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第2ー8話 テッド戦役での惨劇
嬴政に連れられた虎白、竹子、優子は一度秦国に立ち寄って冥府潜入の会議を始めるために一泊する事になった。
ミカエル兵団という厳格な組織に所属する甲斐は参加を断念する事になっていたがその晩秦国の城門で騒ぎが起きた。
これから危険な作戦を行うというのに騒ぎだなんてと険しい表情をした一同は現場へ向かうとそこには莉久と甲斐に副官の夜叉子とお初が衛兵と口論になっていた。
「兵団の天使長ともあろう方が何をしているのですか!?」
「だから嬴政に話があるんだよ!!」
美しい美貌を強張らせて話す甲斐の隣で静かに横目で衛兵を睨んでいる副官の威圧感は凄まじい。
次第に勢いに負けていく秦軍の衛兵がふと振り返ると腕を組んで様子を見ている始皇帝の存在に気がついて、慌てて片膝をついた。
隣で虎白が眉間にしわを寄せて「何やってんだお前」と甲斐の奇行に動揺した様子だ。
衛兵を押しのけて近づいてくる甲斐達の服装は今から戦場にでも行くかの様な動きやすい着物に武器を持っているではないか。
「あたいらも行くよ。」
「お前兵団から何言われるかわからねえぞ?」
天上界最強の呼び声が高い大天使ミカエルの兵団は非常に厳しい軍律があった。
その中でも「いかなる理由でも冥府に踏み入ってはならない」という軍律を破ろうとしている東国一の美女の表情は何か決意を固めた様に凛としている。
甲斐は兵団の軍律を破ってまで冥府に行こうとしているのは明白だったが、驚く事に副官二名まで同行しているのだ。
すると莉久が悲しそうな表情で「虎白様酷いです」と置いていかれた事に不満げだ。
「ちょ、ちょっと待てお前ら。 莉久は国造りの監督をしてほしいって頼んだよな? それに甲斐と副官は兵団から追放されるぞ。」
虎白の言葉に三人と一柱は聞く耳を持たない様子だ。
中でも甲斐と莉久の決意は固くこれ以上の口論は無意味と表情で物語っていた。
たまらず虎白は親友である嬴政の顔を見ると長い髭を触りながら「本気で言っているんだな?」と低い声を発した。
「あたいは行くって決めたのさ。 こいつらもね。」
「僕も行きますからね虎白様。」
頭を抱えている虎白も諦めたかの様にうなずくと嬴政は手招きをして皆を王宮の中へ案内した。
改めて作戦会議を行う事になったが、ここでまだ全員が集まっていないと始皇帝は口を開いたのだ。
するとばりばりと奇妙な音を立てた何かが王宮の外に飛来した。
虎白が首をかしげて外へ出るとそこには大きな何かが立っている。
「虎白殿。 お久しぶりですね。 嬴政。 来たぞ。」
外見は人間にも見えるが、皮膚というものがまるでない。
表面は硬い装甲でも身にまとっているかの様な昆虫の表面ではないか。
黒くて大きな目には白目はなく、不気味なまでに感情が読み取れない。
背中には向こう側が透けて見えるほど薄い羽をまとっている。
そう彼こそが虫の王にして大切な妻を虎白達の騒ぎの間に誘拐されてしまった蛾苦(がく)だ。
一度見れば夢にまで出てきそうな恐ろしい外見にそぐわず、物腰は柔らかく温厚な性格がまた驚きを誘った。
茶色い頭の上で前後左右に動く糸の様に細い触覚が絶えず動いているのも鳥肌案件といった所だ。
虎白を見るやいなや激昂するかと思えば丁寧な口調で「わざわざありがとう」と話す虫の王は一向に王宮内へは入ってこなかった。
すると嬴政が「汚くないから入れ」と話したがやはり蛾苦は入ってくる様子はない。
「ここで十分だ嬴政。 皆様、我妻のために危険を背負わせて申し訳ない。」
「冥府に入れば先に何が待っているかわからない。 まずは適当な捕虜を取って尋問するぞ。」
冥府という世界は天上界に暮らす皆にとってはまさに未知の世界だ。
天王であるゼウスですらさほど詳しくない。
虎白も霊界での戦闘を経験した事もあり、冥府に住む邪悪な存在の危険度はよくわかっていた。
これから行くことになる冥府という世界はそんな邪悪なる者達が一体どれだけ待ち構えているのかもわからない。
生きて天上界に帰る事すら可能性としては低い。
だが虎白と嬴政は自身らの軽率な行動で蛾苦の妻が拉致されてしまった事への罪悪感と償いをなんとしても行いたいと考えている。
「なあ蛾苦・・・悪かったな・・・」
「謝らないでください。 我が国には多くの戦士が残り、弟の蛾路(がろ)もいましたから。 それでも妻が拉致された事は決してご両名の責任ではありません。」
それはその昔に起きたテッド戦役での事だ。
自由気ままに旅をしていた虎白達は蛾苦と知り合いになった。
旅に同行した期間は短かったが、蛾苦の物腰の柔らかさなどから直ぐに虎白達と打ち解けた。
そしてあのテッド戦役が起きた際に虎白と嬴政は蛾苦の助力を求めたのだ。
助力を快諾した蛾苦は国を弟に任せて応援に向かったが、直ぐに本国が冥府軍に攻め込まれた。
冥府軍は強力な火炎と殺虫剤を撒き散らかして蛾王国軍の虫戦士達を殺して回った。
その結果、王妃の「鈴姫」というイタチの半獣族が囚われてしまったのだった。
蛾苦は悲報を知る前に応援に駆けつけたが、既に手遅れであった。
虎白と嬴政を残して七人の友は既に邪悪なる王に討ち取られていた。
そして魔の手がまさに二人の伸びた瞬間に蛾苦に抱き抱えられて難を逃れたのだ。
つまり命の恩人でもある。
虎白と嬴政は布が敷かれた床に座って長机に並べられる料理に手をつける事すら忘れて当時の惨劇を思い出している。
「蛾苦がいなければ俺らも殺されていた・・・」
「ああ。 生かしてもらったからには必ず恩返しをさせてもらうぞ。」
夜が更けて潜入前夜の宴はたけなわとなった。
今宵は各々が覚悟を決めなくてはならない。
朝日が登れば邪悪なる世界へと旅立つのだ。
夜空を眺めて一柱で酒を飲み直す虎白は眠っている竹子達の愛おしい寝顔を見ている。
ふと顔を向けると莉久は眠そうに半目になりながらも虎白の隣から離れない。
「寝ろよ。」
「いいえ。 眠っている間に虎白様と嬴政だけで出発しない様に見張っているのです。」
そう話す莉久の頭をふさふさと撫でると「所でお前は本当に男なのか?」と顔を近づけてきた。
すると半目から眼球が飛び出るほど見開いては何度もうなずいている。
視線を落として胸元を見ている虎白の顔を掴んでは「見ないでください」と小さい声を発した。
「怪しいなあ。 そうだ。 昔俺が嬴政と裸になって川に飛び込んだ時もお前は脱がなかったな?」
「僕まで遊んでしまったら襲われた時に対応できませんから。」
唇を尖らせてもっともらしい事を言っているが虎白の疑心は消えない様子で唸っている。
すると「もう寝ましょう」と主の手を引いて床へ入っていった。
明日はいよいよ冥府潜入だ。
莉久の隣に横たわった虎白は明日の事を考えて静かに眠った。
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