天冥聖戦 シーズン2      犠牲の果ての天上界

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第2ー11話 最低な世界 未知なる森の中を彷徨う虎白とミカエル兵団六番隊の副官である夜叉子ははぐれた仲間を探しながらも前へと進んでいる。 もはやどっちが前で後ろなのかもわからない異様な森は薄暗く、風もない。 木々が不気味に二人を静観しているかの様な静寂が包んでいる。 虎白がふと夜叉子を見るとしゃがみこんで何やら土を見ているではないか。 「どうした?」 「いや、足跡もなく草とかを触った形跡すらなくてね。」 そう話す夜叉子は追跡の技術を持っている様子だ。 虎白が「詳しいな」と話すと愛想のない返事で返した。 謎多きこの女に興味を持っている虎白はこの迷いの森で彼女と話を始めた。 「焦っても仕方ねえ。 お互いが信頼できる様に話を聞かせてくれ。」 「信頼なんて求めてないよ。 あんたこそ自分の話をすれば? どうして狐の神族がいるの?」 過去に何があって倒れたのかわからない大きな木に腰掛けた虎白の隣に座って懐にしまっていた煙管を吸い始めた夜叉子は変わらず愛想のない様子で話を聞き始めた。 虎白が何故、人間の中に封印していたのか、どうして他の狐が莉久しかいないのか。 そういった謎はまるでわからないと話すと夜叉子は呆れた様子で鼻で笑った。 無愛想で無口な黒髪の美女はどうしてここまで冷たい瞳をしているのか。 虎白は自身の事よりも彼女の話が気になっている。 「お前は? 過去に何があった?」 「別に。 話す理由も義理もないね。」 変わらず自身の過去を何も口にしようとしない美しくも謎多き女は煙管を吸い終えると「行くよ」と手招きしている。 立ち上がった虎白はもっと話したいという表情を浮かべながら美女の後に続いた。 それから歩き続ける事三十分。 景色は変わる事なく森が続いている。 正気を失ってしまいそうなほど、方角もわからず光も差し込めない迷いの森を進む二人にある転機が訪れた。 激しく倒れている木々の中で夜叉子が立ち止まって地面を気にすると、何かを指差した。 視線の先にあるのは着物の切れ端だ。 「この匂いは竹子だ。」 「嗅覚がいいんだね。 どっちへ行ったかわかる?」 「あーそうだなあ・・・たぶんあっちかな。 微かに匂いがするが薄まっている。」 竹子の着物だと話した虎白は自身の姿を狐に戻すと、地面の匂いを訓練された犬の様に嗅ぎながら進んだ。 そんな光景を見ている夜叉子はまたしても鼻で笑うと「便利なもんだね」とつぶやいた。 しかし竹子の香りを辿りながら進んでいたが、またしてもある場所で香りがこつ然と消えているのだ。 姿を半獣に変えた虎白は頭をかきながら唸っている。 「一体どうなってんだこの森は。」 「しっ!! 待ちな。 聞こえる?」 愛する竹子の香りが消えた事への苛立ちで声を上げかけた虎白の女の様な薄い口を滑らかな手で押さえつけた謎多き美女は息を潜める様に近くの茂みへ連れ込んだ。 聴覚に神経を集中させる二人は何やら遠くの方から聞こえてくる笑い声に気がついた。 男の様に低い笑い声だが、どこかで聞いた事のある不快な声だ。 「魔族か?」 「たぶんね。」 けたけたと笑う不愉快極まりない笑声は霊界で聞いたそれであった。 腰に差す霊界で手に入れた刀に触れる虎白は声が聞こえる方へと近づこうとしたその時だ。 ふと隣にいる夜叉子がまたしても突然消えていないかと確認するために振り返った虎白が見たものは恐ろしいものだった。 夜叉子は姿勢を低くして虎白に続こうとしていたが、その背後の木から蜘蛛の様にゆっくりと降りてきては今にも美しい黒髪を掴んでしまいそうな魔族の姿があった。 その刹那、虎白は刀を抜くと夜叉子目がけて突き出した。 しかし夜叉子はその突然の奇行に驚く事もなく、首をすっと傾けて刃先を交わしてみせた。 刃先は背後に迫る魔族の顔面を突き刺した。 「危ないね。」 「悪いな夜叉子・・・見ろよこいつ。」 「へえ。 いつの間に。」 顔に穴を開けて息絶える魔族からは悍ましい外見からは想像もできない純白な血液が流れ出ていた。 そんな衝撃的な光景を表情一つ変える事なく冷静に見ている夜叉子は何を思っているのか。 突然の虎白からの刃すらも落ち着いて避けたこの女に驚きながらも先へ進もうとした。 すると虎白の着物の袖を掴んではじっと顔を見つめているではないか。 「ありがとね。」 「気にするな。 可愛い所もあるんだな。」 そう話すと背中を向けて先へ進んだ。 彼の細身だがどこか頼もしい背中を見つめる謎多き女は困惑した表情をしている。 「か、可愛いって・・・」と囁くほどの声量を発するとため息をつきながら後を追った。 