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第2ー10話 身の毛もよだつ冥府
人々は怒りや妬みそして悲しみを抱えて生きている。
時には理性も道徳すらも超越して憎悪を吐き出す事もあるだろう。
一同が見上げるその門は多くの人々の憎悪が宿っているかの様に見ているだけで寒気がするほど不気味な気配を放っている。
虎白と嬴政は互いの顔を見るとうなずいて、同時に一歩前へ足を踏み出した。
それに続く一同は遂に冥府の門をくぐったのだ。
「門には衛兵がいるだろうな。」
「駐屯地でもあれば敵軍の正面に出る事になるぞ。」
暗くてどんよりした空気が漂い、永遠に続くかの様に長い道を歩いている一同の心拍数は上がっている。
隣にいる仲間の鼓動が聞こえるほどに静まり返っている冥府門は進んでいく先からも声一つ聞こえない。
やがて冥府門を越えると眼前に広がっていたのは廃墟同然の家屋が立ち並んでいた。
冥府軍の一兵たりとも確認できない状況で恐る恐る家屋を調べる一同が目の当たりにしたのは身の毛もよだつ光景だった。
虎白が家屋の隙間から室内を覗き込むと、そこには人が座っている。
椅子に座っている住人は生気でも吸い取られたかの様にじっと虎白を見つめていた。
全身に寒気が走り腕をさすりながらも室内を覗き続ける虎白は「おいお前」と声をかけた。
すると住人は立ち上がってのそのそと近づいてきたではないか。
「ここで何しているんだ?」
「座る。 待つ。 出陣する。 首を上げる。」
人が一人座っていられるほどの広さしかない部屋で座っている住人が話したのはまるで機械かの様な限られた言葉だけだ。
一同が周囲の建物を調べると、どれも同じ様に人が座っているだけで会話も何もない虚無ともいえる空間が広がっている。
ふと目を上にやると人間ではとても手の届く事がないほど高い位置に扉が一枚だけ設置してある。
「あれは人じゃ登れねえぞ。」
「魔族ではないですか? 連中なら飛行能力がありますから開けられます。」
「でも何がしたくてここに入れているんだ。」
莉久と困惑しながら会話をしていると住人が顔を隙間から絞り出すほど力強く押し付けて凝視している。
あまりの気味の悪さに絶句する二柱は冥府の住人がぶつぶつと話している声を聞く事すら忘れていた。
慌てて「もう一度言え」と耳を近づけた虎白は腰に差す刀に手を当てた。
力のない消えかけの声で住人は「罪人」と話した。
「お前は罪人なのか?」
「俺は罪人・・・死ぬ許可もない・・・天上界への亡命を企んだ罪・・・」
冥府門を越えてすぐに広がっていた廃墟は冥府の罪人が収容される刑務所だったのだ。
虎白達一行は直ぐにその場から動き始めた。
虫の王である蛾苦の妻が囚われている場所はこの場所ではないと考えたのだ。
天上界の者を収容するならここよりも更に警備が厳重な場所にあるのだと思った虎白は皆を連れて進んだ。
やがて廃墟を越えるとそこには巨大な森が広がっていた。
「今度は森か・・・広すぎるぞ。」
「何やら嫌な予感がしないか虎白・・・」
嬴政が髭を滑らかな手つきで触りながら周囲をきょろきょろと見渡している。
始皇帝が話す嫌な予感とは冥府に入ってから未だに冥府軍の兵士を見ていない事だ。
青ざめた表情で相棒ともいえる虎白の肩に手を置いた嬴政は「気づかれてはいないだろうな?」と恐ろしい事を話した。
「やめろよ・・・」
「ここまで巡回の兵士すら出ないものなのか?」
冥府門を越えてから活気という感覚を忘れてしまうほどに静寂と囚人の憎悪しか感じていない一同は自然と最悪な事態ばかりを連想していた。
同じく青ざめる竹子が「森の中から見られている気がする」と嬴政に続いて恐ろしい事を話すと、次々に皆が発言をしたがどれも考えるだけで戦慄する内容だ。
しかしこの状況において蛾苦だけは言葉を発する事はなかった。
それどころか、半透明な薄い羽を開くと今にも上空へ飛び立とうとしているではないか。
「お前何してるんだよ?」
「皆様の予感が外れている事を確認してきますよ。」
「気づかれたらヤバいって天王も言っていただろ。」
天上界を出発する前にゼウスから言われた言葉を思い出した虎白は冥王ハデスの存在だ。
既に冥府に入ってこの世界の異常性は嫌ってほど痛感した虎白は万が一にハデスやその配下に見つかればどうなるのかと考えていた。
蛾苦が飛び立てば遠くにいるかもしれない冥府軍にも気がつかれてしまう。
「馬鹿な事はするな」と虫の王を落ち着かせようとしていると温厚で律儀な蛾苦が感情的になったのか、触覚を素早く動かしている。
「やっとここまで来たんだ・・・鈴にまた会えるのかと思うと気持ちを抑えられない・・・虎白殿、森を見てきますからゆっくり歩いてきてください。」
中腰になった虫の王は足を踏ん張らせると、前に飛んだ。
そして半透明の羽をばりばりと音を立てながら低空飛行で森の中へ消えていった。
残された一同も警戒しながら森の中を目指した。
しかし歩きながら数分経ったが、蛾苦が戻ってこないではないか。
「あいつ戻ってこねえぞ。」
「捕まったんじゃないのー?」
またしても甲斐が恐ろしい事を言うものだから一同の空気はさらに凍りついた。
やがて森へ辿り着くと、寒気がするほどの静寂が一同を迎えた。
ばりばりと音を立てる蛾苦の羽の音もまるで聞こえない。
「と、とりあえず入るか」と言葉を詰まらせながら話した虎白を先頭に一同は森へ入った。
冥府に入ってから終始、太陽も月もない不気味な天候が続いている。
空はあるが、雲はなく漆黒の空が広がっているが冥府は薄暗く照らされているのだ。
この薄暗い明かりの正体もわからないまま、奇妙な森を息を殺して進む虎白以下八名の鼓動はさらに激しさを増している。
「この森の広さはどんなもんかな?」
「さあね。」
虎白がふと背後を見ると、夜叉子がすたすたと歩いている。
森に入った時には背後に嬴政がいたはずだ。
そしてその後ろには甲斐がいて美人姉妹がいた。
夜叉子とお初と莉久が最後尾にいたはずだが、虎白の直ぐ後ろで歩いているのは謎多き黒髪が美しい副官ではないか。
「ちょっと待て!?」
「あ、あれ・・・」
平然と虎白が独り言の様に話した言葉に「さあね」と返したが明らかにおかしい事に夜叉子も気がつくと周囲を見渡した。
だが虎白と夜叉子以外の鼓動も聞こえなければ気配すら感じない。
顔を見合わせて絶句する神族と美しき副官はこの異常事態に足が進まなくなった。
「どうなってんだ!?」
「全員消えた。 直ぐに触れる距離にいたのに。」
瞬間移動でもしてしまったかの様にこつ然と姿を消した七人の行方はわかるはずもなく呆然としている。
「とりあえず行こうか」と夜叉子がつぶやく様に話すと虎白も彼女と共に足を進めた。
知り合って日も浅く互いがどの様な思考や観点を持っているのかもわからない神族の狐とミカエル兵団六番隊副官の放浪が始まったのだ。
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