第4話 おれと彼女の『ED克服&ロストヴァージン計画』

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第4話 おれと彼女の『ED克服&ロストヴァージン計画』

 おれは深夜の部屋で、スマホの向こうにいるボスに言いかえした。 「あの子に手を出す、とかじゃなくて! ファミレスでいきなり倒れたんですよ。出口でスタッフとモメて――」  するとクソボス、深沢(ふかざわ)さんが黙った。 「ボス?」 『そのスタッフ、男だったか?』 「ええ、男性です」 『原因はソレだ。椿(つばき)はオトコ恐怖症なんだ。男にさわられるとパニックになる。あとは本人に聞け』 「ちょ、ボス! オトコ恐怖症って、もうちょっと説明を――ボス!」  電話は切られた。おれはスマホを置いて、ベッドで眠る彼女を見る。  呼吸は短いけど、落ち着いている。顔色もよくなってきた。しばらく眠っているだろう。  おれはため息をついて毛布をかぶった。寒いが床で寝るしかない。オトコ恐怖症の女性と同じベッドに入るほど、ずうずうしくなれない。 「はあ……おれはEDで、彼女はオトコ恐怖症。もう詰んでるよ」  おれは眠りかけながら、初恋が砕ける音を聞いた。  ……かっしゃーん……。  初恋の終わりって、チョー軽いのな……。  翌朝、おれは湯が沸く音で起きた。起き上がるとキッチンに女性がいた。  頭が混乱する。この部屋に女性が来ることはない。おれはEDだから。  そして昨夜のことを、思い出す。 「あー、そうか」  おれの声で、彼女が振りかえった。あいかわらず前髪が多すぎて、表情が分からない。  けどかわいい、ような気がする。って。バカか、おれは。 「あの、よければコーヒー、入れます、けど」 「ありがとう。あ、インスタントの粉は、棚の上にあるよ」  彼女はふたつのカップにコーヒーと湯を入れた。  湯気が立つ。  湯気だけが、気まずい空気をやわらげてくれた。 「きのうは、ありがとう、ございました」 「あ、いや。おれこそ、へんなことを言ってしまって」  朝になってよく考えると、昨日のおれはアホだった。ほぼ初対面の女性に向かって 『自分はEDだけど、SMバーで初めて会ったきみか、SMの女王さまのどっちか、に反応した。ヤレるのがどっちなのか確かめたいから、女王さまをやってくれない?』  ……アホだ。なさけない。  あきらめよう、男はあきらめが肝心だ。そう思ってコーヒーを飲んだら、すごい熱い。ふき出すわけにいかず、じっとこらえる。全身にすごい汗が出る。  彼女はおれの様子に気づかないで顔を上げた。  髪のすきまから、やっぱりきれいな目が見えた。 「あの、あたし……女王さま……やります」  おれはほぼ熱湯のコーヒーを吹き出した。熱い液体が膝にぶちまけられる。 「ひゃっ!? へ? あ、熱っううう!」  彼女は淡々と言った。 「女王さまを、一回だけ、やります。でもSMの女王さまって、簡単じゃないんです。トレーニングが、いるんです。危険なことも、やるから……だから、二週間ください。姉に訓練してもらいます。あ、姉はあのバーの女王さまで……」 「うん、エミリさんでしょう。ボスから聞いてます」  彼女は静かにうなずいた。 「訓練が終われば、女王さまをやれます。あの、かわりに頼みがあるんです……」 「ああ、金なら払いますよ」 「おかね、じゃなくて――いちどだけ。一回だけ、して、ください」 「……何を?」  彼女はゆっくりと前髪をはらった。  きれいな目だ。きれいな顔だ。この世で、おれ以外の男は絶対に見なくていい顔だ。  柔らかそうな唇が言った。 「――セックス、してくだ、さい。あたし、バージンのまま終わりたくないんです」  言い終わると、まだ青ざめた肌が、ぽっと赤くなった。  ぐわっと熱がおれの全身にひろがった。  外は薄ぐもりで。おれの部屋は冷たくて。  ふたつのマグカップから湯気が上がっていて。  彼女が目の前にいる。  おれは思わずつぶやいた。 「世界が変わるって、こんなふうなのか」 「え?」  おれはあわてて言った。 「わかった。きみは、おれの女王さまになる。おれは一回だけ、きみと、その……ヤる。これでいいのかな?」 「はい」  おれたちはお互いの顔を見て、うなずきあった。 「取引成立だ。ええと、きみのことを何て呼ぼうか?」 「館林(たてばやし)です」 「……あの、もうちょっとカップル気分がでるような……そうじゃないと、おれ、できないかも。椿(つばき)ちゃんって呼んでもいいかな。おれは飯塚慎二(いいづかしんじ)。シンジでいいよ」  彼女は毛玉だらけのトレーナ―の肩をすくめた。 「イイヅカ、さん」 「シンジじゃあダメ?」 「イイヅカさん」  ふう、とおれは息を吐いた。ここが限界か……。 「じゃあ、イイヅカで。よろしく、椿ちゃん」    こうして、おれと彼女の『ED克服&ロストヴァージン計画』が始まった。  ゴールまで、道は遠い。  ……っていうか。これ、ゴールあるのか?  ★★★  椿ちゃんを家まで送っていったあと、おれは仕事が手につかなかった。  ふだんは優等生と呼ばれるのに、客のオーダーを聞きまちがえ、ボスの深沢(ふかざわ)さんにバーカウンターから引きずり出された。  そのまま、深夜のスタッフ用喫煙スペースに連行される。 「俺のバーでぬるい仕事すんじゃねえ、シンジ!」  ガツン!とボスのウィングチップの靴が下腹部にめり込んだ。  痛え……くそ、どこからも助けは来ないのか?   そう思ったとき、穏やかな声が頭上から聞こえてきた。 「めずらしいな。優等生の飯塚が、叱られているのか」
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