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第1話 『イケメン……でも……ヘンタイっ』
(Jess FoamiによるPixabayからの画像 )
バサッという音とともに、おれの目の前が真っ白になった。小声の、罵声つきで。
「……ヘン……タイっ!」
女の子に深夜のファミレスで、ペーパーナフキンをぶちまけられたのは初めてだ。
おれはていねいに、顔と頭から一枚ずつナフキンをはがしてたたむ。
備品はていねいに扱え。ホテルマンとして最初に叩き込まれる基本原則だ。そしてゆっくりと目の前の女の子を見た。
「ちょっと、説明を――」
にらみつけているのは、館林椿(たてばやし つばき)。おれより二つ下の二十六歳。会うのは二回目だが、美人かどうかはよくわからない。前髪が長すぎるんだ。
まあ今は、表情を見なくてもわかる。
怒っている。小さな手がファミレスのテーブルで、ぷるぷるしている。
「なんで……名前も知らない人から……“女王さま”になってくれなんていわれなきゃならない……のよ」
おれは身体を乗り出した。コッチの身長は百七十三センチ、彼女は百五十センチってところだ。距離をちぢめて小声で言う。
「誤解しないでほしい。べつに、きみがSMバーでバイトしているから頼んだわけじゃない――」
ぼふっ、とまたナフキンがぶちまけられた。ごめんよ、備品および深夜のファミレススタッフ。
だがおれには事情がある。二十八歳の男としては、生理的にかなり深刻な事情だ。
彼女の、もっさい髪を眺めながら、ゆっくりと説明する。
「おれ、EDなんだ。できないんだ。なのに三日前、きみを見て、とつぜんイケる気がした。だからさ、確認したいんだ」
「……かくにん?」
彼女が唇をとがらせる。意外とふっくらしていて、柔らかそうな唇。
小柄で、ちょいポチャ体型、唇はふんわり。
よし。
イケる。
おれは彼女をまっすぐに見た。
「一回でいい。きみに、“女王さま”をやってもらって、ヤレそうな理由が“きみ”なのか、“女王さま”なのか、確かめた――」
どがっ!!!
今度はカバンが飛んできた。何が入っているのかわからないが 殺人的な重量がおれにヒットした。
めまいがする。痛い。彼女は席を立ってカバンを拾った。
頭上から、彼女の声だけが聞こえる。
「洋輔(ようすけ)さんに、言われたから、来たのに……」
おれは頭を押さえながら彼女を見上げた。
ぶあつい前髪のあいだから、スッとナイフで切り上げたような目がのぞいていた。 黒目が大きくて吸い込まれそうな目だ。
きれいだ、この子。
ぱちりとした瞳がおれを見おろす。ふっくらした唇が開く。おれの耳は、彼女の声を待つ。
「仕事してて……イケメン……でも……ヘンタイ」
冷たい声が、ぽたりと落ちてきた。おれの身体に何かが走る。彼女が歩いていく音を聞きながら、おれは目を閉じた。
息もできないほどの熱が、身体中を駆けめぐる。
くそ。これはいったい、何なんだよ――あっ、EDが治りかけているのか?
……ちがう。
違うんだ。熱が走り回っているのは身体じゃない。おれの頭のほうだ。
恋だ。
これがきっと恋なんだ。
三日前、おれ、飯塚慎二はボスにSMバーへ連れていかれた。
そこで彼女を見つけた。
そしてたったいま、おれをファミレスでぶん殴り、立ち去ってしまったひとに――、
恋をしているみたいだ。
★★★
三日前の夜、おれはコルヌイエホテルのバーで仕事をしていた。
バーカウンター横のバックルームで、物品をそろえる。ペーパーコースター、予備の酒、バースプーン。
酒を作って補充して、酒を作る。バーテンの仕事は同じことの繰り返し。
就職して七年。二十八になったおれは、二十一歳の時と同じことをしている。来年も同じことをやるんだろう。それが仕事だ。
そこへ同期のホールスタッフ、宇田川うたがわが入ってきた。手にメモ用紙を持っている。
「飯塚いいづか、奥のテーブルの女客ふたりがラインIDをよこしたぜ」
宇田川はニヤリとする。どうでもいいけど、こいつのチャラさは見習うべきかな?
いつだって、頭より先に腰が走っていくやつなんだ。
「なあ。カノジョたち、仕事がハケるまで待つって言ってる。どうだ?」
おれは一瞬だけ、考えた――できるだろうか。
腰に集中する。だめだ、ぴくりともしない。
宇田川はわざとらしく上を向いた。
「ヅカ、たまには優等生をやめて付き合えよ。向こうはイケメンのお前が目当めあてなんだ。行こうぜ」
もう一度、ぐっと腰に集中した時、後ろからバリトンが聞こえた。
「あの女ふたりな、やってもいいが、たいした味じゃねえぞ」
「……ボス!」
すぐ後ろに、メインバーをシキっているボス、深沢ふかざわさんがいた。
いつものことだけど、おれはちょっとボスに見とれる。
百八十八センチの身体に、やんちゃそうなイケメン。少し長い髪をジェルでキッチリと後ろにつけている。
コルヌイエホテルのホテルマンは、レストランのアルバイトまで全員、髪は短くするルールだ。
だが、この人だけは別だ。
いつだって自由にホテルじゅうを泳ぎまわっている。サメみたいな人だ。おれより五つ上の三十三歳。
深沢さんはのんびりとバックルームの棚にもたれて、笑った。
「ウタ、どっちの女がいいんだ?」
「あ……ピンクのニットです」
「あれか。ま、あれならいけるな。白シャツの女はやめとけよ。ゆるいぞ」
「ゆるい?」
深沢さんは、ケンカで骨折してからゆがんだままの鼻をこすってニヤリとした。
「白シャツは口元がだらしねえんだよ。ああいう口の女はカラダもゆるい。まあ、それはそれで喰い方があるけどな」
「はあ、そっすか……ぷふううっ!!」
宇田川の変な声に、思わず隣を見る。深沢さんの足が、股間にジャストヒットしている。ドスのきいた声がつづいた。
「ウタ、ホール回ってラストオーダーをさらってこい。俺はこのあと、飲みに行く。あと30分で店ぇ閉めるぞ。行け!」
宇田川はバネのようにホールへ駆け出していった。おれも猛スピードで物品をそろえる。
手に、深沢さんの視線が刺さっているみたいだ。
「シンジ。てめえ――」
その声に、全身がちぢみあがる。
こええええ。
一体、なにを言われるんだろう。
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