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第11話 「ヤロウども。お姫様を救いに行くぜ」
(anwar ramadhanによるPixabayからの画像)
井上さんはスマホ画面を30秒くらい見た。それから、
「事務所は何階だ?」
「四階」
「まともなマンションか?」
ボスは薄く笑った。
「チンピラの事務所があるんだ。まともなマンションなわけがねえ」
井上さんはスマホ画面を拡大して、おれに向けた。助手席から首を伸ばしてのぞき込む。ああくそ、本気であばらが痛いんだが……。
スマホにうつっているのはマンションフロアの設計図みたいだ。あちこちにバツ印が付いている……ヘンな図だな。
新しい画像が出る。今度は部屋の見取り図だ。
これが椿(つばき)ちゃんが閉じ込められている事務所か……。見入っていると、井上さんがバックシートから言った。
「洋輔(ようすけ)、カメラが多すぎる」
「ああ。時間がかかるから、今日はいちいちつぶさねえ。これを使う」
ボスは車のグローブボックスから黒いニット帽を取り出した。ふつうのニット帽じゃない。目の部分だけ穴が開いている、目出し帽だ……こんなもん、マンガでしか見たことがない。
まさかこれ、かぶるのか?
カシミアのロングコートを着た井上さんが、イヤそうにつぶやいた。
「みっともない帽子だ」
「カメラに顔を残したきゃスッピンで行けよ、おしゃれヤロウ」
「……ちっ」
黒いカシミアのロングコートを着た井上さんは舌打ちしてニット帽を軽くかぶった。
「それで、今日はどうやるんだ?」
ボスは一秒だけ考えた。
「俺がいく。お前は非常階段だ」
「わかった――飯塚(いいづか)は車に置いていくのか」
「行きますよ!」
おれはあわてて言った。ここまで来て置いていかれちゃ、意味がない。
しかし井上さんは冷静に、
「あばらが折れているんでしょう。何本やられました?」
「……い、いっぽん」
「二本だろ。どうするシンジ。来るか、待つか」
「行きますよ。おれが椿ちゃんを助けなきゃ、意味がないです」
「そりゃそうだな」
ボスは笑って車を降りた。おれもあわてて降りる。
心臓がバクバクしている。耳元の血管が緊張で、はちきれそうだ。
ごくっと唾をのむと、その音に気づいたみたいに井上さんが近づいてきた。目出し帽からは、切れ長の目が光っている。
「飯塚、あばらをやられている時は、腕がじゅうぶんに使えない。身体全体で相手の急所一か所をねらえ」
「きゅうしょ?」
井上さんはトン、みぞおちを押した。
「ここだ。みぞおちに強い衝撃を受けると横隔膜の動きが止まる。どんなデカい男でも、一瞬だけ呼吸困難になるんだ。ここへ頭から突っ込め」
「みぞおち、頭から突っ込む、呼吸困難。はい」
「相手の動きが止まったら、足を引っかけてころばせる。ころんだら、そいつの鼻を蹴れ」
「はな??」
びっくりして言い返すと井上さんは淡々と言った。
「鼻の骨を折るんだ。大量の血が出るとたいていのやつは戦意を失う。それで十分だ」
「……はあ」
おれがよほど変な顔をしていたんだろう。ボスが笑った。
「中に入ったら自分で何とかしろよ。俺はいそがしくなるからな」
「ほんとだぞ。このバカはアテにならない」
井上さんがうんざりした声を出した。ボスはぐん、と背伸びをしてから目出し帽をかぶる。
「さて、ヤロウども。お姫様を救いに行くぜ」
★★★
古いマンションに入ってエレベーターに乗る。四階につくと、井上さんは無言で廊下奥にある非常階段にむかった。
ボスがスッと、近づいてきた。
「シンジ、キヨが立ってるところ、おぼえとけよ。カメラに映らねえ場所だ」
「なんで、そんなことが分かるんです」
「さっき、カメラ位置がついている設計図を見せたろ。あいつはそういう計算ができるんだ」
有能なコルヌイエホテルのホテルマンには、そんなテクニックも必要なわけだ。
ボスは、
「ついてこい」
というとのんびり歩いてマンションのドア前でしゃがみこんだ。
「シンジ、おれの右側に立て」
言われたとおりに立つ。ボスはポケットから小さな金属片を取り出した。
「それ、なんですかボス?」
「ドアは開けなきゃ入れねえだろ」
黒い手袋をした大きな手が、すばやく動いた。慣れた手つきだ。
「……ピッキングですか」
「ただのヤスリ棒だよ」
「そんなわけないでしょう……じゃあその、波型のハリガネは……?」
「"テンション"だけじゃ、鍵は開かねえからな」
「ピッキングじゃん」
あきれていうと、ボスは喉の奥で笑った。
「それほどの鍵じゃねえよ。しかもこいつら、デフォルトの鍵そのまんま使っていやがるぜ」
ボスは金属片をしまい込み、ドアに手をかけた。軽く押してから、
「やれやれ。チェーンロックもガードロックもしてねえ。不用心だな」
そのまま、ボスは廊下奥にいる井上さんにうなずいた。井上さんもうなずいた。
ドアを静かに開ける。ボスが足音も立てずに玄関にすべりこむのに、おれもつづく。ボスはあごで廊下の横の部屋をしめした。
「お前、その部屋を見ろ。俺はリビングに行く」
何かを聞き返す暇はなかった。
ボスはもう、突き当りにあるリビングのガラスドアを開けている。
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