番外編 王子と側近のとある日

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番外編 王子と側近のとある日

 大きな木々に囲まれたエンカ城には、自然を取り入れた美しい庭がある。その庭を楽しめるようにと庭の一角に東屋(あずまや)が作られ、お茶を楽しむための椅子やテーブルが用意されていた。  太陽の光が燦々と降り注ぐなか、その椅子にキライトが座っている。そばでは侍従のシュウクが新しい香茶(こうちゃ)をカップに注いでいた。テーブルにはおいしそうな焼き菓子や果物が載った皿が置かれているが、いずれもミティアスが厳選して取り寄せたものばかりだ。  そんな二人を、少し離れたところからもう一組の主従が眺めていた。 「ほんと、健やかになったよね。最初の人形みたいだった頃が嘘みたいだ」 「そうですね」 「どう? あのキラッキラした髪なんて、本物の銀の糸で作ったみたいじゃないか」 「たしかに」 「肌も陶器みたいにすべすべだし、最近は少しふっくらしてきて触り心地も抜群なんだ」 「それはよかったですね」 「……ダン、ちゃんと聞いてないだろう?」  傍らに立つ側近を緑眼がじろりと睨む。片眉をひょいと上げた側近は「聞いていますよ」と主人(あるじ)を見下ろした。 「嘘だ。おまえの目は麗しき侍従殿ばかり見ていた」 「恋人を前にすれば仕方がないことでしょう。視線は自由にさせていただいていますが、耳は殿下の言葉を漏らすことなく聞いていますからご安心を」 「惚気(のろけ)か」 「そっくりそのまま、お返ししましょうか?」  ダンの言葉にミティアスがもう一度「おい」と言うように睨んだ。そんな主人(あるじ)に改めて顔を向けたダンは、「それで、本当は何がおっしゃりたいんです?」と言葉を続ける。  ほんの少しため息を漏らしたミティアスは、キライトに視線を戻しながら口を開いた。 「僕の気のせいかもしれないが……いや、そうじゃないな」 「殿下?」 「最近、少しばかりおかしなことがあるんだ」 「キライト殿下にですか?」  そう尋ねたダンにミティアスが金髪を揺らして小さく頷く。表情に陰りはないものの、わずかに眉を寄せているのは何かを思い出しているからだろう。 「おかしなこととは?」 「一つ一つは些細なことなんだ。たとえばキスをするとき、少し胸を押し返されることがある。かといって嫌がっているわけじゃないし、その後殿下のほうからキスしてもくれる」 「なるほど」 「夜ベッドに入るとき、先に寝ていてくださいと言われることがある。そうしてしばらくすると寝室に戻ってくる」 「それは準備をされているということでは?」 「それはない。準備は全部、僕がすると二人で決めたからね」  ミティアスの言葉に、ダンが「はぁ」と気の抜けた返事をした。 「一度、何をしているのか覗き見たことがあるけど、ただぼんやりと窓の外を見ているだけだった。物思いに耽るとか何か考え込んでいるといった様子もない。まるで時間を潰しているように感じたんだ」  ミティアスの眉が少しだけ寄る。 「以前の殿下ならそんなことはしなかった。これは絶対に何かあると思うんだ」  そうして唇に手を当て考え始めたミティアスを、やや呆れた眼差しで見ていたダンは「はぁ」と小さなため息をついた。 「ため息をつくなんて、ひどいじゃないか」 「殿下のお話は、ただの惚気(のろけ)にしか聞こえませんが」  ため息をつきそうな碧眼に「違う」とミティアスが反論する。 「最初は少し気になるだけだったんだ。だけどさっきみたいなことが何度も続けば気になって仕方がなくなる。だからといって殿下に直接尋ねるのも憚られるし」  健やかになってきたとはいえ、キライトの内面は少しのことで不安定になりかねない。ミティアスはそれを心配していた。  ダンもそのことは理解している。しかし、どこからどう聞いても惚気(のろけ)にしか聞こえない悩み事に内心「尋ねればいいじゃないですか」と思わなくもなかった。そう思いつつも、根っからの苦労性であるダンに弟のように見守ってきた主人(あるじ)の困り顔を突き放すことはできない。 (まぁ、原因には何となく心当たりもある)  ダンは「これはわたしの想像ですが」と前置きをしつつ言葉を続けた。 「侍従殿の入れ知恵じゃないですかね」 「シュウクの入れ知恵?」 「まぁ、本人としては助言のつもりかもしれませんが」  キライトに色恋の知識を与える相手は侍従であるシュウクしかいない。エンカ城にはキライト付きの侍女たちもいるが、先の領主である大叔母の指示が行き届いているからか余計なことを口にする者は誰一人としていないからだ。 (おそらく何か言ったに違いない)  ダンはそう予想した。 「シュウクは一体何を言ったんだ……?」  眉を寄せて本格的に考え込んだミティアスの姿は、難解な問題を前にした敏腕領主のように見える。 (考えている内容は、ただの色恋のことだが)  若干遠い目になりながらも静観していたダンを、再び緑眼が見上げた。 「もしかして、恋の駆け引き的なことか?」 「まぁ、そういった類いのことでしょうね」  そう答えたものの、正直なところダンはシュウクに色恋の駆け引きができるとは思っていなかった。子どものときから主人(あるじ)と一緒に軟禁状態にあったシュウクが色恋に詳しいわけがなく、経験が豊富なわけもない。劣情や行為のことは知っていても、圧倒的な経験不足は否めないとダンはわかっていた。 (そのせいで、たまに驚くほど強引なことをやらかす)  ダンは、ミティアスとキライトの背中を強引なまでに押し進めたシュウクのことを思い出した。結果的に二人は心身共に結ばれることになったわけだが、侍従としては乱暴なやり方だったと言わざるを得ない。 (それだけシュウクも追い詰められていたんだろうが)  それでも進んで主人(あるじ)を差し出すような方法に出たのは、シュウク自身もキライト同様に心が歪に育った結果なのだろう。ダンはそんなシュウクの内面を気にかけていた。  そのことにはミティアスも気づいていた。キライトのことを一番に考えているのに、切羽詰まると危うくなる。それに、ダンへの執着をミティアスに見せることさえあった。そんなシュウクがどんな助言をキライトにしたのか、想像するだけでミティアスの眉がますます寄っていく。 「ややこしいことじゃないといいんだけど」 「おそらくですが、たまには引くのもいい、というようなことを口にしたんじゃないですかね」 「引く?」 「押してなびかなければ引いてみろ、というときの引くですね」  かく言うダンも同じようなことをされることがある。ということは主人(あるじ)に同じ行為を勧めたとしてもおかしくはない。  ダンの言葉に、ミティアスは「なるほど」と頷いた。 「いわゆる焦らしってやつか」  ミティアスが心底楽しそうな笑みを浮かべた。それを見たダンは「これは今晩大変なことになりそうだな」と、何も知らずシュウクに微笑みかけているもう一人の主人(あるじ)を見る。 「精神的な焦らしの次は、当然肉体的な焦らしも必要だよね」 「わたしの口からは何とも言えませんが」 「シュウクにはしないのか?」  意外だというようなミティアスの眼差しに、ダンが片眉をひょいと上げた。 「わたしがしないとでも?」 「あー、そうだった。ダンはそういう奴だった。しかも年季が入ったやり方を知っているだろうしな」 「心外ですね。わたしは恋人を心身共にじっくり愛しているだけですよ」 「そのじっくりの意味を考えるとうすら寒くなる」 「殿下も同じでしょうに」  ダンの言葉に、にこりと笑いながら「僕のほうがずぅっと優しいけどな」とミティアスが言い返す。 「そうなると、ダンが尻に敷かれているのはやっぱり表面だけか」 「そう見えますか?」  口元に笑みを浮かべるダンに「食えない男だな」とミティアスも笑った。 「さて、僕も香茶(こうちゃ)をもらうとしようかな」  そう言ってミティアスが愛しい伴侶の元に歩き出した。そんな主人(あるじ)の背中を見ながら、「エンカは今日も平和だな」と側近は笑みを浮かべながら空を見た。
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