀は、マリコと友達の中島さんと、そしてリカだけで、小さな家族葬にした。 「結局、結婚しなかったね。プロポーズもなかったんでしょ。」 リカは、ため息と一緒にマリコに言った。 そして、中島さんに「あなたも、詐欺師だって知ってたんですか。」と、遠慮も無しにきいた。 「ええ。わたしは、何度も止めるように説得したんですけどね。彼は、心理学の本を読んだり、自分なりにアイデアをノートに取ったり、熱心に、女性を騙す練習をしてましたよ。まあ、努力家というか。」 「いやいやいや。詐欺師に努力家って、それは変ですよね。何人もの女性を泣かせてきたんですもん。」 「ええ。でも、本当に、詐欺をしていたかどうか。何しろ、タクミから、儲けたっていう話、1度も聞いたことがないし。ほんとに、詐欺が成功したのかどうか、疑問なんですよね。」 「じゃ、成功したのは、マリコだけっていう事ですか。」 「というか、マリコさんを、騙していたのかどうか。何しろ、タクミは、マリコさんの話をするときは、すごく嬉しそうだったんですよね。私は、お金の事は知りませんけど、タクミは、マリコさんを愛していたと思うんですよね。想像だけど。」 「じゃ、何でお金を騙し取るのよ。」 「でも、こんな僕にも、傍にいてくれる女性がいるんだって、僕に話してた記憶があるんですよね。その時は、何とも幸せそうな顔してましたから、覚えてるんですよ。」 「そりゃ、お金を貰ったら、幸せでしょうよ。」リカは、皮肉たっぷりに言った。 「そうそう、女性を騙しまくって、いっぱい儲けて、マリコさんにあげるみたいな話も聞いたな。その時は、冗談かと思って聞いていたのですが、ひょっとしたら、本心だったのかも。」 「女性を騙して、お金ふんだくって、そのお金を、マリコに渡すって?おかしいでしょ、発想が。」 「リカ。もういいよ。わたしも騙されたって思ってないし。あれ、騙されてたのかな。でも、傍にいれて嬉しかったし。」 「もう、本当に、マリコは、仕方がないなあ。」 マリコにとって、もう騙されていたか、そうでなかったかなんて、どうでも良かった。 ただ、30年という年月が、タクミと一緒に流れていったという事実は、間違いがなかったからだ。 結婚して、幸せな生活を送るなんて、どっちでもいい。 あたしには、傍にいてくれる人がいるという事実だけあれば、それで良かった。 あたしは、独りじゃない。 それだけは、マリコにも断言できる。 マリコには、愛よりも、傍にいてくれることが大切な事だったのだ。 それにしても、タクミが下手な詐欺師で良かったよ。 何人もの女性を泣かせていたなら、ちょっとヘビーだなと思ったけど、被害者もいないみたいだし。 最大の被害者が、タクミを許してるんだから、問題なし。 っていうか、あたし、被害者だったのかな。 葬儀が終わって、しばらくしたら、保険会社を名乗る女性から連絡が入った。 話を聞くと、タクミは、生命保険に入っていて、その受取人がマリコになっているという。 「ええ、5000万円の保険です。今でも覚えてますわ。なんでも、パン屋さんを開きたかったんですよね。でも、自営業は不安定だから、自分に何かあった時の為に、保険に入っておきたいんだって、嬉しそうに話してらっしゃったのを覚えてますわ。」 タクミも、あたしを騙すことに罪悪感を抱いてたのかしら、そりゃ、30年近くも騙してると、まあ、情も湧いて来るものかもだね。 「いつごろの話なんですか。あたしを受取人にしたのは。」 「そうですね。もう30年ほど前のことでしょうか。」 保険会社の女性が帰った後、マリコは、タクミの写真を見ながら、呟いた。 「あなた。あたしを騙してなかったの、どうなの、いったい、どっちだったのよ。」 もし騙してなかったとしたら、、、。 「ねえ。ひょっとして、あなた、あたしの事を愛してくれてたの?」 写真のタクミは、トボケタ表情で、マリコと写っている。 マリコは、可笑しくなってきた。 「ねえ。それならそうと、30年前に言いなさいよ。愛してるってさ。バカヤロー。」 写真の背景をよく見ると、遠くに遊園地の観覧車が写っていた。
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