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第2ー6話 甲斐の背後を守る影
もはや過去を知る事も、故郷である皇国へ戻る事ができない虎白と莉久は人間達と共に国を作る事を決めた。
霊界で知り合った竹子と優子を連れて秦国の嬴政の支援を受けて必要な物資が届き、城の建築が始まった。
ミカエル兵団六番隊の甲斐は配下を連れて手伝いに来ている。
「下級天使」と呼ばれる人間から構成されている部隊を率いている甲斐の配下も人間の女性のみだ。
兵団の装束から着替えて動きやすい着物をまとっている甲斐は副官と共に資材を運んでは職人達に手渡している。
その様子を見た虎白は感謝した様子で水を手渡すと、甲斐と副官は丸太に座って飲み始めた。
だが虎白はこの時、甲斐の副官が気になって仕方ないといった表情で横目でちらちらと見ている。
長く綺麗な黒髪が美しく風になびき、巻くっている着物から覗かせる白くて細い腕がなんとも色っぽい。
汗をかいている額を布でそっと拭くと上品に懐へしまった。
だが彼女の瞳はまるで死者の様に力がなく、恐ろしい目をしているではないか。
甲斐に従順に従っている様で何をするかわからない危うさすら感じさせる奇妙な雰囲気を漂わせる副官に興味津々といった虎白は彼女の隣に座ると挨拶をした。
声すら発する事なく会釈だけすると、まるで目を合わせようとしない副官を不思議そうに見ていると甲斐がけらけらと笑い始めた。
「こいつは会話が嫌いなんだよなー。」
「そうだったか。 すまない。 名前ぐらい教えてくれ。」
早くどこかへ行けと言わんばかりに眉間にしわを寄せている副官は夜叉子(やしゃこ)とだけ声を発すると自ら作業に戻っていった。
彼女から放たれる異常ともいえる雰囲気は何を意味しているのか。
虎白は興味深そうに甲斐に尋ねた。
変わらずけらけらと笑う東国一の美女は「あんたも好きねー」とまるで女好き扱いするではないか。
「天王様じゃねえんだから。」
「はっはっはー!! あたいも貰ってくれ!!」
「いいなそれ。 でも兵団を抜けられないだろ?」
甲斐は気丈に振る舞っているが、ぬるりと話の論点をずらした。
どうやら夜叉子という女には人に言えない何かがあるのだなと狐の神族様は感じた。
夜叉子の謎を解きたいという好奇心と探究心を抑えつつ、作業を続ける虎白は資材を甲斐に向かって手渡している。
すると足場を組んで城の建設に取り掛かっている職人の悲鳴にも聞こえる「危ない」という声が周囲に響き渡った。
呑気な表情をしていた甲斐がふと上を見上げると資材が大量に落下してきているではないか。
虎白は慌てて駆け寄って甲斐を抱きかかえてその場を離れようとしたが、それよりも遥かに早く東国一の美女を抱いて難を逃れた何者かがいた。
目の前に資材が落下して砂埃が上がっている現場は騒然としていたが、幸い怪我人は誰もいなかった。
「大丈夫か?」
「ゲホッ!! いやあ危なかったねー。 ありがとよ。 お初。」
その場に座り込んで両手を後ろについて開脚している甲斐の隣にいるのはもう一人の副官である。
夜叉子ではないもう一人の副官は目以外の全てを白い布で隠している。
背丈はまだ子供だろうか、成人している者の身長ではない。
だがあの咄嗟の窮地に誰よりも早く甲斐を救い出した動きはまるで忍者だ。
そう彼女は忍者なのだ。
甲斐はその小さなくのいち忍者を「お初」と呼んだ。
「へえ。 随分と俊敏だったな。」
「謝す。 お初と申す。」
声もまだ子供だが、物言いや振る舞いはまさに忍者ではないか。
甲斐は自慢げにお初の小さい頭をがしがしと撫でると「あたいの忍者だぞお」と着物からでもわかるふっくらとした胸を張っている。
虎白に一礼すると、すっと猫の様な軽快さで足場の上に登って職人の手伝いに戻った。
