第17話 「女王さまの笑い声」

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第17話 「女王さまの笑い声」

74c7c1c8-9f71-43f4-becc-fedbcbfd3ace (Saulius RozanasによるPixabayからの画像 )  おれはシャツをデニムパンツからひっぱりだした。椿(つばき)は顔を赤くして、 「わっっ、何するんですか、慎二(しんじ)さん!」  顔を隠しながらも指のあいだから見ている。くそ、かわいいな。 「このほうが、早いからさ」 「早いって、何が? ――えっ」  椿の目が大きくなる。二回、三回と深呼吸をする音が聞こえた。 「なに、このキズ……腰からお腹までもある……大きいのね。盲腸のあと?」  うひゃ、ココで盲腸っていう? 笑いが止まらない。椿が何を言っても可愛く感じるなんて、やばいなあ。 「盲腸じゃないよ。盲腸は右側にある、キズは左側の腹と腰だろ」 「あー」 「刺されたんだ、義理のおふくろに。初めてのセックスの後で」 「……え? おかあさん? せ……」  ぶわっと椿の顔が赤くなり、すぐに青くなった。言葉の意味が分かったんだろう。誤解のないように、と説明を追加した。 「実の母親じゃなくてさ、義理のおふくろだよ。うちの父親が三番目に結婚した人。クソオヤジは異常な女好きでね。 でも彼女はすごい良い人で、家事もちゃんとしてくれたし、おれも実の母親みたいに思ってた――」  冷たい空気が腰に当たる。キズあとはじんじんと痛む。  今も、まだ。 「ところがさ、オヤジの女好きは病気レベルだったわけ。浮気しほうだい、家に女を引っぱりこむこともあった。  そのうち、おふくろが精神的におかしくなってきたんだ。あたりまえだよな、そんな生活でさ……。  で、ある日、彼女はおれを襲った」 「……包丁で?」 「ちがう。カラダで」 「え」  椿は目を丸くしている。  くそ、本当は言いたくないんだ。おれにだってプライドがある。好きな女の前ではまともな男でいたいよ。  でも。  今のおれは、まともでありたいと思う以上に、なにもかもを打ち明けたい。  椿ならどんな話も受け止めてくれると思うからだ。  ダメで弱くて、どうしようもないおれを、きっと受け止めてくれる。  おれはそう信じてる。 「十一歳のとき、おれはおふくろに、レイプされたんだ」 「でも……慎二さんは、男の子で……?」 「そうだよな、普通はそう思うよな。おれだって自分のことでなきゃ、そう思うよ。  だけど事実は事実だ。腰と下腹にはキズあとが残っているし、記憶は薄れていかない」  あの夜は、今も漆黒の闇のまま身体の中に残っている。深く沈んで、ときどき噛みつく。おれが幸せになりかけると、キズがうずくんだ。  今みたいに。 「レイプってさ、女の人でもできるんだよ。同意のないセックスは、どれもレイプなんだ。とくに子供にとっては男も女も関係ないよ。いきなり口でされてさ、アッと思ったときには、もう彼女の中に、入らされてた」  静まりかえった部屋に、椿の悲鳴みたいな声が響いた。 「十一歳で? ひどい、そんな――じゃあ、このキズはどうやって?」 「セックスの後、あの人が泣きながら正気に戻ったんだ。いや、まだ半分おかしかったな。自分で自分を……刺そうとするから。防ぐつもりで体当たり……で、こっちが……さ、刺された」  ここまで話したら、もう立っていられなかった。しゃがみ込んでうめく。  うめき声しか出てこない。  まるであの夜がまた繰り返されているように。 『ごめんなさい、ごめんなさい、おかあさん』 『慎二、できるわよ。できるのよ――』  それでも声を絞り出す。 「……できたんだ、あの夜は。できてしまったんだ。それが、最初で最後なんだ。 あれから何もできない。セックスどころか、人がいるところで服を脱ぐこともできなくなった。  脱ぐと――聞こえるんだ、あの人の声が」  ぎゅっと、椿が抱きついてきた。温かさが伝わる。  忘れてた。  人って温かいんだ。  そんなこと、十七年ずっと忘れていた。  でもだからって、許されていいわけがない。ダメな息子だったんだ、おれが――。 「椿ちゃん、おれがちゃんとしていたら母さんを守れたはずなんだ。クソオヤジに立ち向かって、あの人を守るのが役目だった。 今日だって、きみが“ダブルフェイス”の裏口であほスタジャン男ともみ合っている時に守れたはずなんだ。  おれがしっかりしていたら――しっかりしていたら。  勃たないのは――罰なんだ」 「ちがう!」  いきなり椿が立ちあがった。  背伸びして、おれの顔を両手で包む。彼女は百五十センチ、コッチは百七十センチ。二十センチの身長差を彼女が一気に詰めてきた。 「罰じゃない、慎二さんが悪いわけじゃない。もう――泣かないで」  ひた、と椿の唇が頬に当たった。  頬に鼻先に、あごに目元に――あれ、目元? 濡れてる? おれの目から涙が流れていた。  椿がささやく。 「泣いていいの。今は、そういう時なの」  温かいキスが顔じゅうをおおう。そしてゆっくりと唇がさがってきた。  シャツのボタンがはずされる。  キスが身体をすべっていく。のどに鎖骨に、肩関節と胸。  そして――腹のキズあとに。 「つばき」 「じっとしてるのよ――きれいにしてあげるから」  ゆっくりと、温かい舌がキズあとを舐めあげてゆく。  左の下腹、ここに十二センチの傷がある。椿の舌は上から下、下から上に移動して言葉を埋め込んだ。 「だいじょうぶ。もうだいじょうぶ。なにもかもきれいになった。慎二さんは何も悪くない――」  椿の舌は腰にうつった。  思わずうめく。彼女の笑い声がする。 「どんな感じ?」 「くすぐったい……な」 「あたし、キスがうまいのかも。お姉ちゃんにも褒められたし。女王さまの才能があるって」 「ちょ……待ってよ! 女王さまを本職にしてもらっちゃ困る。きみはおれの――あ……っ!」  うふふ、と椿が笑った。  女王さまが、おれの身体の上で笑っていた。
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