それから進み続けて更に三十分。 不気味な笑声が聞こえた方角へ進み続けた二人は遂に森の出口へと辿り着いた。 「おお。」 「ふう。 やっと出られるね。」 「あいつらどこへ行ったんだろうなあ。」 森を出た二人が見渡す先には廃墟と化しているほど静寂を保つ町が広がっていた。 迷いの森へ入る前の収容所とは異なり、確かな町ではあるが活気という言葉が無縁と言えるほどの静寂さだ。 二人は警戒しながらも先へ進んだ。 建物の中を確認するために扉を開けて中へ入ったが、やはり明かり一つない不気味な空間が広がっていた。 室内は普通の住人が暮らしているであろう最低限の家具などが置いてある。 ソファに腰掛けて一息ついた虎白は「どうするかあ」とはぐれた仲間の事を思っている。 すると夜叉子が隣に座って「話すよ」と小さい声を発した。 「私の過去に何があったのか。 助けてもらったお礼と言っちゃ随分偉そうなんだけどね。」 「いいや。 お礼に値する。 聞かせてくれ。」 静かに口を開いた女は氷の様に冷たい瞳を向けた。 表情こそ変わらず愛想もないが、美貌は言うまでもなく上品さまで兼ね備えている。 この一時間ほど彷徨った時間で夜叉子への興味が更に増した虎白は自身の過去を知る時と同じといえるほど食いついた表情で聞いていた。 「結論から言えば私はこの先も誰も信頼はしない。 それに心を開く事もない。」 「だが昔は誰かに心を開いて信じていたんだろ?」 そう尋ねられると僅かにうなずいた。 吐きかけたため息を飲み込むと、静かに自身の手をさすりながら話を続けた。 「まだ第一の人生なんだけどね」と夜叉子の閉ざされた過去は遥か昔にさかのぼる。 「何も関係は持てなかったけどさ。 短い期間、夫がいたんだよね。 でも見ての通り今は独り身ってわけさ。」 「気の毒だが、死んだのか?」 「うん。 私が殺したんだよ。 その発言に驚いた虎白は頭の上から生やす白くて手触りの良さそうな耳をひくひくと動かしている。 夜叉子の凍りついた瞳は変わる事なく「私が殺した」と話したのだ。 恐る恐る理由を尋ねると凍った瞳の美女は狐特有の瞳をじっと凝視している。 「良い夫だった。 第一の人生で人売りに拐われた私を助けてくれた。 彼は山賊の棟梁でね。 でも略奪は悪事を働く武士達からしか奪わなかった。」 彼女が話す殺した夫の話はまるで今も愛おしく思っているかの様だ。 内容も殺される様な事をしている様には聞こえない。 では何があったのか。 虎白は顔を近づけて話を聞いている。 「ある日さ。 道に迷った老人を夫が救助した事があったんだけどね。 そいつは武士に雇われた暗殺者だったのさ。 そうとは知らない夫は無防備な所をあっさりとね。」 山賊だというのに悪事を働かず、悪事を働いた武士達から略奪をしてきたという夜叉子の夫は騙し討ちにあって壮絶な最期を迎えたというわけだ。 しかし虎白は首をかしげていた。 「お前が殺したって言わなかったか?」と尋ねると凍りついた瞳が微かに潤いをみせている。 そして虎白の耳に美しい唇を近づけると「私が殺したのはこっちに来てからだよ」と話したのだ。 「テッド戦役だったね。 甲斐に付き従って戦っていた時だよ。 冥府軍の装束をまとった夫に偶然再会したのは。 もはや我を失った様子でね。 私を見ても気がつかなかったよ。」 不運で壮絶な最期を迎えた夜叉子の夫は冥府へ行き、冥府軍として天上界侵攻へ派遣されていた。 そして天上軍として戦った夜叉子は戦場でかつての優しき夫からかけ離れた邪悪なる夫に再会したのだ。 夜叉子は夫を解放するために自らの手で殺したのだった。 「最低な世界でしょ。 夫が殺された日から心は閉ざしたの。 夫を殺した時に私の心も死んだの。 だからこの先も誰にも心は開かないって事さ。」 夜叉子の瞳からは今にも大粒の涙が流れそうになっていた。 話を聞いた虎白は彼女がどうしてここまで冷たい表情になったのかを知った。 ふと夜叉子の手を見ると小刻みに震えていた。 その手を優しく握ると「話してくれてありがとうな」と返した。 「俺はよ。 自身の過去が消えちまった。 だからもう何もねえ。 そんな何もねえ俺が新しく出会ったお前や竹子といった人間を見ていて思ったんだ。 お前の様な悲しみを背負う人間がいなくなる世界を作りてえってよ。」 そう話した神族の狐は遠くを見ている。 きっと彼が見ているのは景色ではなく未来なのだろう。 目の前で泣くことすら忘れてしまった女がいつの日か笑顔を取り戻せる未来を見ているのだ。 驚いた様子で見ていた夜叉子は下を向いて微かに口角を上げたのだった。
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