夜叉子とお初という二人の優秀な副官を有する甲斐は天真爛漫でぶっきらぼう。
物静かな副官と明るい天使長は互いの良い点を支え合っているかの様だ。
関心する虎白は上機嫌で皆を休ませて昼食を始めた。
夜叉子や六番隊の天使達も食事を始めたが、どうした事かお初はその場に姿を現さなかった。
「あれ? 忍者どこ行った?」
「あーだめだめ。 あいつは放っておきな。 人前で顔を出すのが嫌いなんだよー。」
お初の素顔を知っているのは甲斐と夜叉子だけだと言う。
話を聞いてうなずいた虎白は丸太に座って竹子と握り飯を食べ始めた。
すると竹子の最愛の妹である優子もいないではないか。
心配そうな表情を浮かべる竹子は立ち上がると探しに行こうとしている。
優子は作業現場から少し離れた森の中を歩いていた。
背中には亡き相棒にして父親同然だった新納のエンフィールド銃。
あの霊界での大乱戦の刹那に聞こえた新納の声がそれ以来聞こえていない優子は悲しさと孤独感に侵されている。
人気のない森を歩きながら下を向いている優子は「会いたいよお」と透き通る可愛らしい声を震わせていた。
すると茂みが、がさがさと音を立てている事に気がついた優子は腰の刀に手を当てた。
恐る恐る気配を殺して慎重に近づいていくと、茂みの中でうずくまって何かをしている小さな少女がいる。
「誰かな?」
「ん? う、うわああああ!!!!」
その場にひっくり返って、今にも手で土を掘り起こして顔を隠しそうな勢いでばたばたと慌てふためいている忍者がいた。
しかし驚いているのは優子とて同じだ。
茂みの中で食事をしている意味も、そこまで慌てる意味もわからない優子は「あわわあ」と姉に似た混乱の仕方をしている。
「ど、どうしたのかな!?」
「お、お前見たな・・・今この場で約束するかさもなくば殺す。」
「え、ええ・・・ご飯食べていただけじゃないの?」
お初は突然の事に慌てて、顔を隠す事すら忘れて短刀を優子の細くて滑らかな喉に当てている。
優子は目の前で怒っている少女を見てもなお何故、怒るのか理解できずにいた。
「どうして顔を見られたくないの?」と尋ねるとお初は慌てて顔を隠したがもう手遅れというやつだ。
「ボクは忍者だから。 顔を見られると皆に馬鹿にされる。 忍者らしくないとな。」
話を聞いている優子は声を発する事はなく心の中で「可愛いからだね」と話している。
赤面して顔を隠している忍者はそれは見事な美少女だったのだ。
ぱっちりと大きい瞳に年齢以上に整った顔立ち。
誰が見ても可愛いと口にするだろうが、お初はそれが嫌でたまらなかった。
だからこそ、短刀を喉元に当てているのだ。
「痛いよお血が出ちゃうでしょ。」
「他言しないと誓え。」
「わかったよお。」
やがて短刀を戻すと「何しに来た」と未だに警戒した様子を見せているが、優子はさほど気にしている様子もなかった。
その場に座ると「大切な人がね・・・」と今にも泣き出しそうだ。
赤面忍者は崩れ落ちた悲痛の少女を見下ろしている。
しくしくとすすり泣く小さな背中に手を置くと、ぎこちない動きでさすり始めた。
すると懐から饅頭(まんじゅう)を取り出して優子に手渡した。
「食え。 多少は元気が出るぞ。」
「ええ? ありがとうね・・・優しいねえ・・・私は優子だよ。」
「ボクはお初。」
自身の呼び方すら気を使って忍者らしく振る舞おうとしている。
主の甲斐や人前では拙者(せっしゃ)などと自身を呼んでいるが甘い菓子が好きな所や泣いている優子を放っておけない所は可愛らしい一面ともいえる。
心優しき影は優子の背中をさすりながら布を外して食べかけていた握り飯を食べ始めた。
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